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ヴァンピールの娘たち Ⅰ-4

人は生まれながらに追放者エグザイルであり一所不住の生活はその宿命。そう教えられて育ったムゥとクゥの姉妹は、トレジャーハンターの父と母からサバイバル術を含む英才教育を施されながらついに小学生になる。

『ヴァンピールの娘たち Ⅰ-3』あらすじ



Ⅰ-4. 束の間の一所定住生活。都下の家の庭、あるいは耕やされる黄金郷エル・ドラード。そして黄金郷のエメラルドは栞となって書棚にしまわれる

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 姉のムゥが小学四年生、妹のクゥが小学三年生になんなんとする折、一家は東京に移住した。東京は初めてだった。東京、と一口にいっても、もちろん広い。彼らの移住先は二十三区外の、いわゆる都下に属していて、いまはどうでも、往時は住宅地の面積と生産緑地のそれとが半々といった、子どもの目にもたいそう鄙びた土地だった。「緑が多い」と褒めるのが、ここを初めて訪れる人間の無難な社交辞令だっただろう。そこへ春に越してきて、翌年の夏を待たずに一家は去ることになるわけだが、一年とちょっとを一所に住したことになり、思えば姉妹の少女時代におけるそれが滞在日数の最長不倒となる。


 都下の家は、木造平屋の貸家だった。当時の貸家といえば、いずれも築年数四十を下らない戦前からの日本家屋で、赤茶に塗装した細板を縦に並べてなった外壁に、切妻の瓦屋根、矢切の三角スペースばかりを漆喰で白くした、どれも同じ仕様だった。当時はそこかしこにひしめいたこのスタイルの貸家が次々と解体される端境期に当たって、扁平な屋根を持つ新素材の軽鉄二階家に、あるいは鉄筋コンクリートの公団に次々に取って替わられた。目まぐるしく景観を変えていく町なかにあって、ムゥとクゥの家と庭は、四方を新築の二階家と新築の低層集合住宅とに囲われて温存された、いわば手つかずの昭和十年代だった。

 まず玄関は、外開きのドアでなく、引き戸。磨硝子の嵌った格子戸を開くと、そこは六畳ほどの土間で、左手奥にかまどの口が二つ開き、その横に水場があった。火と水の場所、と姉妹は呼ぶことになる。正面にある引き戸は壁が戸袋になっていて、その向こうが納戸であるらしかった。右手に黒光りする幅五十センチほどの長板が渡してあって、それを父は長式台というと姉妹に教えた。これに腰掛けて履物を脱いだり履いたりする。長式台からさらに敷居の段差があり、行手を閉ざす硝子戸を開けば、向こうは畳の八畳間。古い家の匂いが姉妹の鼻腔にたちまち充満する。正面と左手に閉てられた襖を開ければ、各々さらに八畳間が向こうに続いた。左手の最奥に和式の厠と風呂場、それに洗濯場があり、家屋にくの字に囲われる形で狭くもない庭があった。庭に沿ってある廊下は、部屋とは襖によって、庭とは硝子戸によって隔てられ、これがいわゆるくれ縁だと父は姉妹に教えた。


 姉妹がこうしてこの家を初めて訪れたのが三月半ばのことで、庭は春の草木で茫々の荒れ放題だった。 荒れ放題といえば聞こえは悪いが、くれ縁の硝子戸越しに姉妹が見たそれは、エメラルドグリーンに輝く秘境にほかならなかった。時刻は正午過ぎ、庭に燦々と日の光は降り注ぎ、この家まで来る道すがらジムニーの窓外に見た町の景観に胸中泥むようだった姉妹の憂鬱は、たちまち雲散霧消した。
 父を隊長とする庭探索隊が急遽編成される。くれ縁の硝子戸を開けると、そこはまさに黄金郷エル・ドラードだった! エメラルドばかりか、翡翠、ペリドット、プレナイト、ツァボライト、トルマリン、スフェーン、パライバトルマリン……とありとあらゆる緑石でもってところ狭しと飾りつけられた小さな王国。かしこに咲く花叢は、地下の鉱脈から溢れ出る黄金そのものだった。あるいは流れ出す溶岩、あるいは溶けゆく残雪、あるいは旅人を導く灯火の列。王との謁見を求める旅人は、ある者は純白のドレスをさかんに翻して舞い、ある者は従者の長い隊列のしんがりの御輿の上で超え太った軀を持て余し、またある者は葉蔭にしばし憩って緑石の髄液を失敬するうちみずからもまた碧翠に染まって、赤地に黒く王国の紋章染め抜いた甲冑姿の憲兵に見咎められてムシャムシャと尻から喰われていく。
 庭にはいく本かの木が植わっていた。隊長は幹に片手を添えながら、それら一つひとつの名を隊員らに教えていく。「南西の角にあるのが山椒、南東の角にあるのが金柑、いずれも柑橘系だから鋭い棘があるので気をつけて。いずれアゲハがたくさんやってくる。……西に白梅、東に紅梅、しかしもう花のさかりは過ぎたようだ。梅雨時になったら梅の実を拾ってシロップを作ろう。……白梅の背にあるあのいじけたような木が木瓜、東の塀際にある白い花、あれはシキミ。花にも葉にも毒がある。死んだ人を納棺するさい、あらかじめ棺の底にあの花や葉を敷き詰めておく地方がある。魔除けの意味もある」
 白梅の樹冠に残った花叢に、抹茶色したちんまい鳥が飛び込んだかと思うと、また別の一羽が追ってきて、同じ花叢に潜り込んだ。花びらがなん枚と音もなく舞い降りて、そのうちの一ひら二ひらが、見上げる姉妹の頬をかすめていく。

 長兵衛 忠兵衛 長忠兵衛
 長兵衛 忠兵衛 長忠兵衛
 長兵衛 忠兵衛 長忠兵衛
 ……

 ひとしきり鳴き交わすと、つがいはまたどこぞへと弾丸のように飛び去った。
「メジロです」
 父がまた姉妹に教える。


 新居への荷物の運び入れと整理とが一段落した週の日曜の午前、遅寝から覚めた姉妹は、父と母が庭にしゃがみ込んでせっせと働くのを見た。
「チチとハハ、おはよう。いま、なにしてる」
 くれ縁の硝子戸を引いてムゥとクゥが順に問いかけると、
「草取りよ」
 見れば軍手を嵌めた父と母の手によって、楽園の碧と翠とはいままさに蹂躙されつつあるのだった。
「なんてことを!」
 ムゥがいい、
「なんてことを!」
 クゥがいう。
 背後でタンヌがマ〜オと呼応する。青石の沓脱石の上に外履きのないのを認めると、ムゥは玄関へ飛んでいく。タンヌを両腕に抱えると、クゥもあとを追った。
「そのままでよかったのに!」
「そのままでよかったのに!」
「マ〜オ!」
 庭に躍り込むなり、娘らが抗議する。腰をさすりながら父が起き上がり、頭上の蒼穹を吸い込むようにして、大きな伸びをした。
「君たちがそういうのもわかるよ。チチもハハも、子どもの頃から荒れた庭が大好きだったから」
 父がタンヌの頭を撫ぜようとすると、タンヌは珍しく牙を剥いて威嚇した。
「でもね。ここを整地して、菜園にしようと思うのだよ」
「サイエン?」
「そう。野菜の畑。君たちの好きな野菜の種を、なんだってここに植えていいんだ」
「エダマメも?」
「もちろん」
「トウモロコシも?」
「もちろん」
「トマトも?」
「もちろん」
 ムゥはとたんに目を輝かせて、「なら手伝う!」となって、その場にしゃがみ込んだ。しかし妹のクゥは、概して切り替えの早いほうではなく、なににつけちょっとこだわる子どもだった。
「ここの緑は、全滅なの?」
 タンヌの毛に顔を埋めるようにしながら、クゥは誰にともなく訊いた。
「全滅ではないわ。また来年も春になったらそこらじゅうに生えてきて、旺盛に花を咲かせるの。草花は、とても強いのよ。だから安心して」
 母が宥めるようにしていう。それでもクゥは浮かない顔だった。
「それならムゥとクゥは、草花の方舟を作りなさい。草取りはチチとハハが引き受けますから。あなたたちのいう黄金郷エル・ドラードはいま、神の逆鱗に触れ、無に帰そうとしているのです。私たちは、いうなれば神の遣わしし下僕。ある者はそれを刈り取って火に焚べ、ある者はそれを救って後世に語り継ぐ。あなたたちは後者になりなさい」
 そういって母は、摘む前にまずよく観察して図鑑でその名を同定し、摘んだならすみやかにティッシュペーパーに包んで、それを書棚にある本に挟んで押し花を作ることを提案した。これにはムゥもクゥも俄然乗り気で、さっそく靴を脱ぎ捨てて縁台に這い上がると、廊下に沿って置かれた書棚から大判の植物図鑑とポケット版の野草図鑑を銘々引っ張り出してきて、庭の方々にしゃがみ込んでは二人鳩首してああでもないこうでもないと話し合い、メモを取り、摘んではポケットに入れして、結果、十種以上の押し花を作成するに及んだ。
 それぞれの押し花は、姉妹が手当たり次第に取り出した本のいずことも知れぬページに挟まれたきり、その後何十年と放置されることになる。次のようなメモ書きを添えたことすら、姉妹はじきに忘れてしまう。

ハハコグサ
キク科ハハコグサ属越年草。春の七草のゴギョウに同じ。花が終わった後の綿毛が毛羽立つ(ほうける)様子から、「ほうける草」と呼ばれた。これがなまってハハコグサ。昔々あるところにお母さんと子どもがいました。子どもはまもなく病気で死んでしまいました。悲しみのあまりお母さんも死にました。母と子は天国で再会しました。今度はいつもいっしょにいようねって約束して、それからは春になると母子はひとつになって庭に咲くようになりました。

コオニタビラコ
キク科ヤブタビラコ属越年草。春の七草のホトケノザに同じ。タビラコとは田平子で、早春の水のない田んぼに土に張り付くように根出葉を広げている様子から、そう呼ばれるようになった。田平子は小さい頃から小さくて、早く大きくなってオニと呼ばれたいと思っていた。いつまでも大きくならないのでクヨクヨしていると、心配したおじいさんがわけを聞き、なに、案ずることはない、おまえはもうとうにオニ田平子じゃ、といって励ました。でもちっともボクは大きくないよと田平子が文句をいうと、だったら小オニ田平子じゃな、とおじいさんはいい、それを聞いた田平子は、自分にぴったりの名前だと思って安心した。

オドリコソウ
シソ科オドリコソウ属多年草。この世に女の子として生まれた女の子たちは、踊り子になる夢をいつか必ず見るといわれています。でも踊り子になれる女の子はほんの一握りです。たとえ踊り子になれても、おばあさんになったら用無しです。叶えられなかった夢の悔しさも、叶えられた夢の喜びも、用無しになった夢の寂しさも、みんな神様がいっしょくたにしてくださって、春の庭に咲くようにしてくれました。名前はかわいらしいが、見た目は厚化粧のおばあさんのようで、ちょっと気味が悪い。


 猫の居場所はもっぱらくれ縁で、一日の大半は寝ているか毛繕いするかで、時折庭に紛れ込むサバトラやハチワレが梅の木に登って硝子越しにさかんに誘惑しても、目だけを開いて反応するのがせいぜいで、ふたたびまどろみをまどろみながらまどろんでいく。


つづく

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