日ジブチ地位協定の問題点ー法の空白を許すまじー
ジブチ共和国(ジブチ)という国をご存じであろうか?
ジブチはアデン湾、紅海に面した、人口が約90万人しかいない小国である。この小さな国に日本の自衛隊は唯一の海外基地を構えている。そして、2018年には基地を恒久的にジブチに置くことを日本政府は決定した。
なぜ日本から遠く離れた地に自衛隊の基地があるのか?それはアデン湾で多発している海賊行為から民間の船舶を警護するためである。
2007年ごろから、ソマリア人海賊による民間船への攻撃、乗っ取りに対して国際社会は関心を持ち始めた。そのことから、国連が中心となって海賊行為の撲滅を目指した協力体制がとられるようになり、国連の一員である日本もその枠組みに参加することを表明した。
その枠組みに参加するための前段階として、2009年の麻生政権下で「海賊行為の処罰及び海賊行為への対処に関する法律」が成立し、日本の自衛隊、海上保安庁が、船籍を問わずにあらゆる国の船舶を海賊行為から守ることが可能となった。また、2011年に野田総理の下で行われたジブチ政府との協議により、自衛隊が海賊行為を監視するための基地がジブチに設置され、今回の記事の本題である日ジブチ地位協定が締結されるに至った。
地位協定とは?
日ジブチ地位協定の詳細を語る前に、まず地位協定とは何かについて説明したい。とある国が他国に軍隊を駐在するときには二国間の摩擦を小さくするために地位協定というものが結ばれる。この協定が必要な理由は軍隊が軍法という特殊な法体系で動いているからであり、地位協定を結ぶということはそれを確認するという行為である。
もし、一般人が外国で犯罪又は過失を犯した場合、彼/彼女はその国の法律で裁かれる。しかし、元軍人の教授が言っていたように、軍隊の得意なことは人を殺傷すること、物を破壊することであり、軍隊が起こす可能性のある問題のスケールは一般人のケースと比べ物にならない。そのため、軍隊による事犯は「戦争犯罪」を規定する国際人道法に準拠して裁かれ、それは事犯が起こった国の裁判所ではなく、事犯を犯した者の国の軍事法廷で裁かれる。軍隊が裁かれるのは国際法に基づいた軍法によってであり、一般の法律では裁かれないのである。
加えて、軍法があることで兵隊を守ることにもつながる。軍隊が派遣される地域は基本的には紛争地域である。そして、時と場合によっては軍隊が敵性勢力の殺害を兵員に指示するかもしれない。普通に人を殺したら殺人罪で起訴されるが、殺した相手が敵性勢力であれば、軍法で裁かれる軍隊の中では合法行為であるため、兵員は良心の呵責に苦しむことなく任務を遂行することができる。しかし、問題は上官の指示によってある兵士が非戦闘市民を殺した場合である。兵士が故意に非戦闘市民を殺した場合はもちろんその兵士自身が裁かれるが、命令で殺害が実行されたのなら、その兵士に責任は無い。なぜなら軍隊は厳格な指揮命令系統で動いているからである。後者のケースが起こった場合は、非戦闘市民の殺害の責任は兵士自身ではなく、命令を行った上官に移る。
このように、軍隊は特殊な任務、法体系によって動いているため、一般の法律で裁いてしまうと任務を遂行するにおいて支障が出てしまい、あまりにも重い罪で起訴されてしまう。その懸念を払拭するために軍隊を駐在する側、される側の間で地位協定が結ばれる。それにより、過失又は犯罪が起こった場合の責任の所在を明らかになり、外交問題への発展が未然に防がれる。
日ジブチ地位協定の説明
日本政府は国際法上、軍事組織と認識されている自衛隊をジブチに駐在させるうえで、日ジブチ地位協定を締結するに至った。
そして、この地位協定は驚くことに、自衛隊関係者が公務内、公務外とはず、ジブチの法律では裁かれないことが明記されている。事実上、日本政府はジブチ政府から裁判権を奪っているのである。米兵が事件・事故を「公務外」を起こした場合にでしか、日本に裁判権が無い日米地位協定と比べると、日ジブチ地位協定は片務性が強いものである。ジブチ市民が不平等だと言って怒らないか心配になるほどの内容である。
ここまで日本が優遇されている理由はひとつしかない。日本がよほどジブチから信頼されているからである。
ジブチ政府はこう思いながら、地位協定を締結したのであろう。自衛隊は信頼度が高い組織だから、ジブチ国民を困らせるようなことはしない、過失又は犯罪を犯しても日本の軍事法廷において公正に裁いてくれると。しかし、ジブチ政府は美しく誤解している。確かに日本の自衛官は優秀で規律がしっかりとしている組織である。
しかし、問題なのは自衛隊関係者が過失又は犯罪が起こした場合に、それを裁く法体系が存在しないことである。言い換えると、自衛隊関係者が過失又は犯罪が起こした場合に誰も、彼ら/彼女を裁くことが出来ないという、「法の空白」が発生するのである。
「法の空白」は何を意味するか?
法の空白が発生する事態が何を意味するか?自衛隊関係者の過失又は犯罪が日ジブチ間の外交問題に発展することである。
考えてみて欲しい。もし、沖縄で米兵が少女を殺害、レイプして、アメリカがその米兵を裁くことが出来なかったら日本国民は怒り狂うのは当然である。加えて、そのように自国の法が適応されない、無法者が国内に居座っていたら、恐怖さえも感じる。
今はジブチ国民はこの異常な事態に気づいていないが、ジブチに駐在している自衛隊もそのように思われる時が来るかもしれない。というか、軍事組織が軍法で裁かれるのが国際常識である異常まさか自衛隊がその法体系を保持していないとはジブチは夢にも思わないだろう。
なぜこのような異常な状態が続いているのか?
普通に考えて、これは異常事態である。世界第8位の軍隊が(冷戦時には世界第2位の軍事力を日本は保持していた)ジブチで何をしても責任がとれないのである。
この問題が発生した原因は日本の政治家、国民の奇妙な論理のせいである。第二次世界大戦において日本は国際秩序を乱し、多くの犠牲者を生み出した。それゆえ、政治家、国民とはず、戦争や軍隊というワードをタブー視している風潮がある。
それが空回りしたせいか、日本人は軍隊を持たなかったら戦争に巻き込まれないという奇妙論理を生み出した。そして、その論理は政府見解にも反映されており、政府によると国際法上は自衛隊は軍隊は認められるが、国内では自衛隊は「実力組織」と位置づけられている。よって自衛隊は軍隊でないため、軍法は適応されず、日本国内の法律により裁かれる。自衛隊は法律上では警察組織と同等の扱いを受けるしかない。
自衛隊員の命を守るためにも軍法の設置を
日ジブチ協定の現実は自衛隊が置かれている異様な状態を白日の下に晒した。この状態が続いてしまい、実際に問題が起きれば日本の印象が悪くなるが、それ自体は大したことではない。この「法の空白」のせいで最も被害を被るの自衛隊関係者たちであるからだ。この状態が続くことにより彼/彼女が命を失う危険性が高まる。
2014年に安保法制が国会を通過したことにより、自衛隊が行動できる範囲が格段に広がった。行動範囲が広がることは敵性勢力と遭遇する確立が高まることを意味する。
しかし、活動範囲が広がっても自衛隊が自分の行動に責任が取れない組織であることには変わりない。仮に中国の軍艦が民間船舶とともに尖閣諸島付近に接近して、海上自衛隊と交戦状態に入った場合、もし間違えて民間船を沈没させても責任が取れないため、海上自衛隊は軍艦に対して引き金を引くことを躊躇するかもしれない。住民保護が目的化しているPKO活動中に反政府ゲリラが市街地に紛れ込んで、戦闘員や非戦闘員が入り乱れた状態が起こっても、自衛隊の武器使用は著しく制限されているため、自分の身を守るために銃を発砲することを怠るかもしれない。
「法の空白」が存在している限り、戦場において自衛隊関係者は何が合法で非合法なのかに戸惑う状況に遭遇する。そして、迷ってる間に彼/彼女は命を落とす。
それが起こる前に自衛隊に軍法を導入し、自衛隊の法的地位をはっきりとさせなければならない。自衛隊は「軍隊ではない」という国内でしか通用しない奇妙な論理から脱却し、自衛隊員の方々が万全な状態で職務を遂行するための環境を作ってあげる必要がある。
参考文献
https://trafficnews.jp/post/84648
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/47860?page=4
https://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/seisaku/kihon02.html