セレンゲティの夜
古阪には五歳になる娘がいる。
兄とは七つ、姉とは五つ離れており、おのずと次女はひとり遊びに長けていく。それでも休日は、寝床から出ずに一銭にもならない書き物・読み物に余念のない古阪の布団の上にスキあらば飛び乗ってきて、猛獣・海獣・恐竜のフィギュアを握らせては、ごっこ遊びへ巻き込むのだった。
初めのうちは機嫌良く付き合ってやるも、書き物・読み物の続きがどうにも気になってくる古阪は、じき仕事用のタブレットを引っ張り出してきて、パスワードを入力して開いたのを渡してやる。それが娘の真の狙いでもあって、それを受け取るとさっさと姉と共用の自室か日当たりの良いテレビ室に引っ込んで、嬉々としてサブスクをサーフする。夫がこれをしてテイよく娘を追い出すのを、妻は口には出さないものの明らかに気に入らない様子だった。娘の歓心を買いつつ厄介払いする姑息ぶりに自分でも胸が痛まないではないが、娘がしつこく絡んでくれば古阪はそれをやらざるを得ない。
今年の盆休みに古阪は次女に平仮名を教えた。
柄にもなく父親らしい役目を買って出た、というより、当の娘に直々に乞われたのだった。絵本を読んでもらいたいが、兄も姉も両親も私事にかまけて相手をしてくれない、だから自分で読めるようになりたいと次女は訴えた。その健気さに動かされた古阪は、盆の休みに小一時間を割いて毎日平仮名を教えたのである。その準備として彼は、事前に通販でイーゼル付きのホワイトボードを購入した。それを背に改めて我が子に対峙したとき、食卓に開いたノートの広大さと、それへ向かって座る娘のちんまりさとの対比に、古阪は虚をつかれる思いがした。
生き物好きの娘のために、一つひとつの平仮名を、生き物に絡めて教えた。たとえばこんなふうに。
「あるまじろ」の「あ」。
「いりおもてやまねこ」の「い」。
「うちだざりがに」の「う」。
「えりまきとかげ」の「え」。
「おらんうーたん」の「お」。
「それでは『け』ね。『け』で始まる生き物といえば……」
「けあ」
「けあ?」
「そう、けあ。ぼくがだいすきなとりだよ」
「けり、じゃないの」
「ちがうよ。けあ、だよ」
「けあ」
「そう。け、あ。けーあーってなくんだよ。せかいでいちばんさむいところにすんでる、せかいでいちばんかしこいとりなんだよ」
それで古阪は、ホワイトボードに大きく「けあ」と書いた。あとでスマホで「ケア 鳥」とググってみて、和名をミヤマオウムというニュージーランド産のオウムがいることを知った。マオリ族のことばで、これをケアというらしかった。
こんな調子で古阪は、「は」のところでは「はだかでばねずみ」を、「ほ」のところでは「ほっきょくどくが」を、逆に娘から教えられるという塩梅だった。
「しかしホッキョクドクガには驚いた。幼虫はこんなにもモフモフなんだな」
スマホでホッキョクドクガの幼虫の写真を示しながら、古阪は後日妻に報告した。
「こいつはすごいよ。十年以上も北極圏の島で幼虫のまま越冬するんだね。体液に不凍液を含むらしく、マイナス七十度の極寒でも凍らずにいられるんだって。しかしなんでまたあいつはこんなこと知ってるんだ」
「タブレットよ。パパが時々貸してる」
「アニメ三昧なんじゃないの」
「アニメもだけど、動物ものも好んで見るらしいよ。ドキュメンタリーとか好きみたい」
末は獣医か生物学者かと、ひそかに古阪はほくそ笑んだものだった。しかし年の暮れに娘が幼稚園でもらってくるアルバムの「将来の夢」の欄には、拙い字で「あいどる」と大書きされてあった。
*
小晦日が仕事納めだった。
深更に帰宅した古阪は、書庫を兼ねる式台と廊下とを隔てる引き戸を開けようとして、引手の脇に緑の養生テープが貼られてあるのを見つけた。年の瀬のことだから、妻のした家の片付けの名残りくらいに思ってやり過ごしかかって、なにやら文字の書かれてあるのが目についた。
しんかい
拙い字でそう書いてあった。
次女の悪戯と思えば、おのずと相好の崩れる古阪だった。寝巻きの妻が床を起き出してきて、夫を迎えた。寝ぼけ眼をこすりながら、夫の顔を見て「どうしたの」と聞いてくる。
「いや、どうやら俺は、深海に迷い込んだようだよ」
一瞬怪訝な顔をした妻は、やがて思いついて「ああ、あれね」と笑った。そうして妻の示した書架の足下の暗がりに、赤と青の五百円玉大の五芒星の二つが落ちているのを古阪は認めた。ヒトデだった。それを皮切りとして、式台の壁一面を覆う書架の棚のかしこに、海の生き物たちのそれはそれは小さなフィギュアが点在するのを、瞬く間に古阪は認めていった。岩波文庫版『源氏物語』全六巻の前で、チョウチンアンコウが仄暗い灯をともしていた。と見るうち、井上究一郎訳『失われた時を求めて』全十巻の前を、リュウグウノツカイが銀色の長い軀をくねらせながらゆっくりと横切っていく。『ムージル著作集』全八巻の背表紙にダイオウイカが長い腕を絡めているかと思えば、『ケストナー少年文学全集』全八巻の前でラブカがダイオウグソクムシを威嚇し、『荷風全集』全三十巻をユノハナガニがびっしりと覆っている。バートン版『千夜一夜物語』全十一巻の前で惰眠を貪るのは、メンダコとフクロウナギ、そしてデメニギスの三体だ。
深海の調査を終えた古阪は、妻に導かれて食堂へ足を踏み入れる。食堂もとい、そこがいつからか「じやんぐる」であったのを、長押の隅にひっそり貼られた養生テープで古阪は知るにいたる。飼い猫が爪を研がないよう覆いをした三人掛けベンチのそのアーミッシュキルトをめくると、背板に「あるまじろ」と書かれてあった。食卓の天板の裏には「きようりゆう」、冷蔵庫の側面には「おさるのき」、炊飯器の裏には「やまあらし」、オーブンの覗き窓には「かめれおん」……といたるところに貼られてあるのだった。
「いつから」
「いつからだろう。わたしも昨日今日気がついた」
さしずめ流し場は瀑布に渓谷で、カバやワニが巣食うのだろうかと、つい古阪もそんな想像を誘われて、暗がりに小さな虹を見たように思った。幼い時分、身のまわりの事象をなにかに見立てるうち世界が誇大に広がって、やがて主人公が冒険へといざなわれる絵本だか小説だかを読んだことがあるように古阪は思い出した。日々ディスプレイ上を変遷する数値を追いながら、加減乗除を駆使してその動向を予測することを強いられる生業に疲弊しきってこごった頭には、名付けという、言葉のこの原初的な営為に立ち会う体験こそ、これ以上ない「ほぐし」と感じられた。
寝しなに子どもたちの寝顔を覗きにいくのは、古阪にとって一日の終わりの儀式のようなものだった。始終鼻詰まりに悩まされる長男は、相変わらず鼻笛を吹きながら父親と同じタイプの寝台を独占して眠りの底を漂っている。二段ベッドの上の長女はこちらに背を向けて寝るのが習いで、彼女の足元にはいつでも飼い猫の薄三毛が丸まっている。二段ベッドの下に眠るのがくだんの次女で、彼女の枕頭のぐるりはいつだって各種生き物図鑑と陸上生物のフィギュアが乱雑に散らばっている。自分が覗き込む直前まで、彼女の胸元に散らばるゴリラとユキヒョウとオカピとトリケラトプスは、なにやら怪しげなダンスを繰り広げていたのかもしれないなどと訝りながら、散らばるものを一通り枕の脇に並べてやり、図鑑をば重ねて長女の勉強机の上に置き直し、掛け布団を掛け直してやると、子どもの額にそっと口付けをする。
物音に眠りを破られた古阪は、まずは天井裏に潜むムジナの類を疑った。この家に移り住んだ当初は夫婦そろって天井からする物音によく煩わされたものだったが、物音がするときまって雨の伴うのに気がついてからは、どちらも居候のことを口にしなくなった。少なくとも夏が明けてからこちら、物音はパタリと止んでいて、だからそれを聞くのは煩わしさは煩わしさとして、安堵めいたものも仄かに萌すのではあった。物音というか気配が隣りのテレビ室に移ってゆき、壁一枚隔てて咆哮めいたものが聞かれたことから、テレビがつけ放しになっているものと古阪は勘づいた。壁時計は三時を指している。こんな時間に誰だろうと寝床を起き出して、子どもたちの寝室をコの字に迂回して隣室を探りにいく。
テレビ室の引手に手をかけた刹那、脇に養生テープの貼られてあるのが目に留まった。しゃがんで覗き込むと、「さばんな」とある。古阪は引き戸を開けた。
まず目に飛び込んだのは、満天の星月夜だった。庭に面するガラス戸の両のカーテンがすっかり開け放たれていて、青白い光がテレビ室を満たしていた。月は満月から二、三日を経たのちの欠け方をして、中天に差し掛かっていた。そして煌々たる月明かりに負けず劣らず輝かしい星々は、雨降るごとくに方々で流れ落ちた。
しかしなにより古阪が違和感を覚えた所以は、この馴染みの眺望にあってしかるべき梅の古木も、隣家の敷地とを隔てる苔むしたブロック塀も、その向こうに建て込む家々の影さえ見えず、一望して隅々まであまねく平らかであることだった。一瞬、焼け野原か津波の蹂躙した痕かと錯覚される。
鉢の開いた樹冠を水平に切りそろえたような樹々が遠近に点在して、濃い影を落としている。その合間を縫って長い首を前後に揺すりながらゆっくりと移動する碧い影こそは、キリンの群れに違いなかった。その向こう、さらにその向こうと幾重にも連なる雲叢のようにして獣たちの群れはあり、水辺を独占するように佇むゾウの群れのすぐ足元にワニどもが背ばかり覗かせて月浴みをし、かと思えばカバどもの群れが鼻面を浮かして遊泳する。ゾウの群れの後ろに控えるのはシロサイの群れ、シロサイの群れの背景をなすのは入り乱れて静かに草を食むシマウマとヌーの大群。地平線の彼方に黒々とわだかまるのは、キリマンジャロの山影と古阪は見た。
すぐ手前に視線を転じれば、ライオンのハーレムがあり、ハイエナのコロニーがそれに接し、さらにインパラの群れが接して、皆まどろんでいる。猛獣らの背を踏み台にして追いかけっこに興ずるのはヒヒの子どもたち、踏まれた側は 《roar》の発音にいかにも似つかわしい欠伸を発するばかりで、いささかも眠りを妨げられない。
鳥どもの群れが鳴き交わしながら月を横切っていく。呆気に取られてその場に立ち尽くした古阪の足元を、するりとすり抜けるものがあった。飼い猫の薄三毛だった。これがガラス戸に取り付いて、ミャオと弱々しく鳴いた途端、サバンナの獣たちは一斉にその動きを止め、草を食むものらは首を上げてこちらを振り向き、まどろむものらははちりと目を開いて起き上がり、空を飛翔するものらはたちまち獣たちの背や頭に舞い降りて羽を休めた。
古阪は薄三毛の名を読んだ。それが唯一の助けであるかのように。しかし薄三毛はこちらを振り返って微動だにせず、完全に「向こう側」に属していた。父親として咄嗟に思いついたのは以下の二つである。
一つは、愛娘を起こしてこの不思議を共有すること。ハナから古阪はこの事態を夢見のこととは思っていない。
「娘よ、これがセレンゲティの夜だよ」
娘の視線に並ぶようしゃがんだ自分が、耳元にそう囁くさまがありありと浮かんだ。娘はどんな顔をするだろうか。それが見たさに気も逸るというもの、その一択でなにを迷うと心は叫ぶ。
しかしさらなる内奥では、子を取られる、そう思っているのだった。これを見せたが最後、娘は向こう側へ踏み出して、永遠に帰ってこない。そんな気が、かすかな疼きのようにしてするのだった。そう思い当たると、眼前の獣らが試すのは、娘ではなく、ほかならぬ古阪自身ということになる。
古阪の逡巡するうち、一羽の鳥がよちよちと地を歩いてきて、縁台にひょいと飛び乗り、その嘴でガラス戸のガラスを向こうから叩いた。それを合図にサバンナの獣群は一歩前へ進み出たように見え、呼応するように薄三毛がまたか細く鳴いた。戸外の咆哮が波のようにこちらへ押し寄せてくる。
roar roar roar roar …
古阪は浚うようにして薄三毛を肩へ掻き抱くと、くるりと背を向け「さばんな」の戸を閉じた。
*
翌朝、遅寝の古阪は、次女に布団に飛び乗られて目を覚ました。素晴らしい発見をしたのだと娘は興奮していった。どうした、と問うと、これを庭で見つけたんだ、と右手を差し出した。それは長さ三十センチはあろうかという一枚の立派な鳥の尾羽で、人の手では染め得ぬような翡翠色をして、光の加減で虹色に輝いた。
「パパ、これ、なんのとりのはねか、ぐーぐるれんずでしらべてよ」
よしよしと古阪は寝床を起き出して娘を膝の上に抱く。
「なんの鳥の羽根だろうね」
「ぼくはね、ぜったいに、けあのはねだとおもうんだよね」
そういって、娘は庭から降る遅い午前の光に尾羽を翳してしばし見惚れた。娘の頬を覆うかすかな産毛にも、同じ虹色の光沢が帯びるのを、古阪は見た。