私が優しくない理由
古本屋に向かって歩いているときまた、ホ・オポノポノについて考える。
その時に一つの結論を得たのが、「私が優しくない理由」だった。
私は自分のことを優しいと自己分析したことはない。それは私の中の優しさの基準が高すぎて、たとえば見知らぬ相手のために自分の資産を分け与えることができる人、とか三浦綾子の小説に出てくるキリスト教信者、とかそんなだから……というのはあるが、
そんな厳しいハードルを課さなくても、私って優しくはないよなとは日常よく思う。
そうやって自己卑下する理由は……中途半端に優しいふうだからだと思う。優しいように見えなくはないし、実際他人にものすごく気を遣って生きているのだけど、根底にあるのは打算だし、無私無欲の行動ではないこと自分がよくわかってる。
いや、人付き合いに関して私は欲まみれだなと思う。
ここで急に核心が降って湧いてきたけど、
《他人とうまくやりたい》《嫌われたくない》
という気持ちがありすぎるのだ。
ウニヒピリの中にある、幼少期の記憶。父の仕事の都合で色んなところで暮らしてきた。
あれは和歌山県に住んでいた時だったか。あまり詳しくは思い出せないけど、人間関係で最初の“嫌な思い”を体験した気がする。同じマンションにとても掌握力の強い年上の女の子が居て、彼女に直接なにかされたのだ。軽い仲間外しとか、言葉での威圧とか。そして同じように傷を負わされた子を間近で見た。
私自身のイジメ体験は中学の時でその2年前にきっかけとなった出来事も起こるが、はじめに傷を負い、人間社会の難しさを知ったのはこの時だった。小学1年〜2年の時。今はじめて気づいて、思い出した!
そして私はそれ以降小学校を終えるまでは、自然と学校の中の一軍か、それに準ずるグループに居た。上述のような傷をもう負わないようにと頑張って、結構うまく振る舞えていたのだろう。うまく人間関係をやっていくことで得た安心できるポジション。それはそのまま私の自信に繋がっていた。学校や地域という狭い社会の中で、きっとどの子だってこうした防衛反応は持っていたはずだ。嫌われずに、意地悪されずにすむように他人を観察して、求められる自分で居る。
今思うとそんなにおかしいことではなかった。でもその防衛行動と、自信が肥大したおかげで私は、小学6年生のとき、取り返しのつかないことをする事になる。
そして、そのままその《出来事》の記憶は私に手痛い形で返ってくることになる。
私の元々の性格はどうだったのか、これはまだ結論の見えてこないことだが、生来とても鋭敏に他人の感情を察知する人間であったことは間違いないと思う。それが打算的であれなんであれ、感知してしまうのだ。感知し、蓄積する。
まったく、私のような人間にこそクリーニングが必要だった。
話の続きはまたあとで書くとして、
私は、人生最初の傷を負った体験、うまく立ち回れなかった人間関係の記憶を【愛しています】と抱きしめ、アウマクア(超意識)にクリーニングを依頼します。
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