高校を中退する娘とともに
今日、夕方から、学校との面談に行く。
最初で最後の面談になるかもしれない。
夏休みが明けて、一日経った日の夕方、娘は元気に笑って下校した。マンションの一階で、洗濯物を取り込んでいると、自転車置き場の影から娘が微笑みながら歩いてきた。
上手くいったんだな、と思った。調子良く、学校生活のスタートが切れた。そう予感した。
小学校の最後の4年間を自宅で過ごした娘は、中学から地元の公立中学に進学し、ほとんど欠席もなく便器と部活に明け暮れ、希望の県立高校に進学した。
そこでも、むしろ中学よりは穏やかな楽しい友人関係や、部活での生活、先生方との交流を楽しんでいた。表面的ではあったかもしれないが。
ただ、季節の変わり目や寒い時期には体調を崩したり、嘔吐したり、自分として生きて行くことが辛いと日々泣いていた。
その度に寝れない娘を心配したし、悩みを夜通し聞いたりして、私も娘の気持ちの安定に、疲労困憊していた。
学校生活自体に疲れていることは十分想像できた。
友人関係も、気を遣いながらもそこそこ順調で、嫌なことを直接ぶつけてくる生徒もいない。勉強でも困っていない。それでも、娘にとって学校とは、朝決まった時間に電車にのって、自分の全てを向こうの世界に合わせに行かなければならない意味で、苦痛を感じる場所であった。
一昨日からとにかく行くことをやめると2人で話し合い、娘は家にいる。
ほっとした表情で、笑って、受験までの予定をたてたり、漫画を好きなだけ読んだりしている。
解放された満足感。
親子で、こんなにゆっくり眠れた日はない。
ここまで我慢させなくても、早く話し合えばよかった。
私は娘を学校に象徴される、見えない社会的規範から自由にしてやれたことを、心から満足している。
私は親としてというより、人間として人間である娘の心を守りを、支えて行くことを、自分のポリシーとして最も大切にしている。
そんな思いで、学校や先生方に感謝の思いを告げてきたい。