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スマートフォンは、手のひらに乗る東京。国際都市は、人を狂わせる。

昨日、あれだけ大口を叩いておきながら、追いで4000円課金をしてしまって、頭を抱えて自己嫌悪に襲われている私です。何回やったら気が済むのでしょうか、私は。呪われているのでしょうか(他責思考)。キャッシュカードを親に預けて、1週間弱謹慎しようと思います。

1.どこに行っても国道にチェーン店が建ち並ぶ、街の中の格差の肥大化

私は、東京住みではないのですが、時折何ヶ月かに一回は、地方都市に足を運ぶのですが、近年は新幹線の利便が良い街、特に必ず新幹線が停まる街は、とても「東京化」、アメリカナイズドされた都市構造になっている気がします。文化的なストロー効果とも言えるかもしれません。

アメリカナイズドといっても、アメリカの都市構造の歪さといいますか、富裕層・エリートのエリア、神社仏閣・博物館や美術館などがある文化的なエリア、少なくなりつつある昔から人が住んでいた下町エリア、そして近年問題になっている行き場所のない困窮した若者が集まるような貧困エリア。

一番最後の、貧困エリア。半ば、ゲットーのようなエリアが出てきてしまったというニュースは、皆さんも聞いたことあると思います。私は、「治安が悪いニオイがする街」からは、なるべく距離を置いています。熊が出る時期に、山に入らないのと同じです。

純粋にお金に困窮していたり、お金でしか自分を充足させることが出来なかったり、いわゆるお金持ちの「お仲間」になりたくてたまらないというような、歪な欲求に駆られている人々は、稼ぐ手段を選びません。彼らは、人生にくたびれてしまったのです。

2.鎖をつけられた自らの欲求の方角は濃霧の中

彼らの病理背景は、恐らく幼少期まで遡ると思います。成果を出さなきゃしばかれる人格に対する成果主義、プレッシャーをかけられる。周りに理解者の居ない環境で育つ、周りから浮く。自分だけ貧しかったり、裕福すぎたり。非常に、苦しい幼少期を経て、何とかしてお金や地位という単純化(定量化)された尺度を同じくして、争いに勝ったり負けたりを繰り返す。

これは、際限がないものです。他人より上に。他人を動かせる立場に。偉くなるために。でも、世間で「野望」「夢」と言われるそれは、背景に悲しい過去があるのです。

ただでさえ、東京は孤独と孤立の街といわれ、何年経ったことでしょうか。ここでさらに、グローバル化が進み、より多くの外国人が流入してきました。彼ら外国人は、別の性質の孤独・孤立を持っています。母国の家族を養うために、日本の大企業や大学に入るために、言葉や人種の異なるところに住むという孤独・孤立です。

様々な、「自分を理解して貰える人がいない、寂しい」と感じている人たちは、失われたローカル・コミュニティやヨコのつながりを、テクノロジーで補填・補完しようとします。つなぎだらけの加工肉のようなジャンクフードが、そこには待っています。

ですが、彼らはその情報のジャンクフードを販売し、情報のジャンクフードを食べ、偏った情報源により脳の生活習慣病を引き起こしながら、やめられないけど死にたくないという不安に苛まれながら、なんとかこのストレスに耐え忍んでいるわけです。
心に余裕も遊びもなく、都市の一隅の檻のような自室、ただそこにあるのはお金だけで、財は持っていても、心の貧困を埋める清らかな水はここにはありません。

3.歪な都市構造が産んだ、沢山の「依存」

これで、キャバクラやホストなどの対人依存、ソーシャルゲームのガチャ依存やギャンブル依存性依存アルコール・タバコ依存や加速する薬物依存などなど、あらゆる依存の根源が見えてくると思います。

彼らは、病的なんです。孤独や孤立が現代社会風土病を引き起こしているのです。依存症は、病気であり、さらに人を病気にします。
患者を診る精神科医や心療内科医も、これに陥っていることもあるでしょう。この災禍を野放しにしていれば、更なる災禍を引き起こすこととなると、個人的には思います。
この依存や依存型ビジネスが前提の世の中においては、猛烈な速度でこの情報の伝染病は拡がります。コロナウイルスをも凌駕しています。依存が度を越したら、命に関わるという意味では、同じ致死性があります。

4.無理して自分の中の良い子を演じると、自分の中の悪い子が暴走する

良い子で居ないといけない、社会に虐められないために。ペルソナを何重にも被るために。その代償として、自虐的かつ躁うつ的なふるまいをし、やがては他虐・嗜虐性の穢れを負っていくのです。SNSの荒廃はご存知の通り、インターネットの治安は、匿名掲示板の方が今や良いとも感じます。

何故ならば、そのままの自分を表出し、受け入れてくれる場所が、リアルにはなく、ましてや働き詰めであればオアシスを探す時間もなく、ただただ手近な即物的欲求を探す、嘘偽りのオアシスに希望を求め、落胆してはの繰り返しなのです。

やたら、気味が悪いほど、取り調べでもないのに「黙秘する若者」の正体は、暴走した個人主義や自己責任論の餌食にならないように、目眩しをさせるための、「生存戦略」なのです。
そこに脳のリソースを使っているから、他のところのパフォーマンスが落ちるんです。でも、社会形態の変容とともに、脳の使い方の偏りが変わっていくのはいつの時代も同じです。
であるから、最近の若いモンはどうたらこうたらと講釈垂れ流すのは、年寄りが過去を見過ぎているからで、「Z世代」とやらが史学の切り抜き・パッチワークをして好き放題解釈しているのもまた、年寄りも同様なはずです。

5.都市的な煩わしい欲は、スマートフォンによりどこへでも伝播する

もう、お分かりの通りだと思いますが、都市的な商売、感情と欲の負のループを情報感染症として、拡めるツールとして、スマートフォンがもはや存在するような有様です。
都市でトップにのし上がっても、心に余裕がないまま、心に闇を抱えたまま、お金の為なら手段を選ばなくなってしまった人々の商売や、その顧客の負の念が、全国どこでも受け取れるようになってしまっています。

雑念どころか、地獄絵図のような混沌の背景には、人間の人間による根本的な問題が未解決であるから、ともいえます。このような状態であるから、AIなどの自動化、デジタライゼーションを徒に推し進めても、逆に問題を複雑化させるだけです。

我々に出来ることは、地に足つけた、泥臭い個人的な問題を、社会全体に敷衍して鳥瞰することで、問題意識の共有と解決策の模索へ、舵を切ることでしょう。

今日も、拙文失礼いたしました。

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