英語がひらいてくれたドアの向こう
子供の頃から海外に憧れがあった。英語を話せるようになって外国に行きたいな、と思っていた。
飽きっぽい私が唯一ずっと夢中になっていること。それは海外への憧れ、文化の違いとその面白さだ。
最初に留学したのは高校の時。タイに留学に行った時に、まず一つ目のドアが大きく開いたと感じた。それは私の「海外ってこんなに楽しいんだ」という心からの感覚。今まで感じていた不安は全くなくなり、「こんなに楽しいなら、どんどん海外に行かなきゃ」という気持ちであふれた、興奮した気持ち。
けれど大人になっていざ海外に旅行に行ってみると今度は、
「英語が話せないことで楽しさが半減してる。絶対に話せるようになりたい」
と思うようになった。とくにヨーロッパでは旅行者の私に現地の人が、「ニコッ」と微笑みかけてくれたり、「大丈夫?」とか英語で話しかけてくれるのに、私は「OK」とか「サンキュー」くらいしか言えず、本当にもどかしかった。
「私が話すことさえできれば、もっと楽しい会話ができるかもしれないのに」
そう思うと悔しい気持ちだった。その悔しい気持ちは、なんとかして昇華させなければいけないと思いながら、英語という勉強は時間と根気が必要。旅行にいくたびそう思って勉強を始めては、やる気が続かず、ということを繰り返した。
英語勉強に役立った海外ドラマへの執着
「英語をやらなきゃ」と思いながら何もできていなかった頃、20歳くらいだったと思うが、海外ドラマに出会った。
私よりちょっと年下の高校生キャラが出てくるセレブの日常、『OC』というドラマ。ものすごくハマってレンタルビデオ屋でDVDを全部借りてきて一気に観たりしていた。(時代を感じるが、この頃はストリーミングサービスなどの配信はない。結構な金額をレンタルDVDに費やしていた)
英語で日本語字幕付きで観ているうちに、あることに気がついた。
「英語のジョークや言い回し、かっこいい!」
という心からの憧れの気持ちだった。もちろん、ドラマに出てくるアメリカ人の若い女の子はみんな可愛い。けれどそれだけではなくて、英語のしゃべり方自体に、強さだったり嫌味だったり、あるいは気の利いたジョークみたいなものがたくさん混ざっているのだ。そこに憧れた。
この頃、私は日々を送りながらこんなことを考えていた。
「なんでこんなに退屈なんだろう?なんで私は人に合わせて本当のことを言わずに生きているんだろう?」
今思えば、20歳と若く経験も少なく、人に嫌われることを恐れていたのだと思う。「人に嫌われたくない」という思いから、本当の自分を押し殺し、日々を送っていたのだ。
けれどアメリカのドラマの中で、英語という言語の上では、みんな正直に発言し、嫌味を言うためのジョークがあり、少なくとも私にとっては、とても自由に感じられた。
若かった私はそれを、「英語だったらこんなふうに自由に生きることが可能だ」と思い込んだ。
それから他の似たようなドラマを見まくっていった。かっこいい言い回しは調べて覚え、いつかこれを誰かに言うことを夢見て、1人で練習していた。もともと妄想気質があるので、ずっと想像して英語でブツブツ話しているのは全然苦じゃなかった。
ゴシップガール、セックス・アンド・ザ・シティー、ビバヒル青春白書、デスパレートな妻たち。
私は一貫して女性が多く登場する海外ドラマを見続けた。それは恋愛ものや女性同士のいざこざのストーリーを観て楽しいというのもあるけれど、自分自身が女性なのだから、女性の言い回しを覚えるためにそうしていた。とはいえ、口直しにプリズンブレイクを一気に観たこともあった。
また、言い回しやしゃべり方というのは時代にも左右されるから、観るドラマは現代ものであることも大切だった。
全く自慢にはならないが、教科書での勉強をしっかりしたのはイギリスに留学してから。それまではずっと海外ドラマで英語を勉強していたのだった。
試験に合格したいとか、英語を身につけたいとかいう、たいそうな理由ではなく、何よりドラマの中の登場人物のように、英語で自由に生きたいと願っていたからだった。
そんな発見を与えてくれた海外ドラマの一気観(いっきみ)は、私の新たなドアを開いてくれた。
30歳でイギリス留学
それまで妄想のドラマの世界でずっと英語を練習していたわけだが、実践となると全く話は違った。
30歳でイギリス留学して、現地のネイティブの英語が聞き取れず、唖然としてしまった。今まで香港や他のヨーロッパの国で、『第二言語』として英語を話す人の英語が、いかに分かりやすくスローなペースだったかを実感した。
それにイギリス人の英語はアメリカ人のより早口だった。女性も男性も早口の人が多かった。
語学学校では、自分と同じように英語を学ぶ人が集まっているから、お互いに間違いだらけの英語でもなんとなく理解し合っている感じで、徐々に友人もできた。
そんな語学学校で、その当時明らかに目立っているイタリア人の女の子Fがいた。
まず、可愛い。それに彼女の英語習得のスピードは早かったし、イタリア訛りも全くなかった。(ほとんどのイタリア人の生徒にはイタリア訛りがあった)Fは私より上のレベルのクラスにいて(当然のこと)、先生とも談笑したりしていた。
小柄で身長152cmの私と同じくらいの背丈で、スリム。服装はミュージシャンみたいに革ジャンに革ブーツ、鼻ピアスをして、彼女にしか似合わないようなショートヘアのくりくりパーマだった。白い肌、ブロンド、青い瞳。トレードマークのように、バンダナをヘアバンド代わりに結んでいて、個性が光っていた。
噂では、Fはブライトン(留学していたイギリス南部の街)ですごく人気のあるパブで、バーテンのバイトをしているらしかった。「それで英語もあんなに自然なんだ」と私は納得がいった。まず、人気パブの面接に受かっていることがすごい。
ある日、Fのクラスが私のクラスに来て合同でプロジェクトをやった時、「イギリス人の友達と出かけてる」とFが話していたこともあった。
遠くから彼女を見て「すごいなあ」と思っていた私だが、心の中で「あんなレベルに私は絶対行けないだろうな」と勝手に自信を無くしたりしていた。本当に何もかもが、違っていたように思えた。
「ねえ、私の家でパーティーやるんだけど来ない?ホストファミリーが休暇でいなくて、家に私だけなんだ。他の子もくるよ」
ある日突然、彼女から誘われた。
「Kanaだよね?みんな食べ物を一つ持ち寄るんだ。来れる?できれば日本食を紹介してよ」
私はとても緊張したけれど、もちろん行くと約束した。
私はさんざん道に迷ったあげく住宅街の彼女のステイ先に到着し、イタリア人の多い、知り合いがほとんどいないそのパーティーに参加した。キッチンが使えるということで、お好み焼きの材料を持参して。(日本食が私を誘った理由の一つであることは、もちろん承知している)
知っている人もF以外にいなかったので、私はキッチンでお好み焼きを作り、テーブルに並べた。
「ちょっと!何この食べ物!おいしすぎるってイタリア人たち大騒ぎになってるよ。Kanaが作ったんでしょ?」
Fは興奮して私に伝えてきた。その後お好み焼きの作り方の話をしたり、一緒にビールを飲んだりして、楽しい時間が過ぎた。私はとりあえずパーティーに居場所ができてホッとした。背伸びして知らないパーティーにやって来たけれど、本当に良かったと思った。正直、これでFとのつながりもできたわけだし。
それからというもの、あんなに手が届かないと思っていたFと、何度か他の友人も交えて学校で話をしたり、流れで海辺でビールを飲んだりした。(Brightonは海辺の街)
Fは「今は友人のイギリス人と付き合っているようないないような、微妙な時期」だと話し、それでも多分ずっと一緒にいるのは難しいと言った。
「私はソーシャルワーカーになるの。世界で仕事したいから、英語は絶対に欠かせない。ずっとイギリスに住むつもりもない」
Fはそう語り、私は密かに「そういう信念みたいなものが、彼女のオーラになっているのかな」と感じた。明らかに、自信や揺るぎない信念みたいなものが、彼女からは発せられていた。
パンクっぽいのと、イタリアファッションが混ざったような、難しいコーディネイトをいつもしているF。見た目はオシャレすぎて、ちょっととっつきにくいようでもあった。それでいて、他人を思いやったり気遣ったりする能力に非常に長けていた。それはなかなか、他のイタリア人にはないことだった。
例えばみんなで話していても、一番口数の少ない私を気遣って、「日本の映画で好きなやつがあるんだ。なんて言ったっけ?舞妓が出てくるやつで、Sayuri?あれすごく美しくて好き。でも舞妓って実際のところ何なの?」と日本の話を振って、私にも話すチャンスをくれたりした。
それにFは、ずっと観てきたアメリカのドラマのように、英語で自分の意見をはっきり言ったり、ジョークを言ったりすることもできていた。
だから語学学校でもみんなから一目置かれていた。
そんな彼女と対等に色々話すことができるなんて、数ヶ月前には想像もしていなかった。
ついにイギリス人と出かけるようになる
「イギリスに留学してるんだから、イギリス人と仲良くなるのは簡単でしょ?」と思われるかもしれないが、語学留学の場合イギリス人と出かけるというのはかなりハードルが高い。
『ランゲージエクスチェンジ』とかで日本が好きなイギリス人に関しては、日本語を学びたいので一緒に出かけてくれるだろう。
けれどそうでない場合、イギリス人グループと出かけるということは、イギリス人並みに英語が達者でなければならない。言語だけの問題ではなく、イギリスのことを知っているとか、共通の話題についてもある程度理解している必要がある。
だからFが「イギリス人とよく出かけている」と言った時、「私には無理だ」と思ってしまったわけである。
けれどFと出かけて話をしたことは、私にとってとても良い刺激になった。なぜなら彼女のことは最初遠くから見ているだけだったのに、パーティーに呼んでもらい、あげく話もできるようになったからだ。
「自分のやりたいことをやる。できればそれが人のためになることだったら良いよね。続けていければ、絶対叶うでしょ」
と夢の話をしている時に彼女は言っていた。
「仲良くなりたいけど、きっと無理だろうな」と思った感情を、まだありありと思い出すことができる。それなのに今は、一緒に出かけてこんな深い話ができるようになるなんて。
だから私は、語学学校の先生が来るというパーティーにも、勇気を出して出かけた。その先生はとても話しやすい先生だったし、「みんなイギリス人とも英語で会話した方がいいよ!勉強になるから」と、私だけでなく他のクラスメイトにも声をかけていた。
こうして「絶対行かなきゃ」と思ったチャンスのパーティーで、先生の弟のSと、その同僚のD(のちの私の夫)に出会った。
それからすっかり仲良くなり、先生、その弟、その他の友人、のちの夫、多くのイギリス人と出会って、出かけるようになった。
夫のDにたくさん助けてもらったことや、他の友人もみんな親切なので、ゆっくりクリアにしゃべってくれたりすることもあったが、ともかく私はイギリス人たちと出かけるようになった。言うまでもなく、この頃英語が飛躍的に上達した。
それもまた、数ヶ月前には想像できないことで、「絶対に無理ではないか」と私自身が疑っていたことであった。
その後イギリス人の夫と結婚し、イギリスに住み、出産、家族で日本に移住、英会話教室を夫婦でやる、どれもまったく想像していなかったことだ。30歳の留学前の私にそのことを言ったら、「絶対に嘘だ」と信じないのではないか。
経験を重ねることで何が幸せなのか分かる
私にとって今思えば、20代は暗黒の時代、30代はイギリス留学で大変化の時代、そして現在40代は、初心にかえって、より楽しく生きるためにフォーカスした時代にしていきたいと思っている。ちなみに10代といえば、もがき苦しみ。それが思い出される。
だから私より若い人には、年齢や経験を重ねてからの方が、絶対に幸せになると伝えたい。今やっていることが、きっと未来の幸せにつながるからと。人と比べることが無意味だというのが、本当の意味で分かるから、と。
私はアメリカにまだ行っていないので、憧れたアメリカのドラマのようなことが、いつか実際にできたらいいな、と思っている。イギリスで出会った日本人の友人は、
「Kanaの正直で直球な感じ、意外とアメリカの方が向いてるかもよ」と言われたこともある。「メキシコなんてあってるんじゃない?」とか。
私はもう昔みたいに「絶対に無理だ」と思うことはやめにした。もちろん、絶対に無理なことは世の中に存在しているが、私が希望することはいつも英語や海外に関したことで、『勉強を続けていればいつか叶う』というのが、経験に基づいたまぎれもない事実だからだ。
それに、自分の幸せのために頑張ることが何を指しているのか、やっとクリアに見えてきたということもある。頑張ることと楽しむことは別々なのではなく、頑張りながら楽しむ。
それを毎日続けていくことで、想像もできないような未来が切り開けると信じている。
ただ、新しいドアを開けるのはいつも自分自身。絶対に少しの勇気を出して、自分でドアを開けることが必要だ。