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オレの成績はオレが決める・・・年収も!

軌道に乗ったギムナジウム生活で面白いと思ったことの一つが、『成績のつけ方』です。ドイツでは原則、期末の成績評価は、先生と生徒の議論を通じて行います。

そのプロセスは、次のとおり:まずは先生が、成績評価案をクラスの前で発表します。例えば、クラスに生徒が25人いれば、25人分の成績評価案を公表するのです。その後、自分、もしくは他生徒の成績が妥当といえるかどうか、生徒間、そして生徒と先生の間で議論します。それはそれは白熱した議論で、「先生、AさんはBさんより授業中に多く発言したので、Bさんが3であるなら、Aさんは2にすべきです」と、正義感の強い生徒がAのことを擁護したり、はたまた、「先生、僕は授業中、Cさんほどは発言しませんでした。それは認めます。しかし、筆記試験の結果はCさんより僕のほうがよかったことも知っています。なので、せめてCさんと同じ成績であるべきと思います」と自己弁護したり。興味深いのは、この議論を通じて実際に成績評価が変わる場合があるということ。10年生の時、「この教科を落とせば落第決定」という生徒の評価が議論によって覆され、落第が免れたケースもあったほどです。

ちなみにドイツでは、転職面接などの場で、希望年収を自ら伝えるのが常識となっています。面接開始から数十分が経ち、「応募者=見込みあり」という雰囲気になった辺りで、「ところで、年収はどのくらいを希望しますか?」と切り出す面接官。さぁ、ここからが勝負どころです。応募者はここぞとばかりに、「〇〇の分野においては、オレの右に出る者はいない。前職では、オレは〇〇ユーロの売上に貢献した。だからオレは年収として、〇〇ユーロをもらって当然だ。」と、一気に攻めます。それはもう、「お前、自意識過剰か?!」とツッコまれてもおかしくないぐらいのシチュエーションなのですが、これは妥協せず、かつ自分を安売りしないための大切な慣習となっています。

この『妥協・安売りしない』という心構え、今思えば、学校における成績に関する議論などを通じて形成されるのかもしれません。自己主張力を培うに際して、学校での経験が活きてくるのでしょうね。

僕もドイツでの面接経験があり、希望年収をバッチリ相手に伝えました。まるで「自分は世界一」と豪語しているようで、それはもう小っ恥ずかしかったのですが、そういう慣習なのだから仕方がない。本番に備え、鏡の前で何度も練習したものです(笑)。

ところで学校での成績評価に関する議論、ヒートアップしすぎて途中で打ち切り、なんてことにはならないのでしょうか。少なくとも、僕がいたクラスではなかったです。かなり激しく議論するとはいえ、最終的には全員が納得できる結果が得られるように先生が議論をリードするので、わだかまりが残るようなことは特にありませんでした。後になって「さっきの議論だけど、どう考えてもおかしいよね」とかネチネチ言われるよりは全然マシですね。

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