私の前世の見え方について①
自分の前世の場合、昔は勝手に見えてくる事が多かった…。
ボーッとしてると見えてくるので、ボーッとしないようにしていた。
ボーッとすると同じ場面ばかりエンドレスで見える。どういう事かな?と考えると次に進むような感じ。
今は少しコントロールできるようになってきている。
なので、今は自分の思考やこだわりに気付いた時にさぐったりしている。
しかし、必要がなかったら全く分からなかったりするので“無理に見よう”は無駄だと分かった。
自分ではない他の人の前世の場合、アクセスしようとせずに見えてくる場合がある。それはその方の前世から“伝えて”と強く感じたりビジョンが見えてくる。
それとは別に、自分がその方との共通点を知りたいと思ったり、なぜこのような行動を取るのか?と考えた時に見えてきたりする事がある。
しかし見える場合は相手が許可してくれてるからだろうなと思う。
それも、見ようとしても見えなかったり、
おそらくその相手の波長なのか次元の関係になるのか、合わせるのに時間がかかったりするので、長期戦になる事も多い。
実際友人などに聞かれても、返事をするのに時間がかかったりする。
相手との信頼関係ができているかにもよるのだろうなと思う。
前世が見えても、時間軸がバラバラなのでメモを取っておいてある程度見えると人生の時系列が繋がってくる見え方である。
前世の記憶を辿っていく時…。
「嫌だ。この人生は見たくない。」
そういう自分になる事がある。
そういう時に限って、ボロボロに傷ついた人生の自分に会う。
そんな時…、
私では抱き締められない。
受け止められない。
と立ち止まる。
すると、私が15年以上かけて見つめた人生の過去世の自分が出てきて…抱き締めてくれる。
私の代わりに抱き締めてくれる。
名前は「ラスティ」
いつか、彼の物語を書ければいいと思う。
そして、彼の物語を書けるとき…私は前世の物語を書くことを終えられるのだと思う。
私は、私の為に書いていきたいと思う。
自分の“想い”を手放すために。