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ロンドンのテートブリテンで『オフィーリア』の虜に
ロンドンにあるテートブリテン。以前5年もイギリスに住んでいながら、一度も足を踏み入れたことがなかった美術館。
ロンドンといえば、大英博物館、ナショナルギャラリー、ファッションが好きならV&A(ヴィクトリアアンドアルバート)、もともとは発電所の建物をそのまま使っていて象徴的な見た目のテートモダン。これらは有名だし、私もイギリス在住の頃、何度も行ったことがある。
そして2024年12月。7年ぶりのイギリス、ロンドン。
絶対に今回はテート・ブリテンに行く。何があっても。私はそう決めていた。
テート・ブリテンにはロンドンバスに乗って行った。寒空の下のビッグ・ベンを横目に見ながら街を駆け抜け、テムズ川に沿って少し進むと、こぢんまりとした品の良い建物が現れた。
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テートブリテンに、なぜ今まで行ったことがなかったか?
それは以前の私がラファエル前派を全く知らなかったからである。
ラファエル前派とは?
ラファエル前派(ラファエルぜんぱ、Pre-Raphaelite Brotherhood)は、19世紀の中頃、ヴィクトリア朝のイギリスで活動した美術家・批評家(また時に、彼らは詩も書いた)から成るグループである。
ロイヤル・アカデミー付属美術学校の学生であったダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ウィリアム・ホルマン・ハント、ジョン・エヴァレット・ミレイの3人は、美術学校がラファエロ・サンティの絵画に固執し、それ以外の新しい表現を認めない方針に不満を抱いていた。1848年、3人はラファエル前派(ラファエル前派同盟)を結成し、ラファエロ(英語でラファエル)以前の美術に回帰することになった。
ラファエル前派は、才能あふれるイギリス人画家ジョン・エヴァレット・ミレイをリーダー的存在においた、当時のロイヤル・アカデミーに対して「色々と、どうなんだ」という疑問と反骨精神を呈した、画家たちのブラザー集団である。
フランスに、いつだって芸術の面では及ばないイギリス人たちが、知恵を集めて結成した信念の塊のようでもある...。
想像だけど、学校で出会った学生同士、芸術について議論を交わすうち、強い意志が芽生えてきて、思い切って行動に移したのではないだろうか。
とくにジョン・エヴァレット・ミレイのような、才能あふれる存在の画家(神童と呼ばれていた)が主張したら、周囲も「そうだそうだ!」と盛り上がったかもしれない。
アートの世界や歴史についてそこまで詳しくない私だったが、「とにかくラファエル前派について詳しく知りたい!」と思ったのは、この一枚の絵の存在だ。
オフィーリア
ジョン・エヴァレット・ミレイ
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この絵の存在を初めて知ったのは、おそらく子供の頃だと思う。
「この人、死のうとしているの?」という衝撃と、見れば見るほど緻密でリアルな描写に、すっかり目を奪われたのを覚えている。
シェイクスピアの悲劇『ハムレット』に登場する、ハムレットの恋人オフィーリア。
ハムレットは、16世紀のイギリスの劇作家シェイクスピアによる悲劇の物語。
あらすじは『デンマークの王子ハムレットが、父王を毒殺して王位に就き母を妃とした叔父に、復讐する物語』である。
すべては復讐の計画のために、頭が狂ったふりをするハムレット。恋人のオフィーリアはそんなハムレットの行動に戸惑い、さらに(間違いだったとはいえ)自分の父親をハムレットに殺されてしまい、絶望する。
オフィーリアは奇妙な歌を歌いながら花を摘んでいて、枝が折れて川に落ちてしまったにも関わらず、そのことにすら気づいていない。
オフィーリアは、本当に狂い始めていたのだ。
自分が死んでいくことすら分かっているのか定かでない中、水の中へ少しずつ沈んでいくオフィーリア。
それがこの絵にはありありと描き出されている。特にこのオフィーリアの表情を見ていると、絶望、狂気、悲しみ、失望、色々な負の感情がしっかりと見て取れる。
それに対して、周囲の自然の美しさにも同時に目を奪われる。なんて乱雑な、なんてありのままの自然だろう。「ガサガサ」と小動物が茂みから今にも飛び出してきそうである。
これこそが、ラファエル前派の訴えたことの一つ、「自然をありのままに描くこと、写実主義であること」なのだ。「ラファエロ以降の絵画は、理想化されたものになった。ラファエロより前の時代の、写実主義に戻るべきだ」というゴシックリバイバルの主張である。
オフィーリアという絵の中には、緻密で本物に限りなく近い自然がある。それに本物の人間のような心揺れる表情と悲しみも。
目の前に立つと、そんな迫力が私を掴んで離さなかった。
すごい。こんな絵が存在するなんて。
まさしく傑作中の傑作。
皮肉なことに、このオフィーリアの絵は、ラファエル前派ブラザーズが敵対していたロイヤルアカデミーからも大絶賛され、なんとジョン・エヴァレット・ミレイはアカデミーの会員になってしまう。
よってラファエル前派は事実上解散ということになってしまったのである。活動はほんの5年程度だったとか。
テート・ブリテンには、他にもイギリス人画家の素晴らしいアートがたくさんあった。
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの『シャロットの女』も素晴らしく、しばらく私は前を離れられなかった。
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ラファエル前派のロセッティの絵も良かった。
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本当にこの美術館に行って良かった。
ほとんどの美術館は「行ってよかった」と毎回思っているが、このテート・ブリテンは、心から行ってよかったと思う。
やっぱり、勉強してから行く美術館が1番最高で、意味がある。
今回学んだラファエル前派の画家の作品について、今後も学びながら多くのことを知っていきたいと思う。
またこれから新しいタイプのアートを知っていくのも楽しみだ。