「能力」を活かすための「やる力」
最近、いろんな人と話していて感じることですが、英語力やサイキックセンスなど、その人が生まれながらに持っているギフトや、鍛錬してきたスキル、つまり「秀でている能力」と、それを活かしていく力「やる力」は、まったく別物ですね。
世の中、優れた能力を持っている人は、とても多いと思うのです。
特に女性は、家庭の事情でいったん自分のことを後回しにして、人に尽くす期間を持つ方が多いので、すごい能力を持ちながら、それを活かすことなく年齢を重ねている方がたくさんいます。
周囲を見渡すと、すごい光を秘めた磨きかけの宝石が次々に見つかるのが、この日本ではないでしょうか。
まあ、そういう方だけに限らず、自分のギフトや能力を活かしたいと思っていて、実際に能力がある方は多いですよね。
しかし、それを活かすという現実的なアクションを起こす人は、とても少ない気がします。
「能力」と、それを活かすために現実的な行動を起こす「やる力」は、別物なので、たとえ「能力」があっても「やる力」がないと、その「能力」が日の目を見ることはまずありません。
だから「能力」を活かしたいなら、それを活かすためのアクションをとらないと。「能力」だけ高めていないで、現実的な「やる力」もつけないと。
「能力」と「やる力」のバランスが悪くて、実際の行動を起こせないために、優れた能力を輝かす場がなく、だんだん不貞腐れちゃったり、自分より能力的に劣っている(と、その人が思いこんでいる)人が活躍するのを妬んで、ネガティブスパイラルに陥り、能力自体も錆びつかせてしまう人を見ていると、もったいないなぁと思います。
TOEICで900点取ったことがあるけれど、その優れた語学力を使わないまま、ずっと過ごしてきた人と、TOEICは450点だったけど日々、実践で英語を使い続けている人の10年後、20年後を比べたら、間違いなく後者の方が「優れている」状態になっていると思います。
「能力」は使ってこそ、ますます伸びるのです。
また、高めてきた「能力」を活かして開業したいとか、プロとして活動したいと思っている方も多いと思うんですけど……そういう方はやれない言い訳をグダグダ並べていないで、やればよい!
(かくいう私もかなーり長い間、グダグダ言ってた人ですが、いま思うと単純に失敗が怖かったり、コンフォートゾーンから出たくなかったのだと思う)
実際にやり始めると、苦手なこともやらないきゃいけないし、自分の未熟な点にも気づくので、否応なく足りない部分を補うことになります。
プロとしてやっていけるのは、成長し続ける人だけですから、結果的に「能力」も「やる力」もさらに高まるんですよ。
開業したり、プロを名乗ると、友人知人から妬まれたりしそうで二の足を踏んじゃう……という方も多いですが、それはもうしょうがないです。そういうものです。
自分が「自分自身を活かして楽しそうに生きている人」を羨む側から、「やりたいことをやれて嬉しい!楽しい!」と実感する側に移れば、最初は妬まれたりもします。
「あなたは私たちと同じ”羨む側”の人だと思っていたのに、イチ抜けしてずるい!」と、今までの仲間たちは感じるわけです。中には「あなたは私より能力的に劣っているくせに」みたいな嫌味を言われる場合もあるでしょう。
でもさ、その人にはない「やる力」を、あなたは持っていたから行動できたわけですよね?だから、トータルで見たら別に劣ってはいない。むしろ、ずっと優れているかも(笑)。
また、自分が本当にやりたいことをやり始めたら、それまでの友人知人が冷たくなったという話もよく聞きますね。私もそういう経験をしたことがあります。関わる人が総入れ替えになったこともあるわ!
でもさ、人にはやりたいことをやって楽しそうにしている人が、眩しすぎて見れない時もあるのです。そういう人を見ていると、嫉妬心ややるせなさがムクムク湧いてきて辛すぎるから、目をそらそう……って時がある。
あなたが気に入らないとか、そういうことではなく、本人に事情があるから関われないのです。
私もたまーにそういう時があり、「ちっ!いいなぁ」と一瞬、やさぐれますけど、すぐに「ということは、私もこの人みたいになりたいのか(こういう状態になりたいんだな)」と、改めて自分の望みを自覚するようにしてます。羨んでるってことは、自分もそうなれるってことですからね。
だから、寂しいかもしれないけど、疎遠になった人には執着しないで放っておくか、今までの関わりに感謝して手放すのがいいんじゃないかな。
来る者拒まず去る者は追わずでいれば、空いたスペースに今の自分にピッタリな、新たな関係性がやってきますよ。