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黒猫と魔女とよそ者

 私は魔女の肩の上に乗っている黒猫である。名前はあるが、まあ特に重要ではないので省くこととする。
 私は使い魔で、私の主人である魔女にも名前がある。が、それを明かすわけにはいかないので魔女と呼ぶ。古くから、人知を越えた力を奮う者は名前を明かすと力を失うと言われている。私が魔女の名前を知っているのは、彼女が幼い頃、先代の魔女の元で修行をし始めた頃を知っているからに過ぎない。当代の魔女も先代からきつく言い含められ、名前を言わないように努めているので、私が勝手に暴露してしまうわけにはいかないのだ。
 さて、そんな私の主人は最近少々悩みを抱えている。
「まーじょーさーん! 今日こそ俺を、この村の一員にしてください!」
 開いた窓枠に腕を乗せ、庭からにこにこと話しかけてきたのは短い髪の快活な印象のある青年だ。
 魔女がきっと眉を吊り上げる。肩の上という至近距離がゆえに、見えないけれどその気配は濃厚に感じられるのだ。
「また来たのか、何度言われても同じだよ」
 魔女は少年を睨みつけると鍋の中身の調合に戻った。彼女が手の平を上に向けると、魔女見習いのアンが次の薬草をそこに乗せた。ゆるい三つ編みをふたつ垂らしたアンはまだ幼い少女で好奇心が旺盛だ。一生懸命魔女の指示に従いながらも、青年が気になって仕方ないようでちらちらと窓へと目をやっている。
「でも俺は、どーしてもこの村の人と結婚したいの!」
「何度も言っているけれど、この村は村の中でだけ婚姻を結ぶことを三百年以上続けてきている。村人の情報は全て代々の魔女が引き継ぎ、この家系はどんな薬がきくか、どんな病気になりやすいか、全部分析しているんだ」
 だからよそ者を受け入れるわけにはいかないんだよ、ともう何十回と繰り返した話を魔女は言った。うんざりとした気配を隠しもしない。実際このやり取りはもう一ヶ月も毎日繰り返されているのだ。
 だが少年はちっとも懲りていない笑顔を向ける。
「俺はあきらめない! 魔女さんがオッケー出してくれるまで通い続けるよ」
「何度来られても答えは一緒だって言っているだろ」
 いらいらと返答する魔女を見て、アンが困ったように少年と師匠の顔を交互に見る。ふと、私と目が合ってすがるように見つめられるが、しょせん私の仕事は貴重な薬品などをいじるネズミを退治することくらい。期待されても困る、と私はあくびをしてみせた。
「どうしてもって言うんだったら、先祖の骨でも持ってきな。分析して、相手の娘との相性を見てやるよ」
 魔女の言葉に、青年は頬をふくらませて「俺、捨て子だから、そんなのわかんないよ」と言った。魔女ははっとした顔になると「悪かった」とすぐに謝った。途端、青年の顔がぱっと華やぐ。
「悪いと思ったなら村の仲間に、」
 みなまで言わせず魔女が勢いよく窓を閉めた。外からわあわあと喚く声が聴こえるのを、アンが指差し「いいんですか、ジオさん放っておいて」と魔女に尋ねた。魔女はため息をつく。
「放っておきな。そのうちあきらめて帰るだろう。……まあ、また明日来るかもしれないが」
 魔女が薬を煎じる作業に戻るが、アンはまだ窓の方を気にしている。
「……お師匠様は誰だと思います? ジオさんのお相手」
「まだ結婚していないのは肉屋のメアリー、あとはトムのところの孫のミネルバあたりかね」
「でもメアリーさんは新しい肉料理のメニュー開発に夢中で浮いた噂ないし、ミネルバさんは次の春に町の学校に入学しにいっちゃうでしょう?」
「さあ、どうでもいいね……アン、あんたはおしゃべりなところを直さないといつまでも私の跡を継がせられないよ」
 さっさと次の葉を取ってくれる、と声をかけられ、アンは慌てて取ってきた薬草が入ったボウルを取りに駆け出していった。
「……お師匠さまー、次どれでしたっけ」
「同じ青色でも少しずつ違うだろう?……いいかいアン、先代の魔女の教えは『わからなかったら誰かに聞いて、誰かと一緒に考えろ』だと私は確かに言ったが、すぐあきらめろとは教えていないよ」
 アンが誤魔化すようにえへへーと笑うのを見て、仕方ないやつだと魔女はボウルから葉を摘みあげた。そうして鍋をかき混ぜながらぐつぐつと煮立つ水面をじっと見つめている。私はにゃあんと鳴いてみせたが、魔女は特に反応することなく、視線も逸らさなかった。
 
 
 翌日、できあがった薬を持って、魔女は村の最年長ユグノーの家へと向かった。腰が痛いので腰痛に効く薬を、と注文を受けていたのだ。
「あなたのおじいさんにも渡したのと同じ調合をした薬だからよく効くと思うよ。また何かあったら」
「ありがとう、エリちゃん」
 ユグノーは魔女に向かって礼を言った。彼も魔女になる前の魔女のことを知っているので名前ももちろん知っていた。まあ、愛称で呼んだのでセーフだろう。
「最近、エリちゃんのところに出入りしている若いよそ者がいるらしいね。ジオだっけ?」
 村中その噂で持ちきりさとユグノーが笑う。魔女は顔を露骨に引きつらせた。
「どうして知っている?」
「ジオが泊まっているのは、おれが倅と嫁に譲った宿屋なんだよ。毎夜魔女を説得できない愚痴を聞かされるらしいよ」
 魔女は返す言葉もなく頭を抱えている。魔女の珍しい様子に、ユグノーは少し楽しそうだ。
「よそ者を迎えた前例がないわけでもないだろう。許してやればいいんじゃないのか?」
「簡単に言ってくれるな、ユグノー。忘れたのか? 前の流行り病のとき……」
「もちろん、覚えているさ。エリちゃんのご両親のことだもの」
 だったら、どうして。か細く言うとあとを続けられず、魔女は俯いた。
「あの後、エリちゃんが魔女になりたいと言い出したときには驚いたものだったよ」
 それは私も覚えていた。周囲はまだ幼かった彼女に、もう将来を決めていいのか何度も尋ねたのだ。だが、彼女は頑として意見を変えず、先代の魔女に繰り返し頼み込んだ。
 どうか、私を魔女の弟子にしてください。
 あのときの彼女の切実な声を、決意に満ちた瞳を覚えている。
「最近、他の村や町からの流入者が多いと倅が言っていたよ。大きな街道ができて、ここに来るのも困難じゃなくなったからねえ。ジオだけでなく、結婚という理由だけでなく、これから先も村の一員にしてくれという人間は増えるだろう。ジオを突っぱねったって遅かれ早かれ似たようなことは起こるよ」
 時代の流れだ、とユグノーは言って深く何度も頷く。
 魔女は結局、何の言葉も返さなかった。
 
  
「あっ、魔女さんだ! 会いにいかなくても会えるなんて珍しい!」
 夕暮れ時、ユグノーの家からの帰り道、ジオに遭遇した魔女は「げっ」と喉の奥から妙な声を上げた。
「お前、どうしてここに」
「宿に戻るところなんだ」
 そういえばユグノーの後を継いだ宿屋に逗留していると言っていた。魔女はちっと舌打ちをする。別の道を通ればよかったと考えているのだろう。
 またやってる、懲りないね、とその様子を見ていた村の娘たちが囁きあい、ふたりの傍らをくすくすと笑いながらすり抜けていった。噂話にされると思ったのだろう、魔女は頭痛がするように額に手をあてて歯噛みした。
「……もうかれこれ一ヶ月以上は村で私に交渉に来ているだろう。宿代だって馬鹿にならないんじゃないのか」
「あ、やっと俺に興味持ってくれたね。俺、大きな街の薬屋なんだ。ここの村長に許可もらって、アンちゃんに魔女さんが管理している森の部分を教えてもらって、それ以外のところで薬草採集してる。一応、仕事で来ているから宿泊費は必要経費なんだよ」
 この村の森ではいい薬草が取れる、とジオが屈託なく笑う。なるほど、その仕事の間にどこかの娘を見初めたのだろうと魔女は得心がいった。
「というわけで、魔女さんが了承してくれるまでこの村に滞在するくらいの資金はあります!」
 胸を張るジオに、魔女が深くため息をついた。
「……わかった。そこまで言うなら聞かせてやる」
 ついてこい、と言うと魔女はさっさと歩き出した。ジオが戸惑いながらもとうとう認めてくれるのかと慌てて付いてくる。私は魔女の歩調に合わせて揺れる振動を感じながら、流れていく景色を見つめた。人々の姿がなくなり、村の端へと進んでいく。
 やがて魔女がジオを連れてきたのは、荒れ果てた小さな家だった。
「ここは?」
 無邪気に尋ねるジオに、魔女は「私が魔女になる前に暮らしていた家だ」と言った。
「私の父もよそ者だったんだ」
 彼女の両親は、村の者とよそ者のカップルだった。先代の魔女はよそ者の青年の熱意に負け、ふたりの結婚を許した。村の者たちも祝福した。時代の流れはこのときから既に始まっていたと言える。これからはよそ者も受け入れていくべきだと、そんな空気ができあがっていた。ふたりの子どもの魔女ーーこのときはまだ魔女ではなかったがーーも生まれ、幸せに過ごしていた。
 だが、魔女が物心ついた頃に流行病が起こった。旅の者から移ったらしいその病は村の者にとっても脅威だった。先代の魔女は必死になって薬をつくり、なんとか村人に効く薬を作った。
 しかし、よそ者だった青年にはどうしても薬が合わなかった。青年……魔女の父は流行病によって亡くなり、それに意気消沈した魔女の母も心身を壊し、まもなく亡くなってしまった。魔女は流行病にかからず生き延びたが、天涯孤独の身となった。
 魔女が淡々と語る間、ジオは一言も口を挟まなかった。
「私は先代の魔女から手解きを受け、跡を継いで魔女になった。そして、よそ者は二度と村の仲間にしないと誓った。私の父や母、私のような者を二度と出さないためだ」
 先ほどのユグノーのように、時代の流れを指摘する者もいた。魔女を説得しようとする者もいた。けれど、紛れもなく被害者だった彼女の言うことをひっくり返せるほどの者はいなかった。魔女は旅の者を受け入れることや、村の外と交易をすることも嫌がったが、それはかろうじて続けることになった。村の中だけでは供給できない物質もあるし、何より、魔女は村の中の人間にだけは効く薬は作れるのだ。次に何か新種の病が流行っても、村の中の人間は魔女が守れる。
「でも、村の外の人間は守れない」
「……それって、俺のこと?」
「お前も、もしかしたらお前の子どもも、だ」
 よそ者にも、よそ者の血を引く子どもにも有効な薬が作れるかわからない。この村で先祖代々ずっと暮らしている村の中の人々と違って、圧倒的に情報が少ないからだ。
「だから、よそ者を受け入れるわけにはいかないってこと?」
「私はお前や、お前の子どもに対して命を救ってやれる保証ができない。お前の相手の女も、結果的に悲しませることになる」
 ジオの問いかけに、魔女は静かにそう返した。ジオは少し考えると、魔女を真っ直ぐに見つめた。
「……それは、俺が『それでもかまわない』って言っても?」
 魔女はその瞳を見つめ返すと「ああ」ときっぱりとうなずいた。すると、ジオが今まで見せたことがないほど粗野な態度で鼻を鳴らした。
「なんだそれ」
 予想外の心底呆れ果てた声に、魔女がびくりと肩を揺らした。
「なにひとりで全部背負った気でいるんだよ」
「……実際、私はこの村の命を預かっているんだぞ」
「だからって、俺が、この村に関わる人が、この村の人が……どうしたいのかは無視なのか?」
 木々を風が揺らし、もう誰からも顧みられなくなった家の残骸を揺らす。ジオが風に髪を煽られながら、激しい大声を出した。
「あんたはいったい何を守ってるんだ!?」
 魔女がはっとして顔を上げた。だが目の前にもうジオの姿はなかった。彼は魔女の横をすり抜けると、あっという間に元来た道を駆け戻っていってしまった。
 人の気配のなくなった森の中、魔女は呆然とその場に立ち尽くしたまま動かない。木枯しが魔女の衣装をばたばたと揺らす。
「……なあ、寒いんだが」
 ぽつりと声をかけると、魔女がきょろきょろとあたりを見渡した。私は肩から飛び降りると、彼女の顔を見上げた。迷子の子どものような瞳と目が合う。
「よもや、私が話せることを忘れてはいないだろうな?」
「……忘れていないけれど。ずうっと黙っているから、忘れかけていた」
 私から話しかけるのは彼女が魔女を受け継いだとき以来だ。魔女がまだ魔女の弟子だった時分にはよく話をしていた。そのせいか、どうにも私と話しているときには地が出やすいらしい。魔女にも村の人々に対して威厳が必要であろうと、あまり話しかけないようにしていた。
 それに、私が口を出すものでもないと思っていたのだ。
「図星を言い当てられて、言葉もない、と言ったところか」
「……久しぶりに口を開いたと思ったらお説教?」
「主人があまりに不甲斐ないと、使い魔の甲斐がないだろう。怖れに立ち尽くして自分を守っているようでは魔女の名が泣くぞ」
「どいつもこいつも、私がいったい何を怖れているって言うんだ!」
 魔女が涙目になりながら喚く。こういうところは薬草が見分けられなくて先代の魔女に怒られていた頃と変わらない。決して泣きはしないように耐えるのは得意だが、目に張った涙の膜は誤魔化しがきいていなかったものだ。
 私は端的に言ってやった。
「加害者になることを、だ」
 魔女が息をのむ。
 魔女は誰かを救えないことを怖れているのではない。救えないことで、自分が手を下すことになってしまうことの方を怖れているのだ。
「お前が弟子にしてくれと言いに来た日を覚えているよ。お前は、どうか私を魔女の弟子にしてください、と言って、その後こう言ったな」
 いつか、みんなを救えるようにしてください。
 そのみんなにはきっと、自分の母も父も、ジオも、まだ見ぬ村の外の誰かも含まれていた。
「なのに今のお前ときたらどうだ。『みんな』の範囲を狭めることに躍起になっているだけ。両親の死に泣いていた小さな子どもだったらそれでもいいだろう。慢心を呼び込まないための怖れならば必要だろう。だが、お前はもはや立派な魔女で、もう怖れを克服する方法くらいわかっているだろうに」
 魔女は私の方を見ない。ぼうっと、誰ももう住まなくなり手をかけなくなった家とも呼べない残骸を見つめるだけだ。
 私は踵を返し、先に帰ることにした。魔女は私を呼び止めなかった。
 
 
 昨晩遅くに戻った魔女は、今朝は不貞寝を決め込んだらしい。アンが心配して、軽めの朝食を用意し、さらに魔女が自らが調子を崩したときに作っておいた薬を持ち出しいろいろと並べてみたようだが、魔女には無視されたそうだ。またもアンは助けを求めるように私をすがるように見た。
 夕方近くになって魔女は起きてきて、いつものように鍋に向かい薬を煎じ始めた。私はにゃあんと鳴いて魔女の肩に乗る。恨み言のひとつでも言われるかと思ったが、何も言われなかった。
「魔女さん」
 少しだけ開いていた窓から、平素の態度が嘘のように遠慮がちにジオが顔を覗かせた。魔女は鍋を見つめる視線を上げない。ジオが頭をかくと、そうっと口を開いた。
「その、昨日はごめんなさい」
「……別に。謝られるようなことはない」
「あれから俺、いろいろ考えたんだけど」
 ジオが彼にしては珍しく、考え考え言う。
「使いっ走りだけど、一応薬屋で働いているし……別の地方の薬草とか、調合の知識もあるよ」
 魔女が訝しげに顔を上げた。ようやく、ふたりの目線が合う。
「なんの話だ?」
「俺の話。ていうか、俺と魔女さんの話? いや、もっと広い話かも」
 ジオが首を傾げて逆に尋ねてみせる。魔女は視線で続きを促した。
「先代の魔女の教えって、『わからなかったら誰かに聞いて、誰かと一緒に考えろ』なんでしょ」
「なぜ知っている?」
 ジオが視線を部屋の奥にやる。見られたアンが慌てて私の方を見る。魔女に無視され弱り果てたアンに、ジオに会いにいくよう促したのは私だった。
「本当におしゃべりな弟子とお節介な使い魔だな……」
 魔女が呆れたように言ったが、いつもの辛辣さは幾分か薄れていた。
「先代の魔女がそんな教え残したってことはさ。ひとりでなんとかしようとしちゃったなーって後悔してたんじゃない?」
 魔女がジオの方を向く。
「俺と一緒に考えようよ。俺だけじゃない……村の中の人も、外の人も一緒にさ。考えさせてよ、魔女さん」
 ジオの真摯な言葉に、魔女が深く、深くため息をついた。
「……わかったよ。よろしく、ジオ」
 魔女がジオに向かって手を差し出す。アンが喜色満面に拍手をした。ジオが照れたように頬を染め、その手を握り返した。
 握手を離すと、「さて」と魔女が声をあげた。
「村長にも確認しなければいけないが……とりあえず、お前は村の中の人間と結婚したいんだったな。相手は誰なんだ? 名前を教えろ」
 諸手をあげて叫ぶかと思われたジオは、何やら頬をかいている。
「うーん。実は名前知らないんだよね」
「はあ? じゃあ、相手とは恋人というわけでもないのか?」
「そう。薬草取りに森に行ったときに見かけて、まあ」
「それで結婚だの村の仲間にしろだの騒いでたのか? 呆れた話だな」
「村の仲間になりたいのは本当! もう街の薬屋に連絡して、ここに住んで出張所扱いにして薬草を採集して街に送るだけで仕事が完了する手配はつけたし」
「外堀を埋めるのだけは異様にうまいですね……」
「アンお前は黙ってろ」
「とりあえず、魔女さんの名前を教えてよ」
 魔女は心底どうでもよさそうに、なんでそうなるんだ、と返した。アンと私の視線がジオに集まる。ジオは肩をすくめてみせた。
「それに、教えるわけがなかろう。魔女は本名を名乗るわけにはいかないんだ。力が使えなくなると言われている」
 だからアンが後を継いで魔女になった暁には名前を呼ぶなよ、と続いた言葉を聞きながら、ジオは何やら腕を組んで唸っている。
「それさあ。本当に使えなくなるの?」
「は」
「使えなくなった魔女っているの?」
「いや……誰も名前を教えたことがないからわからないが……」
 魔女が戸惑ったように視線を泳がせる。ジオは矢継ぎ早に続けた。
「例えば、名前を教えて力を使えなくなったら、名前の方を変えればいいんじゃないの? 俺の街では自分の名前が気に入らなかったら審査して通れば名前を変えられるよ」
「それは……」
「どんなに当たり前だと思えることだって、本当は当たり前なんかじゃないかもしれないよ」
 答えられなくなった魔女にジオは満面の笑みを浮かべ、溌剌と言った。
「というわけで、名前教えてよ魔女さん!」
 あたふたとし出した魔女は勢いよく窓を閉めた。威勢のいい音が響く。
「なんなんだあいつは!」
 喚く姿は最初にジオがやってきて村の仲間にしてほしいと言ったときの態度と同じで、私はやれやれと前足に顎を乗せた。
「お師匠様、もう少し周りをよく見ましょうよー」
「いいから今日の作業だ! まったくお前は余計なことばかり!」
 魔女のアンへの小言を聞きながら、瞳を閉じる。また魔女が聞く耳を持たなくなったら助言してもよいが、基本的には私はただの黒猫なのである。猫は黙って、眠ってそこにいるのが筋というものだろう。
 魔女の悩みはもうしばらく続きそうである。

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