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桐と人魚

 そろそろ来るかな……という予感めいたものがあって、それは必ずといっていいほど当たった。

 終業間際にデスクの島の内線が鳴る。先刻まで軽口を叩き合っていた事務の女の子が、不意に真顔になって取り次ぐ。電話の向こうは会社の「お偉いさん」のひとり。この人が、どういうわけか思い出したように葉鳥を呼び出して、月に一二度食事に連れていく。どういう風の吹き回しか。大方お偉いさんの会議で自分の名前がまた俎上にのぼったのだろうくらいに思っている。自意識過剰というほどのことでもない。会社が定期的に社員に課すレポートというのがあって、お偉いさんたちは今度彼が何を書くのか、いつからかちょっと気にしているふうなのだ。部署の長は戦々恐々としている。悪目立ちするな、と酒を交えて忠告する。色々なお偉いさんがいて、葉鳥のことを快く思っていない人も少なくないのである。「あんなもの、作文なんだから」と部署の長は言う。「当たり障りなく書く、というのが大人の対応だろう」。はい、と言いながら内心で葉鳥はこう思っている。作文だと思うからこそ、感想しか書かない。大人の対応というが、悪目立ちでもなんでも、有象無象いる組織で上層部に名前を覚えられることは、必ずしも悪いことばかりではないはずだ。

 葉鳥は批判するなら代案を、の部分を決して外さなかった。また批判の部分は箴言風に書いた。たとえば部署の増設と長のポストの増設については「船頭多くして船山に登る」、契約社員の雇い止めについては「イカでもタコでも切りすぎては足は生えない」。舌鋒まろやかに、が信条だった。こんな部下、ちょっと鼻持ちならんな、と今となっては部署の長にこそ同情する。しかしあの頃はなにぶん若かった。若さはなにかと方便になる。老いもまた然りだが。で、くだんのお偉いさん、花岡専務は酒を勧めながら相好くずして言うのである。
「まあ、出る杭は打たれますが、出過ぎた杭は打たれませんから」

 この人にウヰスキーの手ほどきを受けた。その当時専務の贔屓にする店が職場近くの神田川沿いにあって、その店の名をとって、〇〇会議と陰で呼ばれていた。あるいは〇〇人事と恐れられていた。中間管理職たちが夜な夜な専務に呼び出され、なにやら秘密の会談が行われている、と本部付きの役職なしの社員の耳にさえ聞こえてきた。専務は現場から上がってくる議事録を細かくチェックしており、それに基づいて職員の内偵を進めるのらしい。〇〇会議の存在は公然の秘密だった。本部付きの人間にとっては、それを知っていることが、現場の人間に対する優越感を生むなにかだった。
 後々〇〇会議は、専務よりもっと上の人間の知るところとなり、背任行為の最たるものと烙印を押され、彼が一年間で〇〇に落とした会社の金の額がどこからともなくリークされて、これまた役職の付かない末端の社員の耳にまで届いて仰天させた。どの道、専務は業績低迷における敗軍の将として詰め腹を切らされる運命にあったと見え、それから退職までは呆気なかった。取締役を与えられはしたものの、室にこもってなんの権限も発揮し得なかった。会社は退職金を払えないから、こうして飼い殺しをする、と専務は自嘲したことがあった。そして彼の失脚からほどなくして、会社の身売りが始まった。
「創業者はどうでも、それを引き継いだ者たちの本音は、怖い、の一言ですよ。千人以上の社員がいて、各々の社員には家族だってある。これを食わせていかなきゃならんのだから、相当の気概と自負と能力がなければ、頂点に立つなんて、生半可にはできませんよ。残念ながらうちの会社にそんな器の人間はおりません。早いところ売っぱらって、受け取るもの受け取ったら早々に退散したいというのが、連中の本音でしょう」
 同じ口が、余市と山崎の深みの違いを語る。スコットランドの島々の、ピート(泥炭)について語る。あるいは樽の材について、ミズナラは日本原産なのだと嬉しそうに蘊蓄を垂れる。
「このボウモアは、ピートを含む川の水を原料にしているのです。だから非常にスモーキー。その、薬のような後味ですね。それから香。どことなく潮の香が鼻腔に膨らみませんか。このスコッチが作られる蒸溜所は海抜ゼロメートル地帯にあって、海がすぐ目の前に迫っている。だから麦もピートも樽もなにからなにまで年がら年中潮風に洗われている。潮の香が染み付かないわけがない」
 言われてそんなものかと葉鳥は思う程度だった。ウヰスキーにしろワインにしろ、飲み食いに蘊蓄を垂れることほど下品な所作もないと思うところがあった。庶民の裏返しの矜持にほかならなかった。
 会食するたびにいろいろなウヰスキーを口にすることになった。そのなかにはかなり値の張る逸品もあったろうが、勧められるままに「おいしいですね」と言葉少なに感想して、解放されれば酒の銘柄などまるで覚えていないのだから、つくづく奢り甲斐のない若造だった。
 お偉いさんの前ではしっかり猫をかぶることを怠らなかった葉鳥だが、その晩珍しくアルコールを過ごしていた。二件目に例の〇〇に連れていかれて、この人はどうもスモーキーなのがお好きなようだから、とその時はアードベックを勧められて、「おいしいですね」を連発しながら立て続けに二杯煽って、マスターに叱られた。
「あなたの飲み方はね、非常に下品なんですよ」
 虫の居所が悪かったのかもしれない。しかしそもそもアクの強い人物で、このマスターを苦手とする人間は少なからずいた。人事のことで花岡はこのマスターに意見を仰いでいるらしい、との噂も聞こえた。
 下品といえば客に説教するのもまた下品ではないのか、と言いかかって、酔いはみるみる冷めていった。申し訳ありません、とマスターにとも専務にともなく頭を下げていた。
「いやいや、いいんですよ。ただ、今宵はちょっと、お酔いになりましたね」

 この「お酔いになりましたね」が散会の合図であることは、本部の〇〇の常連にはよく知られていた。「お酔いになりましたね」の一言で二度と専務に呼ばれなくなる御仁もひとりやふたりでなかった。
 かくして葉鳥にもしばらく声がかからなかった。
「あれ、専務とはしばらくじゃないか」
 嬉しそうに言うのは部署の長。陰で「お稚児さん」呼ばわりされているとしても不思議はなかった。しかし葉鳥には妻もあれば小さい娘もあった。ひと月に数回とはいえ、午前様が重なれば、剣呑でないはずはなかった。声がかからなければ、それなりに不安は不安でも、家庭の安寧は守られた。

 専務からお呼びがかからなくなったのと、専務の閑職への追いやりが決定したのが前後していたと記憶している。もともと「雲上人」なのだから、あれは刹那の夢と忘れかけた頃合いに、例の内線がかかった。呼び出されて葉鳥は高級焼肉料亭に連れていかれた。初めてシャトーブリアンなるものを食して、ああ、これは妻に食べさせてやりたいなどとあらぬことを思っていると、家を貸そう、と出し抜けに言われた。
 東に川を三つ四つと渡った隣県の、内陸部の営業所の所長が病に倒れて、その代替として葉鳥が派遣されることに近日決まった。臨時の辞令が下って、それを待ってのこれは呼び出しだったのである。たしかに住まいから営業所までは電車で二時間弱の道行で、それを慮っての家貸しの申し出だから、渡りに船と言えばその通りだが、一抹の疑念がよぎる。聞けば、家は三軒あるという。隣県の内陸にある家は長年の空き家で、三人の娘が成人するまで過ごした家なのだという。今は妻と二人で住まう家が要町に一軒、仕事場にするマンションが大塚にあるとのこと。さすがバブル期に壮年として会社を支えた人は違うと葉鳥は舌を巻いた。借りないという選択肢はないと決めてかかるようで、紙はあるかと急かされてルーズリーフを一枚渡すと、テーブルの上を空けてそこに紙を置き、一番上に「契約書」と横書きすると、さらさらと思いつくまま条項を記していく。明らかに専務はこの状況を楽しんでいた。しかし葉鳥の戸惑いは察するに余りあるだろう。「火の元は用心すること」「戸締まりは怠らないこと」「寝るときは雨戸を閉てること」「人をむやみに連れ込まないこと」等々、穏当というか、ひとり留守番する子どもに親が念押しするような内容を書き連ねていく。そうして書き終えて、はい、それではここにサインして、と言われるのかと思いきや、奥さんとよく相談して、と言われて四つ折りしたその紙を渡され、その日はそれでしまいになった。

 他意はないのだろうか。
 考えれば考えるほど、奥さんと相談せよ、との仰せが両義性を帯びてくる。他意はないことを裏付けるようにも取れるが、それなりの覚悟をせよと仄めかしたとも取れなくはない。専務に男色の噂は聞かれなかった。しかしそれも葉鳥が知らないだけなのかもしれなかった。いずれ、会社の人間に相談できることではなかった。純粋なご厚意だとは思うけれど、と妻が後押しして、彼は数日後にサインをした即席の契約書を手に専務の室を訪れた。そうかそうかと嬉しそうに頷きながら鍵を渡して、
「時々遊びに行きますからね」
 と花岡専務は言った。

 花岡専務の家には年末年始を挟んで三週間と世話になった。倒れた営業所長の術後の回復が思いのほか早く、年度末までは覚悟した葉鳥は早々にお役御免となった。専務が遊びに来たのは最初の週の、金曜の夜の一回限りで、缶ビールを傾けながらの問わず語りに終始して、心配されるようなことはなにほども起こらなかった。近々中国は深圳に行くとのことだった。今度のは視察だが、ひょっとすると出店するかも知れないと専務は言った。夜も更けて泊まるのかと思ったら、タクシーで帰るという。あなたに気を遣わせてはいけないから、となんだか本末転倒になっている。去り際に、ひとつ頼まれてくれないか、と改まって切り出されて、覚えず構えた。
「庭の桐の木がですね、隣家を侵蝕しているのですよ。年の瀬にそれがどうにも気がかりで。時間のあるときに適当に切っていただければと。梯子も鋸も新調したのが物置にありますから」

 収納や箪笥を開けて回って人の生活を詮索するようなマネは金輪際しないが、棚に飾られた写真立てやら壁にかけられた表彰状やらはまじまじと眺めたもので、この家にたしかに三人の娘がいて、なに不自由なく成人まで育った痕跡を辿ることができた。三坪あるかなきかの庭のほぼ真ん中に、二階家の屋根を越す高さに成長した桐の大木が、空に細かい枝の網目を張っていた。隣家の一階の庇を脅かす枝が二、三本あって、庭木の剪定などしたことのない葉鳥は、スマホで調べながら慎重に慎重を期して、どうにか樹形が不恰好にならない程度に片側の枝をいくつか鋸で落とした。それをまた同じ長さになるよう切って束にし、紐で結んで玄関先に出したら、束の数は七つに及んでちょっと怯むくらいのものだった。半日仕事だった。
 枝打ちされた木を見上げながら、桐の樹齢を思っていた。おそらくは最初の娘の誕生時に植えられたものだろう。娘が生まれるのと同時に桐の木を植えるとは、話に聞いた慣習ではあるけれど、桐の木を間近に見ること自体、葉鳥には初めての機会だった。嫁入りと同時にこれを切り、箪笥にして嫁入り道具として持たせる。そんなことがふつうに日本で行われたのは、果たしていつ頃までだったのだろう。この木だって、嫁入りの時には切られなかった(三人姉妹それぞれの婚礼の写真が家に飾られてあることから、皆一度は片付いたとわかる)。娘に注がれる愛の具現の一つであり、なかなかいいものだとは思いつつ、そんな庭があればの話だが、と自嘲気味になる。自嘲といえば、今日は昼までには帰ると妻と娘には言ってあったのだ。それが夕にかかってしまって、慌てて葉鳥は専務の家をあとにした。
 大晦日に俺は人の家の庭の桐を切ったのだ、と言葉にすれば、涙の滲むような、それでいてなんとも甘やかな。

 花岡専務の送別会が開かれたとのことだったが、葉鳥は呼ばれなかった。葉鳥と専務のあいだに数知れぬ役職者のあることを思えば、それは無理からぬことだった。そして葉鳥も、それから一年もしないで職を辞した。理由はいろいろと後付けできるが、要は自由になりたかったのである。自由がなんであるかだけは、葉鳥にははっきり見えていた。

 あれからはや十年である。その十年も間もなく終わろうとしている。
 寝しなにやるウヰスキーはここ数年はもっぱらタリスカー。スカイ島で蒸溜されるこのスコッチを『宝島』で知られるかのスティーブンソンが絶賛したとの記事をどこかで読んで、それでふと試してみたところが、まるで長年これを待っていたとでもいうように身体の隅々にまで染み渡ったのがきっかけで、以来、眠れぬ夜にはタリスカーの力を借りるのが習いとなった。夜のしじまはいつでも己の身の、明日をも知れぬ心もとなさについて思い至らせるのだが、ウヰスキーの香が鼻腔に膨らむと、葉鳥のむさい部屋は容易に海賊船の船室と化した。窓の向こうは広大な海原、月明かりに水面は銀の光を散らし、風はそよいで波は静か、束の間の平穏時に甲板にいる夜回りの男たちの寝息さえ聞こえるようで、葉鳥はいつか辿り着く宝島のことを思っている。宝を手にしたなら、まずなにをしよう。家を買おう。庭付きの。そして庭の真ん中に木を植える。もちろんそれは桐の木。大きくなったらそいつを斧で切り倒し、娘のための箪笥やらなにやらを全部俺の手でこしらえるのだ。
 やがてまどろみのなかで、光り輝く黄金を抱く船室の葉鳥が認められることだろう。そんな夜には、星降る水平線の彼方から、人魚どもの誘惑の歌声が聞こえてこないとも限らない。


(了)

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