小野フランキスカの断食
ある一時期(たとえば子どもの頃)に好きなものを食べすぎて、あるときを境に食べ飽きて見向きもしなくなる……というようなことがある。また、好きで食べていたものに、それまでにはなかった違和感のようなものを感じて、そんなにすすんで手をつけなくなる……というようなことがある。
小野フランキスカにもそういう経験はないでもなかったが、いちど好きになったものはなるべくずっと好きでいたいと思うことのつよい小野フランキスカにとって、無節操ゆえの飽きや予期せぬ好みの変化はなるべく避けたいところだった。より少ない失敗からより多くを学ぶ。それが小野フランキスカの持論である。
さいきん小野フランキスカはとある食材を食べることを控えている。それまではほぼ毎日のように口にしていたにもかかわらず、である。曰く、最後に口にした日、それまで同様に美味しさを感じはしたものの、咀嚼しながら吐き出してしまいそうな、飲み込むことに生理的な嫌悪を感じてしまうような、得体の知れぬ〈抵抗〉を感じたのだという。
(これはいけない、このままでは、この好きな食材を永遠に嫌いになってしまう――)
そんな予感がして、小野フランキスカは断食を試みたのだった。
それから二週間が経つ。その間、小野フランキスカは、例の食材を口にすることはもちろん、視界に入れることすらないように遠ざけた。ときおり口の中に味わいが思い出されることがあったが、そんなときは存分にマボロシの味覚を堪能し、妄想に耽った。
小野フランキスカは思った。こんなことができるのであれば、禁煙なんて容易いのではないかと。
またこうも思った。情報を更新せず、残滓のようなものとだけ触れ合っているうちは、たしかに嫌いになることはないだろうが、それはもうすでに好きだとは言えないのではないか、と。
好きなものを好きでいつづけるために、好きなものを永遠に遠ざける皮肉……
とはいえ、また口に入れてあの〈抵抗〉がやってくるなら、こんどこそ確実に「終わる」だろうと想像すると、断食をやめてみようとは思えないのであった。
かくして、小野フランキスカは自重する。
小野フランキスカは自嘲する。
嫌いになるのが恐くて見ることさえできないのに「だいすき」だとは、気が狂ってる……
こんなことをつづけていれば、そのうち、いったいそれの何を「すき」なのかわからなくなってしまうだろう……
そのとき、わたしは、まだそれを「すき」だと言えるのか?
それにしても、いかにも中途半端だ……
でもいまはまだ、ゆるされるなら……
next»