音楽のジャンルについて―― #1 我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか
2024/11/18 23:50
ほんの少しだけ個人的な話をすると、私はコロナ全盛期に就職、県をまたぐ引越しをすることとなり、また行動が大幅に制限される職業でもあったため気づいたらリアルでの人との付き合いというものがほぼ皆無になってしまっていた。そんな状態がもう3年ほど続いているのだが、幸運にもネットで知り合った愛すべき友人たちに支えられながらこれまでどうにかやってこれた。しかし同時に、視線の合う、肌の触れ合うコミュニケーションのない日々の中で、これまで味わったことのない孤独感に少しずつ蝕まれていたのかもしれない。そして今、私はまた自ら孤独を選ぼうとしている。
そうだ、音楽の話をしよう。
前にも書いたが私は大学でジャズサークルに入りウッドベースを弾いていた。本当はトランペットがやりたくて入ったはずだったが、勧誘に来ていたベースの先輩が可愛かったからベースにしたのだ。所詮音楽をやる動機なんてそんなものだったのだろう。
にもかかわらず当時は軽音部にだけは絶対に入ってたまるもんかと息巻いていた。一通りグランジからオルタナ、ガレージロックリバイバルを通過し、オーソドックスジャズを聴かずしてエレクトリックマイルスに邂逅した私は愚かにもジャズの何たるかまで分かったつもりになっていた。だから新入生歓迎ライブでSmells Like Teen Spiritを演奏する軽音部の学生たちを見て腕組みをしながら苦笑したものだった。いつまでそれをやってるつもりだ、と。
ダサかったのはどっちだろう。
何が言いたいかというと、私はもっと話すべきだったのだ。愛すべき友たちと、自分の好きな音楽について、好きな映画について。どうせ理解してもらえないからと勝手に諦観せずに。変わってなかったのだ、あの頃から私は。ダサい、非常に。
「好きなジャンルはEDMです」
上の画像はEDM系DJ御用達の楽曲ダウンロード販売サイトBeatportのトップページをスクリーンショットしたものである。小さくて見づらいかもしれないが、所謂ダンスミュージックと呼ばれるもののジャンルが細分化され並べられている。
テクノ、ハウス、エレクトロくらいなら聞いたことがある人も多いだろう。しかしそもそもそれらが正確にどういう音楽を指すのか答えられる人はどれだけいるだろうか。そこに並ぶ項目を見れば多くの人は「〇〇テクノ?〇〇ハウス?そんなに分ける必要ある?え、テックハウスってテクノなのハウスなのどっち?」といった具合に混乱すること必至であろう。かく言う私もこの画像にあるジャンルを全て知っているわけではない。しかしほんの少しだけDJをやったことがあると話すと、決まって人はEDMの話をする。私はEDMは基本的に聴かない。だからそんな時私は非常に困ってしまう。「好きなジャンルは」の後に言葉が続かないのだ。
ロックにハマったことのある人なら一度は思ったことがあるのではないだろうか、「ジャンルなんて関係ない、良いものは良いんだ!」(これでスネークマン・ショーを思い浮かべた人は私より大分年上である)。こうした姿勢は「公正公平な」立場から音楽を判断するには確かに重要そうではあるが、歴史という人間にとって最も重要なファクターが抜け落ちてしまいがちである。ロックにも歴史がある。先日ウェイン・ショーターのドキュメンタリーを観ていると、「ジャズとは何か?」という問いにセロニアス・モンクが「自由だ、それ以上はややこしい」と応えたというエピソードが紹介されていた。モンクの応答と上のロックンロール少年のそれとは何が違うのか。非常に難しい問いである。また追って考察したい。(Amazon primeなので期限が短いかもしれないが、「ウェイン・ショーター:無重力の世界」が公開されているので一応リンクを貼っておく https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0BX3YT161/ref=atv_dp_share_cu_r)
最近は配信サービスで音楽を聴くことが増えているのだが、Spotifyは上のように「ジャンル」を提示してくる。「いや、それはジャンルじゃないでしょう」という反論が来るだろうが、これが今の音楽の括り方なのだ。画像には写っていないがこの下にはちゃんと「ロック」や「ジャズ」、「クラシック」と既存のジャンルが並んでいる。ダンスミュージックにおける果てしない細分化と、配信サービスにおける煩雑な内包化。分類学の祖であるリンネが見たら卒倒しそうである。
さて、あなたの好きなジャンルは何ですか?
では口直しに、ウェイン・ショーターの名盤Speak No Evelから”Infant Eyes”を。これはまあ、ジャズであろう。
我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか
ポール・ゴーギャンは印象派の文脈に属しながらもそれを否定し、ポスト印象派、キュビズムなどの前衛芸術の先駆けとなった、などと書くとうんざりして読むのをやめてしまう方もいるかもしれない。我々は区別することをやめることができない。それはほとんど神経症的だと言ってもいい。と同時に区別されることを極端に嫌うこともある。これは違う、これは同じだ、これはこっち、これはあっち。ミシェル・フーコーが『言葉と物』で挙げている中国の百科事典の例は、実は我々と地続きなのだ。そしてさらには、認めたくないだけで、誰も皆リンネであると同時にシュレーバーなのである。
最初に音楽を奏でたのが誰かはわからないが、そのときおよそジャンルなんてものはなかったことは間違い無いであろう。持っていた石を落として、それが別の石に当たりその音が洞窟内に反響したのかもしれない。しかしそれに対して「これはエレクトロ・アコースティックだ!」とは思わないだろう。ならば音楽のジャンルについて堂々巡りしている私はどこから来て、どこへ行けばいいのだろうか。
所謂前衛と呼ばれるジャンルのひとつ、エレクトロ・アコースティックが原始的な音楽と接近しているのは偶然ではないのであろう。それを複雑化した音楽記号からの脱却の試みなのか、音響-ノイズすらも記号化しようとする神経症的なプロセスの延長線なのかは未だ分からない。ただ2024年現在多くのソフトウェアが音響処理に力を入れていることは事実である(アンプシミュレーターの台頭、コンボリューションリバーブやIRシステムなどの一般化等々)。
話は逸れるがアンビエントミュージックが登場した時と少し似ている気がする。作品を作品として提示しないことが、逆にその独自性を際立たせてしまうこと。Brian EnoのAmbient1を「環境音」として聴く者は少ないだろう(いや、いるかもしれないか…)。
音楽のジャンルの話をするのに、なぜこんな面倒な話から始めたかというと、今自分が何を聴きたいのか、何をしたいのかが分からなくなっていたからだ。聴きたいものが明確にある場合はよい。そうでない場合は、Spotifyを立ち上げ提示されたお薦めのプレイリストを適当に流すか、自作のプレイリストを流すか、さもなくば聴きたいジャンルを探す訳だが…。そう、ジャンルだ。最近よくタイプするのはelectro acoustic、avant jazz、post rockあたりだろうか。しかし中々ピンと来るものがなかったりする。音楽との出会いなど元々そんなものなのかもしれない。
今、私は新しい音楽に出会いたい。それが何と呼ばれるのか、分からないのだ。
Kid Aに出会った時の、エレクトリック・マイルスに出会った時の、Tortoiseに出会った時のあの感動を、もう一度味わいたい。
そんなことを思いながらつらつらと駄文を書き連ねつつ、次回からは音楽のジャンルを少しずつ紹介していきたいと思う。そんなコラム、エッセーにする予定である。まあ継続できたらね。