画家モディリアーニが通ったパリのカフェ
私はモディリアーニの絵が好きで、昔から「なぜ瞳がないんだろう?」「なんでこんなに顔と首が長いんだろう?」という疑問から始まり、とても興味を惹きつけられてきた。
ずっと見ていると、言葉ではない何かが私の心の奥に訴えてくるような気がする。
「怖い」という意見を聞いて、それにも同意するのだが、どうしても気になってしまう。それはもう「理由なく好き」としか言えない感情だ。
イギリスに住んでいた時、ロンドンのアートギャラリー・テートモダンでモディリアーニ展が開催された。そこで世界各地から集められたモディリアーニの絵に囲まれると、さらに彼に興味を持った。
彫刻家になりたいという彼の夢や、病気でそれが叶えられなくなった悲しさ、思いを絵にぶつけるひたむきさ、それになんと言っても彼の繊細で脆い心の動き。
モディリアーニの人生を知りたくて、映画『モディリアーニ 真実の愛』という映画を観た。モディリアーニの本を買って読んでみた。それでもなお、ピカソやモネ、ルノワールと違って、私にとってモディリアーニは、何もかもミステリアスだ。
彼の人生は35年。才能ある彫刻家で、画家。けれど病弱で貧しく、その芸術の良さを認められない日々だった。モディリアーニが35歳という若さで死んでしまったその次の日、恋人のジャンヌは身重の体でマンションから飛び降りて自殺してしまった。(享年21歳)
モディリアーニはハンサムで、絵の才能があった。そしてアーティストが時々そうであるように、女性を狂わせてしまう何かがあったのかもしれない。
パリを訪れると決まり、一番に考えたのはモディリアーニやピカソが通った実際のカフェを訪れることだった。昔モディリアーニは、ピカソや他のアーティストと共にパリのモンパルナスのカフェに通い、日々アートについて議論を重ねたのだという。
貧しくて飲み代を払えない時は、カフェのオーナーがツケにしてくれて、それでも払えない時は、絵をプレゼントすることで帳消しにしてもらったこともあったらしい。
今でもそのカフェには、そんなモディリアーニの絵が飾られている。世界中からモディリアーニのファンや、芸術のファンが訪れる有名店。
La Rotonde
私は夫と一緒に入店し、ウェイターに道路に面した席に案内された。夏の風が心地よい夕方だった。まだ明るく暑さは残るけれど、気持ちの良い風が頬を撫でる。「パリに来たんだ」としみじみ思う。
夫がイギリス人で、私達が英語で会話していると分かると、ウェイターはすぐに英語に切り替えて話し始めた。パリでは有名店のウェイターの質はかなり高いと言われる。
「この店にモディリアーニが通っていたというのは本当ですか?」
私は直接ウェイターに聞かずにはいられなかった。
「そう。1900年代、このカフェには画家たちが通っていたんだよ。ここモンパルナスには、画家たちが多く住んでいたからね」
「モディリアーニが座っていた席、とかあったりします?」
私がそう聞くとウェイターは笑って、
「あれから何度も改装しているからね。でもモディリアーニの絵が奥に飾ってあるよ。よかったら入って見てみたら?」
ちょうどトイレに行きたかったし、私はレストランの中に入ってモディリアーニの絵を見物した。適度な絨毯の柔らかさを踏みしめて奥まで入っていくと、他にも彼の絵が飾ってある。ピカソの絵もあった。さすが、アート好きが集まる店。
「ここが、かつてモディリアーニたちが来ていた店なんだ」
そう思うと、実感が湧いてきた。この同じ地面の上で、アーティストたちが集まり、飲みながら、ケンカに近い議論を重ねていたんだろう。
モディリアーニはきっと、自分のアートに関する意見を、仲間たちに積極的に話しただろう。それに反対意見の他のアーティストがいて、そこから白熱して、時にフィジカルなケンカになったこともあったのではないか。
私は外の席に座りながらモンパルナスの道行く人を眺め、「モディリアーニがここに座って見た景色は、どんなものだったんだろう?」と想像する。
ウェイターのおすすめ通りのコースを注文し、せっかくパリに来たし、ということでエスカルゴも注文した。バターの味まで今まで食べたのとは違うような、特別に美味しいエスカルゴだった。さすがパリの有名店。ウェイターの完璧な給仕も含めて、大満足の時間だった。
La Rotondeを後にしながら、交差点を渡り、ふと振り返ってみた。改めて思うのが、このカフェの醸し出しているオーラだ。
それはウェイターの言う通り「何度も改装して」改良されているからなのか、パリの真ん中のハイセンスな店だからなのか。それとも、かつて画家たちが愛した店だから、その魂のようなもので、こんなにアートな雰囲気に包まれているのか。
明らかに醸し出す一種独特なオーラに、一瞬フリーズしてしまうほど、この店は他の景色とは違って見えた。
私はほんの一瞬でも、才能あるアーティストたちと同じ空気を吸ったような、そんな気分になった。
彼らがもしここにいたら、私は何と言うだろう?
「この店、良いよね」
そう言って話ができたらどんな素敵かと思う。
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