お祈りじゃない
学習支援のボランティアを始めて、あと半年で10年になります。
約10年前、転職して時間を持て余し、ボランティアを始めたのです。
そして私にはその頃もうひとつ、習慣になったことがありました。
烈車戦隊トッキュウジャーを見ることです。
生活リズムを整えるため、日曜日も平日と同じ時間に起きよう!と思ったのですが、何か目的がないと難しかったのです。
たまたま見て、面白かったのでトッキュウジャーのために起きることを習慣化することにしました。案外、特撮について子どもたちと話が合うようにもなりました(笑)。
そして10話「トカッチ、夕焼けに死す」が、魂にぶっ刺さってしまいました。
この回は人気が高い回なのでぜひ見てほしいんですが、どうしてそんなに刺さったかというと、私もこの回のゲストとして出てくる野球少年と、同じことを思ったことがあったからです。
一生懸命の中身
私はかつて、本を読むのが好きな超インドア派の学生でした。
なのになぜか、大学に入学したときに急に思い立ってがっつり運動系の部活に入りました。
言われるがままに準備をして、基礎練をして、筋トレをする日々。
ある日、全体ミーティングが行われました。
先輩たちが今年の戦い方を話し合っています。
「ディフェンスは下がってしっかり守る?それなら1対1の練習をもっと増やそう」
「いや、全員がふたりの敵を必ず見て、ボールを持った人がいたらすぐに対処する方がすぐに攻撃に移れる。攻守の切り替えを早くする練習をたくさんしたい」
私はぽかーんとしてそれを聞いていました。
意見を求められたけれど、何も言えません。
びっくりしていました。
そして自分の勘違いに気づいたのです。
私はそれまで、スポーツというものについて、漫画やドラマの中の世界しか知りませんでした。
フィクションの中では、主人公にはたいてい何か悩みがあります。
コーチとか、先輩とか、何か特別な人に含蓄のあることを言われ、または仲間とぶつかりあって、悩みがなくなります。
すると、メンタルが上向きになり、勝つぞ!と祈ります。
そうすると勝つ。そして、いい感じのクライマックスを迎える。
なんだか現実も、そういうものだと思っていたのです。
創作物の読みすぎ、現実と区別ついていなさすぎ、と言われれば返す言葉もありません。
でも私は、本当にそういうものだと思っていたんです。
一生懸命祈れば、最後には勝つんだと。
でもそうじゃない。
現実では、走り込みをしないと体力はつかないし、意識しないと筋トレは効果がない。
戦術があり、それに基づいた練習があり、そしてそれはひとつひとつ、クリアしていくしかない。しかも、どれだけクリアしても勝利は約束されていないのです。
ぼけっとしていた自分に愕然として、これから待つひとつひとつの練習に、途方もなさを感じてへなへなと座り込みそうになったことをよく覚えています。
でも、解像度の低い事象についての理解って、案外みんなそんなものじゃないでしょうか、なんて。
お祈りじゃない
そうして、学習支援も同じかも、と思ったのです。
私はどこかで、一生懸命やれば、それでどうにかなる気がしていました。
子どもたちには何かしらの抱えている悩みや、それぞれ持つ障壁があるのでしょう。
しかし、学習支援をすると、その悩みや障壁について相談してくれて、話すとスッキリして、あるいは障壁が取り除かれて、やる気になって勉強してくれて、夢や希望を見つけてくれる、みたいに。
そんなことが全然ないかっていうと、まあ、全くないわけではないですが……。
飲むだけでよく効く薬、特効薬みたいな。そういうものだと思ってたのです。
でも、それはお祈りです。
一生懸命やる、その中身はひとつひとつ考えないといけないし、それは常にブラッシュアップされていかなければいけない。
毎回、約束の時間にはきちっと行く、遅れるなら連絡する。
その日のその子の様子を見て、お話しをしたり、勉強をしたり、しなかったりの判断をする。いろいろな声がけを試してみる。
ときにはテンションを合わせてみたり、あえて合わせなかったり。
いついつまでにこれをやって、ここまでできるといいな、この様子では今日はここまでかな。だったら次は……と考える。
その子が今ぶつかっている問題はなんなのか。やりたい、と思ってることについて、課題はなんなのか。それは個人でなんとかできるのか。どれくらい手を貸してあげる必要があるのか。それはカコタムの資源で可能か。
子どもたちと共有することもある。確認することもある。しないこともある。
全部、子どもたちの様子や言動を見て、考えて、判断します。
いつかの部活でのミーティングのように、脳内ではいつも、こうだからこうする、という裁定を下しています。
お祈りじゃないからです。
エピソードもストーリーもその子のもの
この10年、カコタムで学習支援をしていると、しばしば取材をお受けすることがありました。子どもたちに混じって、私も何度かインタビューされることがありました。
すると、よく聞かれました。
「子どもたちとのエピソードで印象的なものを教えてください」
って。
わかります。取材をするなら物語が必要ですよね。
私たちと関わったことによって良い方向に向かった、こんな変化があった、みたいなストーリーが。
でも、いつも首を傾げてしまいました。記者の方がいい話が聞けず困っているのがわかっても、こればかりはどうしようもない。
エピソードらしいエピソードなんて、ある方が珍しい。
わかりやすいストーリーなんて、描けないのです。
ただ、毎回毎回「勝負!」と思ってやってきました。
……たまに、やらかしたな、ってときももちろんあります。
素の自分のコントロールが効かなくてテンション高すぎた、しゃべりすぎた、疲れていてどうしても元気が出なくて逆にダウナー過ぎた、初回の子どもを任せてもらったのに、いつも来ている子とばかりしゃべっちゃった、教え方まずかった、あれは正しくなかったかもしれない。
でももうそれは、次に活かすしかない。だったら続けるしかありませんでした。
その子どもにとっては、一回きりの、すごい勇気を持った参加だったのかもしれない、ということは忘れずにいなきゃいけないけれど。
ただ逆に、子どもたちの方は何かしらエピソードを語ってくれることがあるので、私たちはただ粛々とやっていたことが、彼らにとっては特別になることがあるのかもしれません。
でもやっぱり、それは子どもたちの方の物語なんですよね。
私たちはお祈りじゃないことを続けるしかない。
ボランティアなのにそこまでやるの、と思われるかもしれないけれど、たぶん、逆にボランティアだからだと思います。
お仕事だと費用対効果とか、ここでやめておかないと後が辛いとかそういうことを考えます。
自分にとっては余暇で、いろいろ考えることを楽しんでいる部分があるからできているのだと思います。
というわけで、今日も続けます。
今年も、来年も。というわけで簡単ですが、今年……というか、この10年の振り返り、でした。
Kacotamは今月、アドベントカレンダーを更新していました。
メンバーのいろいろな思いが読めるものになっていますので、ぜひ。