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特攻や戦争を美化してはならない

※画像は上記NHK記事から引用。

 パリ五輪が閉幕してから、卓球女子シングルスで銅メダルをとった早田ひな選手の発言が話題になりました。

 パリオリンピックの卓球の日本代表が帰国し、女子団体での銀メダルなどを獲得した早田ひな選手は帰国後にやりたいことについて、「鹿児島の特攻資料館に行って生きていること、卓球ができることが当たり前ではないということを感じたい」と話しました。

https://www3.nhk.or.jp/lnews/kagoshima/20240814/5050027909.html

 この発言を受けた、中国系のネット記事(日本語)を読んで、今回の記事を書こうと思いました。X(旧Twitter)で知った記事だし、あまり読んでいる人も多くはないと思い、あえて、全文を掲載します。
 読んでとてもハッとさせられた記事でした。

(全文引用)

 第二次世界大戦の終結から来年で80年となる。戦争の歴史をいかに全面的かつ客観的に認識し、正しく伝えていくかは、人類の恒久的平和に関わる重要な問題だ。
 卓球日本代表の早田ひな選手は五輪開催地のパリから帰国後、メディアとの会見で、「鹿児島の特攻資料館に行きたい」と話し、世論を賑わせた。早田選手は記者会見で、「自分が生きているのと卓球ができているのが当たり前じゃないことを感じたい」と言い、平和のありがたみを噛みしめたいという気持ちを示している。しかし、平和を考えるにはまず歴史の全容を知ることから。とりわけ、複数の当事国がある歴史については、多様な視点でその全容に迫ってみる努力が求められる。
 日本メディアの報道によると、早田選手の発言を受け、「知覧特攻平和記念館」の前には長蛇の列ができ、来場者の数は例年を明らかに上回っているという。一方、早田選手の発言は日本国内でもさまざまな議論の引き金になっている。社会学者、作家の古市憲寿氏はテレビ番組で、「特攻があったから今の日本が幸せで平和だっていうのはちょっと違う」「むしろ特攻みたいなことをさせない社会にしていく必要があると思う」とコメント。しかし、彼の発言は多くの批判を招いた。「特攻は日本の抑止力なのだ」と公言し、「Tokkoは世界の公用語になり、欧米人に恐れられている」と誇らしげに語る論客すらいた。特攻隊員はまるで武器そのものであったような彼らの語りには、大海原に消えていった数千の若い命を惜しむ気持ちはひとかけらもなかった。
 大まかな統計によれば、神風特攻隊は、約10カ月の間に約4000人の戦死者を出した。また、この特攻隊員らの戦死を前提とする爆装体当たり作戦により、連合国側の艦船も約400隻が撃沈か損傷し、7000人以上の兵士の死傷をもたらした。
 しかし、月日の流れに伴い、血や肉が飛び出るような生々しさはどんどんと薄れ、特攻の歴史が日本では、どんどんと美化された形で文学や映画作品になっては、若者たちに親しまれるようになっている。共通した特徴は、一人ひとりの個人史がよりクローズアップされた形で描かれ、見る者は感情移入しやすい。賛美、謳歌が基調になり、戦争の全体像には目が向かない。そういった美化の風潮の浸透こそが、早田選手がごく自然に知覧に行ってみたいと発言させた背景であり、古市氏のコメントが批判を招いた背景でもあるだろう。そこに欠如しているのは、マクロ的な歴史への認識である。
 まず、神風特攻隊は日本の軍国主義者が考え出した最後の手段であり、これは世界の戦争史において、決して人間として選ぶべきではない手段であるとみなされていることを認識すべきだ。事実、多くの特攻隊員たちは軍国主義の被害者であり、また共犯者にさせられた存在でもある。そういった事実は決して隠されたり美化されたりすることは許されない。
 次に、日本はなぜかくも大規模な自殺作戦に踏み切ったのかを考えなければならない。誰が真の責任者だったか。「聖戦」とされていた「大東亜戦争」の本質とは何か。そういったところにまで視野を広げてこそ、戦争史における「神風特攻隊」の位置を初めて認識できよう。
 一方、戦死とともに「軍神」と崇められた特攻隊員の「本当の気持ち」にも思いを馳せたい。残された多くの遺書によれば、圧倒的多数の隊員は、恐怖、不安、怒りの感情をあらわにしていた。爆弾を積んだ木製、あるいは車輪や動力装置すらない粗末な戦闘機を操縦して、死に向かわざるを得なかった彼らのやるせなさが伝わってくる。
 特攻隊員らにまつわる、もう一つの知られざる歴史がある。機体の故障や不時着などで生還した特攻隊員の処遇である。かつて福岡にあり、今はすでに取り壊された「振武寮」に彼らは軟禁され、「再教育」を受けていた。多い時で約80人の特攻隊員が収容されていたという。罵倒され、軍人勅諭を延々と書き写させられたり、竹刀で殴られたりしたのが「再教育」の日常であったという証言が残されている。
 早田選手の発言が引き金に噴出したさまざまな議論は、日本社会の歴史認識を写し出した鏡のようだ。かつて日本の侵略を受けた中国人として、特攻にまつわる歴史に対し、日本人が自己犠牲を謳歌し、称賛するナラティブで過去を語ろうとする姿勢には、大きな声で反対を表明したい。特攻隊員の一人ひとりにまつわる「小さな歴史」はどれだけ心を打たれるものであっても、世界史においては神風特攻隊が多くの犠牲を生んだ非人間的で残酷な作戦であったという、美化や謳歌の対象にならない多くの不都合な面にも忘れずに向き合う必要がある。
 一方、24歳になったばかりの早田選手については、中国でも多くのネットユーザーが表明しているように、「若者が歴史に関心を持つこと自体はとても良いこと」だ。ぜひとも練習や競技の合間に、歴史に対して多様な面から理解を深め、吟味してほしいと切に願う。そうした努力を踏まえながら、今後も早田選手には引き続き中日両国の卓球交流への貢献と更なる活躍に期待したい。(CGTN論説員)

https://japanese.cri.cn/2024/08/28/ARTISb2Z3j1LJeJwYvpThOZU240828.shtml?spm=C96518.PRESjy5iCnqn.ER99YRrWlW3t.2

この記事で気になったところをいくつかピックアップします。
引用はすべて上記記事からです。

 社会学者、作家の古市憲寿氏はテレビ番組で、「特攻があったから今の日本が幸せで平和だっていうのはちょっと違う」「むしろ特攻みたいなことをさせない社会にしていく必要があると思う」とコメント。しかし、彼の発言は多くの批判を招いた。「特攻は日本の抑止力なのだ」と公言し、「Tokkoは世界の公用語になり、欧米人に恐れられている」と誇らしげに語る論客すらいた。特攻隊員はまるで武器そのものであったような彼らの語りには、大海原に消えていった数千の若い命を惜しむ気持ちはひとかけらもなかった。

 しかし、月日の流れに伴い、血や肉が飛び出るような生々しさはどんどんと薄れ、特攻の歴史が日本では、どんどんと美化された形で文学や映画作品になっては、若者たちに親しまれるようになっている。共通した特徴は、一人ひとりの個人史がよりクローズアップされた形で描かれ、見る者は感情移入しやすい。賛美、謳歌が基調になり、戦争の全体像には目が向かない。そういった美化の風潮の浸透こそが、早田選手がごく自然に知覧に行ってみたいと発言させた背景であり、古市氏のコメントが批判を招いた背景でもあるだろう。そこに欠如しているのは、マクロ的な歴史への認識である。
 まず、神風特攻隊は日本の軍国主義者が考え出した最後の手段であり、これは世界の戦争史において、決して人間として選ぶべきではない手段であるとみなされていることを認識すべきだ。

 次に、日本はなぜかくも大規模な自殺作戦に踏み切ったのかを考えなければならない。誰が真の責任者だったか。「聖戦」とされていた「大東亜戦争」の本質とは何か。そういったところにまで視野を広げてこそ、戦争史における「神風特攻隊」の位置を初めて認識できよう。

 早田選手の発言が引き金に噴出したさまざまな議論は、日本社会の歴史認識を写し出した鏡のようだ。かつて日本の侵略を受けた中国人として、特攻にまつわる歴史に対し、日本人が自己犠牲を謳歌し、称賛するナラティブで過去を語ろうとする姿勢には、大きな声で反対を表明したい。特攻隊員の一人ひとりにまつわる「小さな歴史」はどれだけ心を打たれるものであっても、世界史においては神風特攻隊が多くの犠牲を生んだ非人間的で残酷な作戦であったという、美化や謳歌の対象にならない多くの不都合な面にも忘れずに向き合う必要がある。

 特攻、という響きは勇ましいですが、究極の非人道的な棄民政策だということを忘れてはいけません。

 政府の究極的な役割は、国民を飢えさせないこと、そして戦争しないことだと思います。今のままだと、我々はまだ100年も経っていない同じ過ちを繰り返すことになりかねないと危惧しています。
 歴史教育と社会科教育の失敗を認めるべきでしょう。

 

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