メディアに踊らされないために
日銀の黒田東彦総裁が6月の参院財政金融委員会で、「家計の値上げ許容度が高まっている」と発言して波紋が広がりました。
正しい知識をもって
黒田総裁のいう「家計」って、国民・庶民の暮らしを知る月々の「家計(簿)」と同一なのでしょうか。テレビ報道を中心とするメディアは、こぞって黒田総裁が「金銭感覚が庶民とズレている」指摘を続けました。
黒田総裁が財政金融委員会で家計(簿)に言及するとは、私には到底考えられません。資金循環統計等でいう日銀が公表する家計とは、個人資産を表す「家計部門」であり、家計統計と理解します。
そのようなことを理解せず、単に、字面だけを取り上げて批判を続けるメディアの姿勢には、甚だ疑問です。
議員がメディアに怯えている
最近の日本は少数の執拗な固執した大きな声をまるで全体の意見かのように報じたり、国家的なイベントでも妥協しまくって結果中途半端なものが仕上がり、皆が不満足になっているように感じます。
少し話が逸れましたが、私が言いたいのは、政治・経済・金融に関するリテラシーが低下していないか?ということです。メディアも個人も。否、低下しています。
言葉尻を捕らえて批判することは容易です。しかし、批判が目的となっていて、なんの問題解決になっていないことを憂慮します。
そのためには、聞く側が「何が正しいのか」を理解し、分からないことは正確に調べることです。そこにもリテラシーが求められます。
一方、発言する側にも「強靭な耐力」が必要です。正しいことを発しているなら、怯える必要はありません。最近の国会議員は、あまりにメディアの反応を意識しすぎです。もしかすると、自身の発言に自信がないから、怯えるのでしょうか。
ましてや、日銀の総裁まで、自身の発言を「お詫び」するというお粗末な事態。
求められること
発言する側には、論拠と自信。
聞く側には、正しい知識とリテラシー。
どちらもお粗末になっていることが、心配でなりません。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
・マスメディアのこと
・ミスコミュニケーションのこと
ほか、日本で起こっている「経済」「行政」についての疑問を綴っています。