嫉妬と劣等感
人は、手が届かない相手には羨望し、ひれ伏す一方で、自分と大差ないと思う者の成功や幸せには、嫉妬を覚えるという。
本読みの私は先日、ある美容科の本を手にとった。彼女に憧れていたからではなく、むしろ嫌い。でも、食わず嫌いせず、世間で受け入れられているものを知る努力が必要だと思ったから。
彼女の生き方やモットーがテーマのその本には、直面してきた葛藤や困難が綴られている。それらに共感するわけがないという思いと、冷ややかに見ようという無意識の決意をしながら、読み進めた。
そもそもなぜ、彼女が嫌いで、しかも共感しまいと頑なな態度をとったのかと言えば、彼女の外見が人並みだったにも関わらず、メディアの中で輝いていたから。外見が普通で輝きも普通なら、こんな対抗心のような思いはきっと、持たなかった。つまり、嫉妬。
私だって頑張っているのに、なぜ、彼女が?
私だって彼女のように、輝きたい...
とりわけ、彼女が結婚していること、子供が三人もいること(しかも男の子ばかり)、離婚してもパートナーがいることなど... 自分が強く望みながらも経験してこられなかった事柄に及ぶと、今度は劣等感を感じないようにと、密かに必死に、心を防御...
したのだが、それでも読むのをやめなかった。なぜなら、彼女がすべての壁を乗り越えるために、相当量の努力をしてきたと、認めざるを得なかったから。
自分の努力について否定はしないが、ひとまず、成果を上げている彼女に対し帽子を脱いだ。そうして、新たに彼女を受け入れてみて気づいたことは、
嫉妬は、圧倒的な努力があったと知った時に、ひれ伏すような思いへと変換されうる、ということ。
一方、劣等感は、自分には、望むことは起こり得ないと決めつけ、開花に蓋をすることから生まれる感情ではないか? 鉄より重い蓋の中で、"望み" は時間をかけて "諦め" へと発酵していく。自分を信じてあげられなかった無念さは投影*され、周囲からも残念な人だと見られていると感じ始め、ますます自分を信じることが難しくなっていくという、負のループ。
*投影とは、心理学用語で、本来の自分の欲求を認められず、他人の持つ欲求であるとみなす、心の防御反応
美容家は、どんな時も、最後は自分で自分を信じることを諦めなかった。だから、ピンチのたびに腐らず、気を取り直して進化してこられたのだろう。
信じることは難しいが、小さなことでもやってみることが大事というメッセージが、この本のいたるところに散りばめられていた。
今日できる小さなチャレンジは何か?
私が自分に対し認めてあげられることは何か?
例えば、葛藤しながら彼女を受け入れつつある自分がいる。自分にとって小さいけれど予想外のことが起きた(自分の受け止め方によって、起こせた)ということは、次にはまた別の、想定外に実現できることが出てくるだろう。だから、今日はまず自分に二重丸をつける。そうして毎日、自分も他人も受け止めることを意識しよう。