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やはり、浅井茶々。

今日も朝から茶々(淀殿)を追いかけています。

なぜ、そこまで茶々(淀殿)に夢中になってしまうのか。
それは彼女の一般的なイメージがあまりにも悪く作られ過ぎていること。
日本史において、いろんな人物の見直しが盛んになってきたこのごろですら、何故か茶々は未だに悪いイメージがなかなか払拭されません。
それをどうにかできないか。超微力ながらも。。。
これに尽きます。

お金持ちのお姫様が、わがままに育てられて、
世間の空気を全くに読めずにあの豊臣家を滅ぼした。
だいたいこんな感じです。

もう少しましな解釈でも、政治のことなど全く分からない普通のお姫様が
一生懸命愛する子供を守ったんだけど残念ながら、力不足であの豊臣を滅ぼした。と、こんな具合。

つまり、どっちにしても豊臣家を滅ぼしたのが茶々になっています。
でも、本当にそれが真実でしょうか?

確かに、結果としての豊臣の最期の代表者は茶々と秀頼ですね。
秀吉が亡くなってから、関ヶ原合戦が起こり、大坂の陣に至るまでの間、
もっと世の情勢を見極めて、豊臣が生き延びる手立てを講じるべきだった
との考えは、ある程度理解できます。

例えば、茶々が徳川の人質になって江戸に行くとか、
思い切っていっそ秀頼と共に大坂城を出て他の地へ移るとか、
何が何でも豊臣家の存続のみを考えればいろんな選択肢があったことは
確かにそのとおりかもしれません。

しかし、茶々はそれらの選択はしなかった。
で、そうこうしているうちにまんまと家康の計略にはまってしまい
天下の豊臣を滅ぼしてしまった、というロジックが生まれるのです。

ここでわたしは思うのです。
茶々が背負わされた豊臣家って、何?と。
秀吉が亡くなった時はまだ、世の中は豊臣の天下でした。
つまり、茶々が背負ったのは、「いち豊臣家」ではなく、
「天下の豊臣」なのですよね。
とんでもなく大きいです。いや、大きいとかいうレベルじゃないですよね。
「天下」ですから。

茶々の英断

では、茶々はが背負わされた「天下の豊臣」は盤石だったでしょうか。
とんでもありません。
巨大に膨らみすぎていつ割れてもおかしくない薄い風船のような状態
だったと想像します。

秀吉とともにゼロから一緒に豊臣家を築き上げた北政所もおらず、
秀次事件のせいで血のつながった親戚もおらず、
最も頼りになる秀吉子飼いの猛者たちは、
なんかことごとく家康にくっついてるし。

秀吉が秀頼のためにつくったはずの5大老、5奉行も戦を始めるし。
しかも、どっちも「秀頼様の御為に戦います」って言うけれど、
別に、そんなこと頼んでないって、
実際のところ茶々はそんな気持ちだったのではないでしょうか。

それでも始まってしまった戦(関ヶ原)にどう対処すべきか。
茶々は、勝手に始まった戦に絶対に巻き込まれない方法を選択しました。

つまり、関ヶ原では西にも東にもどちらにもつかずに、
あくまでも、豊臣家家臣の内部抗争という形をとる。
あくまでも、自分はトップなんで部下どおしの争いなんて知りませんよ~、
どっちも勝手に頑張ってね、ぐらいに、しらを切る。切りとおす。
(そんなに簡単な話ではないでしょうが)

幼い秀頼を守れるのは自分だけ。でも、自分は武将ってわけではないので、
力で勝負することはできない。では、母として自分ができる戦いは何だろう、と考えたのではないでしょうか。

これは英断だと言えると思います。
結局、秀頼(茶々が)が西軍につかなかったことで
関ヶ原で家康が豊臣を滅ぼすことはできなかったのですから。

これ以降、茶々を侮れない人物だと家康は考えるようになった
のではないでしょうか。人生の最晩年をむかえた家康の前に、
真のラスボスが現れたわけです。
やはり、あの秀吉が選んだ女性は只者ではない、と。


茶々は秀頼が成人するまで、秀頼の命にかかわること以外においては、
家康の言う通りにたくさんの寺社仏閣の修復なんかもやりました。
それも、莫大な財産を遣わせる家康の思惑通りにのせられて、ではなく、
そんな家康の思惑など百も承知の上で、とわたしは思っていますが。

とにかく事を荒立てて家康に「きっかけ」を与えさえしなければ、
その時が来るのを、つまりは家康が老衰で死ぬのを「待つ」だけでいい。
だって、家康はもうだいぶん年で、秀頼はまだ子供ですからね。

戦わずして勝つ、です。

大坂城内で深まる孤独

大坂城内で豊臣家および秀頼を守るためには、豊臣への忠義の心があり、
加えて実力や経験など備えた力ある協力者が絶対的に必要だったのに、
関ヶ原によって、その多くの人材が失われました。

本当に秀頼を守りたかったならば、
もっともっと上手に家康と渡り合って欲しかった、と
三成さんには言いたいところです。

もっと妄想をたくましくすると、
茶々自身は秀頼さえ生きながらえてくれればよく、
徳川への臣従も視野に入れてはいたけれど、
周囲がそれを許さない、そんな可能性もあったかもしれませんね。
後の大坂の陣を詳しくみていくと、そんな気がしないでもないです。

つまり、外だけでなく内にも真の意味での味方が
非常に少なかったのではないか。

秀吉が亡くなって以降、大坂城内で茶々の心休まる日があったのか。
まさに、薄氷を履むが如しの日々を過ごしていたのではないか
と妄想してしまいます。


浅井茶々として生きた

大坂の陣の最期、助命嘆願をしますがかないませんでした。
ここも細かくはいろんな説があるようなので、
あくまでも妄想の域を超えることはできませんが、
茶々は、最後の最期まで秀頼と共に生きようとしたと思います。

この最後の助命嘆願行為が、もしかすると
「今更遅い。この期に及んで潔くない。
だったらもっと早くに徳川に臣従すべきだった。
やっぱり茶々は情勢を見極めきれないお姫様だ」
というロジックの原因かもしれません。

他人や後世の人が、茶々の本心を知ることはできません。
が、その行動を追いかけることで、茶々が心から望んでいたことに
ほんの少しだけでも思いを寄せる努力をしたいのです。

人生で3度の落城を経験した茶々がはたして、
ただの甘やかされて育った世間知らずのお姫様でしょうか。

わたしは、茶々は「豊臣」というよりも
浅井の血を遺すことに生涯をかけたのではないかと考えます。
最初から最後まで浅井茶々として生き抜いた、
生き抜ききった素晴らしい女性だと思っています。

茶々を守る人々

茶々は孤独だったと書きました。
実際、政治面においては多くの名のある武将や大名がそれぞれの利益のために豊臣を利用し、あるいは滅亡へと導きました。

ただ、それに反するようにそれこそ命がけで茶々と秀頼を守った人々がいたのも事実です。非常に身近な人々で、彼らの存在なくしては茶々も踏ん張れなかったと思います。

彼らの存在は、天下の豊臣家を背負わされ走り続けなければならなかった茶々にとって、唯一心が許せる家族のような存在であったとも思えます。


まだまだ続く妄想

茶々もですが、秀頼にしても本当に資料が少ないので、
かなりの部分がわたしの個人的な好みの解釈による妄想ではあります。

でも、残っている彼らの足跡のみを丁寧にたどるにつれ、
後世の人が好き勝手に作り上げた悪女のイメージは
真実の彼女の姿とは程遠いと、強く感じています。

とにもかくにも、信長の姪で、秀吉の妻で、家康の最後の敵。
人生のうち3度も落城を経験し、実父実母を失っても妹たちを守り、
天下人の後継者を生み、家康に恐れを抱かせるほどに立派に秀頼を育て上げ、最後に家康と戦い、戦国時代の終焉の象徴となります。

戦国の世を生き抜くための覚悟と知恵と丹力を強力に備えた女性、
それが浅井茶々です。浅井長政の娘なのです。

彼女の生きざまを、まだまだ追いかけていきます。