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抽象バレエの魁 『パ・ド・カトル』
こんにちは!
ただのバレエ好きのあゆみです。
毎回のように書いてますが、
今日も暑いですねぇ。
さて、今日は世界初のストーリーのないバレエとして有名な
『パ・ド・カトル』
について話していきます。
なぜ、ストーリーのない作品を作ったのか?
なぜ今も踊り続けられているのか?
などなど一緒に探ってみましょう☺️
それでは、スタート!!
◆作品概要
基本情報
作品名:『パ・ド・カトル』全1幕
初演:1845年7月12日@ロンドン・ハーマジェスティーズ劇場
音楽:チェザーレ・プーニ
振付:ジュール・ペロー
ストーリー:なし
この時代に大活躍していた4名のバレエダンサー
マリー・タリオーニ、ファニー・チェリート、カルロッタ・グリジ、ルシル・グラーンのために作られた作品。
ストーリーのないシンプルかつ繊細な作品なので、ダンサーの踊り・表現を楽しめます。
![](https://assets.st-note.com/img/1660174668815-loULZwuLs7.jpg)
何よりも、当時のプリマバレリーナ4名が同じ舞台に立つということがそもそもすごい!!!
作品構成
全1幕 約18分半
アダージオ:全員
アレグロ;全員
アレグロ:グラーン 闊達で軽やかなふり
アンダンテ:グリジ コケティッシュな振り
アンダンティーノ:タリオーニとグラーン 短めな美しい曲
アンダンテ:チェリート 軽やかなジャンプやピルエット
アレグロ:タリオーニ 重力を感じさせない踊り
コーダ:全員
4人のそれぞれの特性が存分に発揮するように振付されました。
ダンサー全員が意地と尊厳をかけてパフォーマンスをしたため、初演から大盛り上がりだったみたいです。
そして、この作品で大事なのは、物語を伝えることより、この4人の特性が生きることだったので、あえて物語のない作品に仕上げたんだと考えられます。
バレエ作品では、踊る順番が遅いほど地位が高いダンサーが出てきます。
4 名は全員プリマバレリーナですから、当たり前のように
「出演順問題」
があったとか…。笑
それはまた後ほど触れます。
◆凄腕支配人 ベンジャミン・ラムリー
支配人の妄想から生まれた作品
ロマンティックバレエの時代の中心地は主にフランス・パリですが、
この時にはすでにヨーロッパ各地に広がって行ってました。
特筆すべきは、イギリス・ロンドン。
フランスとドーバー海峡を挟み繋がっていて、フランス⇄イギリスはダンサーもよく行き来していたみたいです。
(この辺は近いうちのnoteで詳しく触れます)
今回触れている『パ・ド・カトル』という作品は、
初演が行われたロンドンのハーマジェスティーズ劇場の支配人だった
ベンジャミン・ラムリー
という男の思いつきによって実現しました。
「今すごく有名で人気のあるプリマバレリーナ4名が一堂に会する作品を作ったら、さぞかし面白いだろう」と。
(マリー・タリオーニの引退公演として考えられていたという説もあるみたいです。)
主役を踊るプリマバレリーナたちを全員を主役として扱える作品がその当時存在していなかったので、この作品を新しく創りました。
音楽は生涯にバレエやオペラの曲を300曲作曲したチェザーレ・プーニ、
振付家は、天才振付家と呼ばれていて、カルロッタ・グリジの夫のジュール・ペローが務めました。当時の可能な限りの技巧をつくし、ダンサーそれぞれが引き立つように振付しました。
ファニー・エルスラーも出演予定だった??
このnoteで触れた、ファニー・エルスラーですが、
マリー・タリオーニのライバルダンサーだった彼女は、
当初は当たり前の如くキャスティングされていました。
しかし、他のプリマバレリーナ(特にマリー?)と同じ舞台に立つことを嫌い、
自ら出演を断ったことで、本当の4大バレリーナが揃うことは叶いませんでした。
(劇場側が、ダンサーたちがぶつかる前に止めたという説もあります。)
そして、ファニー・エルスラーの代わりに選ばれたのが、
当時、新世代のプリマバレリーナとして注目されていた、
ルシル・グラーン。
大抜擢されました。
ヴァリエーションの順番問題。
構成のところでチラッと触れた「出演順問題」。
地位の高い人ほど、登場順が遅いのは、割とこの世の道理になっていますが、
それは、バレエ界にも言えることです。
ロマンティック・バレエの幕開けのキーパーソンとなったマリー・タリオーニが
最後に踊ることは誰も反対しませんでした。
ファニー・エルスラーの代わりに踊ることになったルシル・グラーンは
この争いの後に入ることが決まったそうなので関係なし。
となると、この争いに関係してくるのが、
カルロッタ・グリジとファニー・チェリートの2名。
どっちが後に踊る(=より踊りがうまく、地位が高い)のか。
ジュール・ペロー答えが出せず、悩んでいると、
支配人ベンジャミン・ラムリーはこう言いました。
「才能の優劣はお客様が決めること。
それならば年齢順に並べればいい。」
ラムリーの一言により丸く収まり、
結果的に
ルシル・グラーン 24歳
↓
カルロッタ・グリジ 26歳
↓
ファニー・チェリート 28歳
↓
マリー・タリオーニ 40歳
の順でヴァリエーションを踊ることが決まりました。
ベンジャミン・ラムリー自身も、
4名のダンサーの扱いは対応に優劣つけることなく平等に接しました。
そうするように心がけたというか、
どんな人にも平等に接するのが彼の特性だったと言われております。
◆大盛況なのに上演されたのは6回のみ
4名のプリマバレリーナが一度に見られるこの作品は、
言わずもがな初演から大好評でした。
しかし、当時上演されたのは6回のみでした。
(しかも、ルシル・グラーンは4回のみの出演。あと2回は別のダンサーが出演した。)
その理由として、
・プリマバレリーナたちの扱いが大変すぎた
・マリーが40歳だったが故に踊り続けるのが大変だった
などが挙げられています。
◆パ・ド・カトルの今
現在、たくさんのバレエ団がレパートリーにしている『パ・ド・カトル』は
20世紀頭のバレエ・リュスの時代に
アントン・ドーリン
という人が再振付をしたものです。
実は、ジュール・ペローが振付したノーテーション(振付の楽譜)は残ってなかったんです。
代わりにドーリンが参考にしたのが有名なこの版画。
(先ほども登場しましたが…)
![](https://assets.st-note.com/img/1660174800686-Dn56O0Tz6P.jpg)
4大バレリーナが集まった作品だったので、版画がたくさん残されていて、
それをもとに際振付したみたいです。
◆まとめ
現在見られる『パ・ド・カトル』は初演の後7,80年後に振り付けられたものなので、
もしかしたらテクニック的には初演の時より難しくなってたりするかもしれませんが、
それでもロマンティックバレエの美しい雰囲気が存分に感じられる作品です!
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました!
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よければ覗いてみてください☺️
それではまた〜
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