大晦日
三十日が仕事納めで、ようやく報告書を書き終えたときには、時刻は零時を回っていた。
妻の入院が思いのほか長引いて、年内退院の予定が、年明けになると告げられていた。子どもたちも、だから妻の実家に預けられたまま戻らない。
帰りしなにコンビニで買ってきたあれこれの惣菜をつつきながら、同じくコンビニで買ったパックの安ワインをちびちびやって半分も空けると、猛烈な睡魔に襲われた。風呂を沸かしに立った。酒豪の女優が、最近風呂のなかで亡くなったのを、ちらと思った。
下呂温泉の素を入れた熱い湯に肩まで浸かりながら、私は控えめに喉を鳴らした。鳴らすというより、唸るに近かったかもしれない。ホーミーが、この頃はだいぶ上手くなったと、自負していた。
「喉歌の練習ですか」
倉庫の整理を手伝わせていた部下にいわれて、私は思わず目を剥いた。
「いえ、あの、よく喉の奥を鳴らされているので」
部下いわく、モンゴルの遊牧民に伝わるホーミーという歌唱法があり、私の喉の鳴らし方が、それによく似ているのだと。そういえば長期休みのごと長旅をする男で、コロナ禍前はモンゴルをも訪れていたはずで、そのときに「砂漠で拾ってきたものです」と、すべすべした赤っぽい石を渡されたのを、私は思い出した。
我知らず喉を鳴らしていて、しかもそれを部下に指摘されるとは不覚も不覚と、さぞかし赤面していたことだったろう。いつから、と私は訊いていた。虚をつく質問にも部下は鷹揚に笑いながら、
「そうですねえ。ここ一二週間でしょうか。きれいに割れています」
と答えた。どうやら私は、妻子が家にいなくなって以来、折に触れ喉を鳴らす奇癖を得たものらしかった。
両手に湯を掬い、顔へ浴びせる。繰り返す。
「お疲れなんですよ」部下はいった。「そりゃ、そうですよね」自嘲するようだった。
「年始の休みは、どこか行くの」
「アフリカへ。国立公園内のプール付きのコテージに泊まるんです。夜になると、プールの水を飲みに、サバンナの動物たちが大勢やってくるんですって」
「アフリカか」
控えめに鳴らしていた喉に力を込める。次第に大胆になって、深更にもかかわらず、喉歌を張り上げてみる。
おどろおどろしいような声が割れ、澄んだ高音が、天空へ昇っていく。さらには地の涯まで渡っていく。モンゴルの、あるいはアフリカの、もとい、世界じゅうの動物たちがこの瞬間、私の歌に応えていっせいに首をもたげるのを、私は祈りのように思っていた。