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満月夫人

 年始に古い友人と飲みましてね。
 日のあるうちからしたたか飲んで、気がつけば終列車の出る時刻。もう何軒ハシゴしたかわからない。駅までの道すがら、友人が往来の真ン中でよろよろっと頽れまして。ケラケラ笑って手を差し伸べると、思いのほか強い力で握り返されて、真顔で見据えられたものです。あれは、いったいなんだったのでしょう。

 二人して道に迷いまして、私はたまらず電信柱につと寄ると、その陰に嘔吐した。吐くまで飲むなんて、何十年ぶりでしたでしょう。自由業の友人に家庭はなく、週末は決まって界隈で飲み歩くようでしたが、こちらは自営業で加えて律儀者の子沢山、四人の一番上がはや高校生で、吐くまで飲むどころか、街に出て飲むなんてことがついぞなくなった。セルフブラックなんて、よく自嘲したものでした。

 嘔吐しておりますとね、視界の端に裸足が見えた。友人かと思いましたが、もとより違います。サンダルの白いバンドから、赤のマニキュアの足指が覗いていた。女の素足です。スカートの裾がくるぶしまで来て、あれはハイビスカスでしたでしょうか、赤い花模様の隙間を黒と緑が埋めている。ノースリーブの夏物のワンピースを思いました。
 人が吐くのを見下ろして、介抱でもするつもりか酔狂な、と顔を上げかかりましてね、あれはなんでしたでしょう、自分でも不可解な、見てはならぬという内なる警告が瞬時に発した。ああした飲み屋街には色惚婆が徘徊して、終電逃して行き暮れた男の股間を弄って、入れ歯を外した口でねぶり尽くすとかなんとか、妙な噂を思い出したからかもわからない。

 ところでアイツどうした、となりますよね。一緒にいた古い友人のことです。気配のないことから、私を置いて先に駅に向かったとまずは思う。薄情な、とはよもや思いません。こういう場合、むくむくと自己嫌悪が萌しましてね、ひとりになることを切望するものではありませんか。あるいは色惚婆に捕まったのかもしれない。そんなことを思いながら、しばし電信柱の陰にうつむいておりますとね、塀に映る私の影がね、やけに濃いと、今更ながら気がついた。影が濃いということは、夜闇を照らす明かりが強いということにほかならない。街灯の明かりのせいばかりとも思われず、そういえば今夜は満月だったとようやく思い当たったのでした。

 それで振り返りましたところが、案の定、満月がぽっかり中空に浮かんでおりました。
 いえ、違います。
 女の首が、満月なのでした。
 黒地に赤の花柄のワンピースを召して、雪のように白い腕をだらりと垂らしましてね、天へゆっくり昇っていく。それだけでも十分怪異ですが、女のスカートの中に腹から上をすっぽり隠されましてね、また別の軀体が中空で足をばたつかせていた。ほかならぬ友人でした。やがて足先までスカートの中に吸い込まれて、股の暗がりからすうっと白い玉の緒が真下へ伸びてきた。女は遥か高みへ昇り続けまして、とうとう見えなくなりました。
 我に返ったときには、私は往来の真ン中に立ち尽くしており、瞬きもせずに満月を見つめているのでした。

 以来、どうかすると視界の端に素足の赤いマニキュアが、あるいは例のスカートの一部がちらつくことがあるのです。たとえば風呂場でかがんで洗髪しておりますでしょう。すると気配が不意に周囲に立ちこめるのです。薄目を開けると、女の足が見えることがある。そうしてそんな日は、決まって満月。

 見交わし合えば、あの古い友人のように、私もまた月に攫われるのでしょうか。日々多忙を極めて娯楽もなにもなくなってきますとね、いっそ攫われたいなんて思わないこともございませんね。
 攫われてどうなるかはよくわかりません。例の古い友人に聞いてもはぐらかされるばかり(彼はこの世に健在ですよ。驚かれました?)。先日、何ヶ月かぶりにまた会いましてね、その折りに聞いたのは、なんでもこの頃は軀体の一部が月に変わっていくのだと。一見してなにも変わらないけど、と私がいいますと、右目の瞳孔が月齢に合わせて満ち欠けするのだと。いわれて私は彼の右の目を覗きこみましてね、
「欠けるふうには見えないけど」
「そりゃそうさ、今宵は新月だもの。新月でなければこうして人になんか会わんさ。満月の晩はちょっと障りがあるし」

 次に彼と会うのはいつになることでしょう。今度会うときには、両目とも欠けているやもしれませんね。

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