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立石 栄寿司

休日の昼過ぎ、満を持して立石に降り立つ。
今度は妻をともなって。

お目当てのもつ焼き屋宇ち多゛がまさかの日曜定休。しかしそんなことで人を萎えさせる町ではない。アーケードにならぶ肉屋、青果屋、魚屋、惣菜屋等々、いずれも品揃えの珍しさが目を引いて、そぞろ歩きをするうち、そこここに心惹かれる酒処も目について、壁も戸もない間口に背を向ける酔客が、物珍しげに通りすがる若夫婦に、赤銅色に染まった人待ち顔をときおりギロリと振り向ける。商店街の脇道に逸れると、「呑んべ横丁」と記された看板掲げる細い路地の入り口が見え、なかはいずれもシャッターを閉ざして仕舞屋(しもたや)のならびのようで、路地を抜けた先の通りの明るさとそこを行き交う人や車のシラフの世界が、いかにも興醒めだった。

アーケードには、宇ち多゛以外のもつ焼き屋もあれば、串揚げ屋もある。寿司屋もあれば、ベトナム台湾スペインその他の異国の料理屋もある。もちろんチェーン店ではない、古色に泥んだ構えをして、店前にはどこもそれなりの行列ができている。どこか入ろうとなって、私たちは寿司屋を選んだ。

宇ち多゛から一区画隔てた路地の鳥羽口に栄寿司はある。立喰というのがまず珍しかった。ほつれ破れもあればすっかり色褪せもしている年季の入った暖簾をくぐると、兄弟だろうか、顔貌のよく似た四十前後の中肉中背がそろいの紺の作務衣に白の和帽子をかぶってい、寿司ネタをならべたガラスケースの向こうで黙々と寿司を握っている。給仕は同じナリをした小柄で猫目の美人さんで、私たちよりやや年嵩と見えた。口の利き方から兄のほうの伴侶と見当がつく。飲み物を問われて、ヱビスの小瓶を注文する。寿司なんてせいぜい奮発して銚子丸か沼津港でいずれも回転寿司だったから、懐の気になるところだが、壁のお品書きを見て拍子抜けする。一貫百円から、大トロでも三百円。赤身に用はないから、白身の充実ぶりにまずは高揚した。

海鼠もある、海月もある、梭子魚も蝦蛄も貝紐もある、と熱を帯びた囁き声で夫婦でいい交わし、それにつけても漬けや昆布〆といったひと手間かけたネタが多いのも、それが寿司屋の評価としてどうなのか素人にはわかりかねるものの、物珍しいには違いなかった。まずはツウぶって小肌をいただく。握りは小皿や寿司下駄に載せられるのではなく、寿司ネタを置くガラスケースとカウンターテーブルとの境が半尺幅の白木の一枚板で上げられていて(後日調べてこれを付け台というらしかった)、そこへ直に置かれる。立喰といい、付け台への直置きといい、これが江戸前の本流なのかもしれないと思いながら、こちらにとってはなにもかもが新趣向で、食す以前の楽しさである。さて握りだが、酢の物を平生好んでは食べない私が開口一番、うまいといった。妻もしかり。続いて平目の昆布〆を注文。いまとなっては寿司ネタのなにが好きかと聞かれて迷いなく平目と答える私であるが、平目を愛するゆえんは味というよりその背景であり、その背景を与えるものとは森茉莉の『貧乏サヴァラン』の一節であった。

《白い皿の上に平目はどこか透明に、表面に薄い薔薇色と、薄い緑の鈍い艶を浮べてい、家でつけた清潔な大根おろしが、尖らせずに盛られていた。(…)さて平目の刺身が白い皿にのって出現して、いよいよ、黒塗りの長い丸形の箸で摘み上げて口に運ぶのは天国である。マリアは「ご苦労様」と自分に挨拶し、やおら箸で刺身を挟み、醤油とおろしを気に入る位つけて、それで黒と赤との黄金で縁取りした小さな菊の模様の茶碗に盛った白い飯を丸く包んで口に入れる。その瞬間が、マリアの艱難辛苦の大団円である。時にはおろしをつけずに、平目が真赤になるほど醤油にひたしつけて、三つ切り位にちぎって飯の上にのっけることがある。この方法はマリアの幼児の時にそうやって喰わせられた、郷愁的なたべかたであって、それが口に入る時は、過去の或る午の時間が、現在の時間の中に再生する刻(とき)である。おお、小春陽うららかな、失われたお刺身の刻よ》

ちなみに森茉莉とは森鷗外の長女である。私の目の前の付け板に平目の昆布〆が一貫置かれ、お先にと口に運べば昆布の香りが鼻を抜け、平目の甘さが口中いっぱいに広がる。まさに艱難辛苦の報われどき。と、妻の目の前に置かれた平目のネタが、シャリ全体を覆い隠すような大きさで、思わず傍らで目を剥いた。次に頼んだ鯛の昆布〆にも明らかなネタの格差があって、妻も私も苦笑せずにはいられなかった。それでも職人(弟とおぼしきほう)はこちらの反応を知ってか知らずか、終始涼しい顔して立ち働いている。四貫目に妻の好物の帆立を注文すると、妻のはネタが大ぶりなどころか注文しない貝紐までがついてきて、さすがにバツが悪くなって、それ以上は頼まずそそくさと店を後にした。

「だいぶ気に入られたようだね」
「ほんとにね」
そういって寒空の下を歩きながら、ふたりしてクスクスといつまでも笑っていたものだった。

それからまた何回となく栄寿司へは夫婦で通うことになるのだが、妻が過剰なサービスを受けたのは、後にも先にもあの一回限りである。やがて初子を身籠ると、妻にとって立石は縁遠い土地となっていった。

付け台への直置き




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