小野フランキスカの断髪屋
万年中二病の気がある小野フランキスカの言動は、じっさいに中学二年だったころからブレがなかった。
「なぁ、髪を切らせてくれないか」
ある日の学校の帰り道、並んで歩く小野フランキスカが出し抜けにそう言ってきたので、わたしは「ことわる」と即答し、「なんで?」とわけをきく。
「じゃあ代わりにわたしの髪を切ってくれないか」
と、なんの代わりだかわからない代案を出してくるので、「それもことわる」と即答し、「だからなんで?」と重ねてわけをたずねる。
「いや、それは」と、小野フランキスカにしてはめずらしく口ごもりながらはじめたのはこんな話だった。
「ひとに刃物を向けるのって、やっちゃいけないことだよね?」
「ああ、そうだな」
「刃物でひとを傷つけるのは?」
「もっとだめだな」
「でもさ、それが許されてるひとたちがいるよね?」
「……」(話が見えなくなってきた)
「医者とか、髪を切るおしごとのひととか」
「……うん で?」
「どんな気持ちでひとに刃物を向けてるんだろうな、って」
「……」(いやな予感しかしない)
「それってさ、なんかちょっと嗜虐的じゃない?」
「いや、そんなふうに思ったことはないが……」(しかし言われてみればそうかもしれない)
「さすがに医者のまねごとは危険だからさ」
「……」(あたりまえだ)
「髪の毛ならいいかな、って」
「それを、わたしで?」
わたしは立ち止まって小野フランキスカを見た。
「えへへ……」と頭を掻きながら笑いを浮かべてる小野フランキスカに、わたしは軽く引く。
小野フランキスカは、じぶんが体験するのが最善、だけどそれがむりならわたしにやらせて感想を聞くのが次善の策だと考えたんだ、と言う。
切られるのか切るのか、どちらにせよ、小野フランキスカがそこまでわたしを信頼してくれているというのは悪い気はしない(じっさいニヤけだしそうなくらいうれしい)。
しかし、それとこれとは話が別だ。
ずぶの素人に髪を切らせたりしたらどうなるか、もう中二なんだからわかっててもらいたい。
「フランキスカ、おまえ、ひとの髪切ったことないだろ」
「だからお願いしてるんだよ」
話が通じていない。
「だめかな?」と遠慮がちに言う小野フランキスカの目をみて、ふいにむかしの記憶がよみがえる。
小学校にあがってまもないころ、小野フランキスカをうちに連れていったことがあった。そのとき、小野フランキスカをみた父親の表情が変わったことにわたしは気づいていて、なんとなくずっと胸に引っかかっていた。
「小野フランキスカ」に対する父親の反応は、その後、他のところでもみられた。
たとえば、わたしが学校であったことを家族に話したりするときに小野フランキスカの名前を出すと、父親はあからさまにいやな顔をした。
あるとき、「その話はやめなさい うちで小野の名を口にするんじゃない」とはっきり言われて納得いかなかったわたしは、反抗期も手伝っていたんだろう、「どうしてそういうこと言うの?」と強い口調で反論した。
「どうして? ねぇ、どうしてだめなの?」と、くり返し父親に食ってかかった。
はじめは頑なだった父親が、感情にまかせてなじるわたしをかわいそうに思ったのか、静かに口を開く。
「いいか、直 栖庫は小野のために切るか切られるかする役目を負っているのだ いつかおまえも栖庫の当主になるときがくる そうすればいやでもわかる」
父親の話はわたしを納得させるにはぜんぜん言葉が足りなかったが、ひとつひとつ重いものを下ろすように話す、そのときの眼差しがほんとうに悲しそうにみえたから、わたしは気勢を削がれてしまった。
それ以来、父親の前では小野フランキスカの話をしなくなった。
それは、少なくとも父親の前で、小野フランキスカがやましい存在になってしまったということだった。
わたしのなかに、小野フランキスカにやましさを感じているというやましさが芽生え、消せない傷痕のように残る。
「ね、だめかな?」
ふたたび歩き出したわたしに並んで歩きながら、小野フランキスカが言う。
やましいお願いだと承知で頼んでいるから口調は控えめだ。
わたしは父親の言葉を思い出している。
(栖庫は小野のために切るか切られるかする役目を負っているのだ )
これがその役目?じゃないよな……
でも、どうせそういうことなら……
小野フランキスカの好奇心を満たしてあげることができるんだったら
それがわたしにできることなんだったら
それを小野フランキスカが望んでいるんだったら、べつにいいかな……
「あのさ、そろそろさ、前髪気になってきたんだよね」
わたしは、回りくどいところから話しはじめる。
「前髪だけならさ、フランキスカに切ってもらってもいいかな」
言う。「それでもいいなら」
なかなか返事が返ってこないので、またわたしは立ち止まり、小野フランキスカをみる。
いっしょに立ち止まった小野フランキスカはうつむけていた顔をあげて、わたしをみる。
(めっちゃうれしそうじゃん……こわ……)
と思うが、もう遅い。
小野フランキスカのおうちに行き、わたしの前髪を切る準備をしながら、小野フランキスカが言う。
「男子たちがさ、さいきん話してるの聞いてさ」
「なんて?」
「ん、『だんぱちやーではじめてひげそってもらったらカミソリこわいあんに?』って」
「あー、生殺与奪の権を他人に握らせてるんだもんね」
「それ聞いたら、どうしても知りたくなっちゃって」
「あんたの好奇心は死角がないね」
わたしは呆れたふうに言ったつもりだったのに、小野フランキスカは「えへへ」と笑って、「ありがと、ナオ、だいすき」と小さく口にした。その手にわたしの肉体を切り刻む刃をにぎりながら。
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