ICT4D公開勉強会+αに参加して(2)
ICT4D公開勉強会+αに参加して(1)の備忘録その2
hoge; 2回目の投稿にして、まだ第一回勉強会を捕捉しきれていない、が書いてみる。
発表者は、政策研究大学院大学のイノベーション研究ど真ん中の美人研究生。
政策研究大学院大学といえば、以前職場が近かったので花見に行ったなと思い出してグーグルフォトを探してみたら、2015年3月の事。もう5年も経つのか。
仕事柄、やっぱり公共政策の何たるかを勉強しないといけないのではないかと、大学院進学も考えたりしたけれど(いや今でも探ってはいるけれど)2009年当時ほどの「暇さ」はもうないし、人員が少ない中でフルタイムの学生は給料泥棒とのそしりは免れまい。なので在野の初学者としていろいろなところに顔をだして学ぼうと思ったのだった。
ついでに「公共政策」というと幅が広すぎて、何にでもあてはめることが可能なのだろうけれど、物事の考え方として哲学を学ぶ必要があるなと感じる。ただ、正義論だとか、功利主義とかの学術的議論をそのまま現に動いている立法過程の中で適応できるわけではないので、肌感覚としての政策判断ににじみ出てくる人間哲学が大事だ、といえば格好いいが、いち市民としての感覚と、それまでに見聞きした知識(その中にいろいろな主義主張の価値判断も含まれるのだが)を全力で駆使しながら、”全人格的知的闘争”・・・
・・を、助けてもらうために、結局、立法補佐機関である衆・参調査室や国立国会図書館の立法考査局のお世話になるのである。
そして立法過程論など、いくつか学術書も出回っているが、政策需要と要望団体との折衝や役所内での検討過程の言及に終始し、その後の国会の中の話について的を射て論じている本は存外少ない(私が読んだ中にはなかったと記憶しているので、参考になる図書募集中である)
さて、イノベーションについて話を戻そう。
”イノベーションには、2種類のイノベーションがあるクマ!”
と簡単に言いきれればよかったと思うのに、実際には国によって使い方が少しづつ違うようだし、定義も様々あるそうだ。
発表で紹介された分類(これが恐らく現時点の学術的分類の最新)だけでも、大分類で4つ。その他、定着している?ものが10個以上もある!!
確かに、イノベーション(Innovation)というのは、ある特定の産業や技術に対して使われるわけではなく、文化や社会や製品を通じて人間生活に何かしら飛躍的な違いが生まれたときにそう名付けられるものなのだろう。
科学技術用語というよりも、経済用語的な側面が強いと感じた。
語源的にも、経済学からの派生で、日本の経産省が「technological innovation」を指すべきところを単に「innovation」=”技術革新”と技術寄りの訳にしてしまったことが、違和感の本質ではないか。
つまり科学技術の研究は常に新しく便利で、革新的な何かによって世の役に立ちたいと日々研究しているわけで、”イノベーション”というのは意識しない。工学部在学生時代にイノベーションという言葉をあまり聞かなかったのは、工学部の存在意義の中にそもそも含意されているので、当たり前すぎてLet's inovative study! なんて掛け声を掛けるまでもなく、ってことなんだろう。
これは何となくの理解では、サーキュラーエコノミーも同じで、リサイクル技術が浸透して、多くのモノが3Rされて経済を循環している様子を経済学的に社会に当てはめると、循環型経済と名付けているのと同じで、名付ければいいというものでもないだろうという気もする。かつてプラチナ社会と名付けて浸透しなかった社会像があったが、そこで学んだ「サーキュラーエコノミーと、水平リサイクル」の話をいずれ触れたい。
さて、イノベーションについてだが、これはやはり個人の経験や身の回りのものに当てはめて考えるのはよいだろうと思い、携帯電話の進化や、デジカメや、集積回路などは誰にでも思いつくと思うので、もう少し個人の経験から述べてみたい。(といいながらかなり技術寄りだ)
CMOSセンサーのコモディティ化到来!
CMOSセンサーは間違いなく自分史上、3位以内に入るイノベーションの一つだ。
かつてロボット研究者を目指して工学部に入り、まんまとT-semiなる大学の自主ゼミナール協議会というサークルでロボット制作に乗り出していた頃の事。
その頃学生でも買える光センサーといえば、赤外線センサー一択であり、地元のロボコンの競技ルールでピンク・緑・黄色の三色ボールをつかんでゴールに入れるという一見単純な競技があった。これが最も簡単な競技の一つ。チャレンジコースだ。
競技におけるロボットの一連の基本動作
1.スタート地点からボールが散らばっているボールゾーンに移動する
(たいていライントレースして移動する)
2.センサーでボールを認識する
3.アームなどでつかむ(回収する)
4-1.ゴール(かご)に運ぶ
4-2.もしくはゴールに向かって投げる(入れば得点)
5-1.運んぶ場合は、ゴールに移動してゴールにボールを入れる(得点)
5-2.投げ入れた場合は、2~4-2を繰り返す
6-1.ゴールゾーンからボールゾーンに移動する
7.1~6を繰り返す
競技場に引かれた黒い線をトレースしながらボールが転がっているゾーンに移動することは、おそらく今なら小学生でもできる。
そこから、ボールを認識して掴ませるためには、タッチセンサーや赤外線センサーを駆使して云云とやるか、認識を放棄して一網打尽に回収するかどちらか、というのが主流だったように記憶している。
私のチームは3.で止まり結局スタートできたことに与えられるおまけ得点しか得られなかったが、ボールを正確につかむというのは案外難しい。浜辺のスイカ割りよりも難しい。
さらに高得点を稼ぐには、三色のボールをそれぞれ三色に対応したゴールに分けることが必要だ。
同じ大きさ・同じ形状・同じ重さの色だけが違うボールをどのように識別するか、という命題を解決するため、2002年当時、安価な赤外線センサーだけで実装するのは大学院生でも苦労していた。
白色ダイオードも珍しかった当時、ダイオード光を当てた反射光を赤外線センサーで読むとほとんど同じスペクトラムしか返ってこない。(白黒写真で見ると同じ色彩のグレーに映るのと同じだ)そこで何種類か別の色を当ててセンサーで読ませる、ということをしていたことを覚えている。
それから2年も経過すると、CMOSセンサーが小型化・コモディティ化され、安価にだれでも入手できるようになった。
そうすると、なんということでしょう。
入学したての大学1年生が、CMOSセンサー(ウェブカメラ)を利用して色の識別はもちろん画像処理にも挑戦するロボットを作っているではあーりませんか!!
6年の技術リープ現象を目の当たりにした瞬間でした。
それから月日は流れて、コンデジなどを持つまでもなくスマホやノートPCのウェブカメラなどを通じて、コロナ禍のオンライン会議で更に拍車をかけてCMOSセンサーの恩恵を、世界中の携帯・パソコン利用者が享受している世界が実現している。
さらにディープラーニングなどの画像処理技術の進歩により、ロボットが本格的な「眼👀」を獲得するに至り、大はしゃぎ、というのがCMOSセンサーによるイノベーションを感じる一連の(だいぶ端折ったけれど)流れでしょうか。
ちなにみ私はロボットのガワ屋だった割りにロボット工学の道に進まなかったので偉そうなことは言えないけれど、今どんなにAIが注目を浴びようが、画像処理が高度になろうが、実は”汎用のロボットアーム”を創ることはこれらソフトウェア側の技術進歩よりも遅々として遅く、難しいので、工場の外でシンギュラリティが起こるのはまだまだ先だと思っている。
例えば家事もそうですが、ホテルの清掃スタッフは単純作業を繰り返しているよう見えるけれど、たった”一人”で道具を使って床掃除からシャワールームのような狭い場所の掃除、ベッドメイキング、枕カバーの取り換えをしている。これらは、今のロボット工学では再現不可能だろう。
それはホテルの部屋の作りそのものを、ロボットが清掃可能なように再設計しなければならず、人間が過ごしやすい空間とは全く別なものになるだろうと思うからだ。
サイクロン掃除機がわが家にも来た!
もう一つ、身近なイノベーション。
わが家で愛用の掃除機は、マキタの充電式クリーナー。
これ、充電も高速だし軽いし超快適💛と思っていたのですが、紙パックが無い代わりに、カプセル集塵タイプなので、ごみ捨てが比較的簡単な代償として、フィルターにホコリが溜まりやすくてその都度水洗いする必要があります。
あの有名なサイクロン掃除機は重いし、高価だし、国産メーカーもまだコンパクトで使いやすくて手ごろなサイクロン掃除機が無かったので、半ばあきらめていたところ・・最新のマキタのクリーナーにはアタッチメント一つでサイクロン式になるものがある!と雑誌で発見。
これは、最新のタイプでなくても付けられるのではないか・・とマキタのウェブページを巡回していると、さすがはマキタ! 旧式のクリーナーにも取り付け可能なアタッチメントを販売しているではありませんか!
なんということでしょう~。
集塵の掃除に苦労していたのが嘘のよう、水色のカップをワンタッチで外してポンとゴミ箱に傾けるだけで、くるくるとまとまったゴミが一瞬にして処理できてしまうのです。
そうだよ!これだよ!電子デバイスでもなければ、AIでもない、まさに私が求めていたローテクイノベーションのお手本のような製品💛
さっそくポチって愛用しています。
おまけ:小学生低学年の時、母親の皿洗い家事手伝いをしていて、洗剤が自動的に出てくるスポンジを開発すればとっても楽になるのではないか、と絶対に作るね!みたいな話をして数年後、3Mから石鹸付きのスポンジが既に発売されていて当時の学習意欲を大幅に削がれた記憶がある。
イノベーションってなんだっけ?
個人体験からのイノベーションの事例を振り返りつつ、イノベーションって何かと考えると、誰かの個人にとってのイノベーションは”イノベーション”とは名付けられず、社会に製品として出回るか、知らない間に浸透していつのまにか生活様式に変化をもたらすものが”イノベーション”と名付けられ認識されているのではないだろうか。
イノベーションはどうやったら起きるのか
STEM教育が空疎に叫ばれてプログラミング教室やロボット教室が活況の昨今、かく言う私の倅もロボット教室に通っているが、工学最高!と思って進学先も研究分野も選んできた狭い視野の私よりももう少しアカデミックな引用を引くと(イノベーション関連の読本は巷に転がっているのでここでは言及しない)
2019年に京都大学の数理工学誕生60周年記念事業の一環で、「数理工学の世界」というややマニアックな読本が出版された。そのなかで、イノベーションを起こすためには連続的な思考の延長線上にあるのではなく、ひらめきを得たり、発想を飛躍させる必要があり、そのためには、絶対的に数学が必要だ!という主張にはそうかもしれないと頷く部分が多かった。
ただ私は、世界のどこかで誰かが当たり前のように身の回りで工夫している事のなかで、実はまだ世界に発見されていなくて、一般化されていないだけで、実はとてつもなくイノベーティブは何かが転がっているのではないか。とわくわくすることも愉しみではないかと思う。
そんなことを思いながら、往年のテレビ番組「ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば」に登場していた、ウッチャン演じる「食いしん坊刑事(後の満腹ふとし)」がいつも決まって死ぬ間際に叫んでいた(?)
「この世界にはまだ食べたことのないハンバーガー🍔がまだあるんだろうなぁ。」(かなりうろ覚え)
というセリフをまさにぼんやりと思い出したのであった。
なお、勉強会のディスカッションでは、途上国におけるイノベーションの可能性について議論をしたが、ICTというのは、(農業改革のような比較的大掛かりで村を巻き込むような取り組みや、そこまでいかなくとも土地や機械を持っていなければできない産業とは違って)先進国で学を積んだ2,3人が少数精鋭で始められるため、どの国にもチャンスがあって面白いのではないか。という意見が出て、なるほどなと腑に落ちたディスカッションだった。
最近、開発援助関係の論文を少しだけ読んでいて学んだことは、かつて冷戦時代の上から目線の開発、豊かな国から貧しい国への開発援助という慈善的、垂直的な営みから、現地の市民と一緒に考える、同じ目線で悩みながら、様々なチャンネルを通じた水平的で多角的な知的交流を通じて学び合うという方向があるとういことだ。(参照:国際援助と途上国の国内政治 志賀裕朗)
(2)おわり
次回予告・・スタートアップとAI