オンライン化は感性を鈍らせる?
はじめに
他人の主義主張もない「感じること」をただ綴るのって脳味噌を覗き見しているみたいでちょっとワクワク・少々の背徳感感じますよね。まぁそうじゃなくても感じるということにしておいてください。
このnote記事はなんだかオンラインばっかでつまんないな、味気ないなと感じる人に向けて放つ独り言にも似たロジックガバガバコラムです。
最近言葉の出や感性や語彙が以前より低くなった気がする。
noteを書く頻度も一番情報や価値観を仕入れるTwitterも頻度が落ちた。
オフライン体験の減少が一つの要員じゃないの?と感じる。
感性を洗練させていくための砥石となりうる「価値」は偶発的で、五感・直感で感じることが欠かせぬ。
オンラインは前提として人工物の世界だし、基本デザインされたもの=意図ている要素が多い故に、狙い通りで想像の範疇な要素が多く、かつ視覚と聴覚のみで身体性がどうしても欠けるため、琴線にふれづらいと思う。
例えば合宿とか、全員で同じ状況を作ることで得られる連帯感。
例えば好きなアーティストのライブでどでかいスピーカーにより心臓、全身を震わせる感覚。
例えば席で隣になった人と話す中で思わぬ共通点が見つかり「お〜!」と驚きつつ笑みをこぼし合う瞬間。
どんどんバーチャル化していき、効率的ではあるものの、そこには感性が鈍った世界が生まれてしまう。
じゃあどうすればいいのかな?
パッと思いついたものでは、たくさんのスコープで物事を眺めること。
オンラインの比率は増えたもののまだ現実世界がなくなるわけじゃないし、なんなら6割ぐらいはオフラインだ。
空を見あげて雲に意図された形を感じたり、階段をのぼる時にふと蜘蛛の巣をまじまじと観察してみたり、洗濯物を取り出す時にふんわりと匂いたつ柔軟剤に包まれてみたり。
こういった何気ない日常の体験を五感で意識的に「感じる」ことこそがパーツ化されロボティクス化され日々生身の腐食されゆく身体と感性に錆止めと潤滑油を入れていくじゃないのか。
ま、そういうわけで結論なぞないです。
けどちょっと、ちょっとでも1mmでも共感してくれ最後まで読んでくれるそこのアナタ、
まずは画面から目を離し、騙されたと思って次に書いてあることを何も考えず実行してみてください。
朝に読んでたら”朝日を浴びる”
昼に読んでるあなたは机に置いてある飲み物を味わって食道を通ることを意識する
夜に読んでたら秋の虫のハーモニーに耳を傾けてみる
ほらね、ちょっとだけ自分が完成豊か通ぶっててセンスある人間に思えるでしょう。
結局は人間も動物なんやで、という落とし所でした。(結論あるやん)
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