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小学生のわたしを救った1枚の写真 【わたしと家族写真#01】

 わたしたちが、出張撮影「fotowa(フォトワ)」というサービスを、なぜつくり、なぜたくさんの人たちに届けたいと思っているのか。

 その原点となるスタッフひとりひとりの家族写真にまつわる想いを紹介する「わたしと家族写真」。

 今回は、fotowaの広報を担当しているこばやんのお話です。

小学生の頃のわたしを救った家族写真

 小学生の頃、わたしは写真に救われたことがありました。
 救われただなんて大げさな、と思われるかもしれません。
 でも、当時のわたしには、その写真はたしかに「救い」でした。

 畳の上に分厚いアルバムを広げ、座り込んだまま、ボロボロと涙がこぼれた、あの日。

 わたしは打ちのめされていました。
 友だちだと思っていた子たちから、一言も口をきいてもらえなくなった自分に。
 勉強もできない、運動もできない、習っているピアノも習字もちっとも上達しない。その上、友だちにさえ嫌われた、何もない、無価値な自分に。

 わたしを必要とする人なんて、誰もいないんだ、と。
 わたしが死んでも、悲しむ人はいないに違いない、と。
 なんで、わたしは生まれてきたのだろう、と。

 友だちに嫌われたという、たったそれだけのことで、小学生の小さな胸に広がった絶望は、自分の存在意義を見失うほど深いものでした。


 その時、なぜアルバムを手に取ったのかは、もう思い出せません。
 でも、アルバムの赤いどっしりとした背表紙はいつも目につくところにあって、お気に入りの絵本や児童書と一緒に棚に並べてありました。

 ぶかぶかの白い産着を着て、ふっくらしたほっぺを晒して寝ていたり、目を開けたり、ただ笑っているだけの、まだ何もできないわたし。
 
 写真にところどころ添えられた母の手書きの文字は、
「ごきげんな、ワタチ」
「ワタチのだいすきなおてて。だって、あまいのがでてくるんだモン」
 と、そんなこと言ってるかどうかもわからないのに、なぜか、まだ話せないわたしに好き放題アテレコしたものでした。

 眺めているうちに、クスッと笑ってしまいながら、ふと、この時、母はどういう気持ちでこのコメントをつけたんだろうと思ったのです。


 アルバムのページをめくった先に、その写真はありました。
 そこには、わたしを抱く母が写っていました。
 不服そうに母の腕の中から抜け出ようとする赤ちゃんのわたしを、落とさないように肘を上げて、少し慌てたような、困ったような、でもやさしい母の横顔。

「ああ、わたしは、愛されている」

 まるで天啓のように、唐突に思いました。

 なんでもない写真です。とびきりの笑顔というわけでもない。
 だけど、そこにいる母の横顔が、わたしを「愛しい」と言っていました。

 ページをめくれば、膝の上に乗せたわたしの顔を覗き込む祖母の頬が。
 得意げにわたしを抱きかかえる姉のえくぼや、兄の白い歯が。
 怖いと思っていた父の大きな手が、言っている。
 
 わたしを抱けて嬉しいのだと、生まれてきたわたしが愛しいのだと。
 
 なんで、生まれてきたんだろう? ではない。
 死んで悲しむ人なんていない、なんてわけがない。

 クラスの子たちからどんなに嫌われても、友だちがいなくても、わたしには、わたしを愛してくれる家族がいるじゃないか。

 そう思ったら、自然と涙がこぼれてきました。
 わたしは、生きていてもいいんだ、と思えたからでした。


どうか、親の表情も残してほしいと願って

 写真を撮る時は、ただの記録なのかもしれません。

 だけど、共働きで忙しい両親と、少し歳の離れた遊び盛りの姉や兄がまだ帰らない家で、ひとり、絶望の中にいた小学生の頃のわたしの心を救ったのは、あの写真で、あのアルバムでした。

 わたしひとりを写したたくさんの写真も、記憶のない頃の記録として嬉しいけれど、わたしに向けられた母や父や姉兄たちの眼差しを感じられる写真の方が、わたしを励ましてくれました。

 そういう写真を残せるのが出張撮影だと思うから、もっとたくさんの人にfotowaを知ってもらいたいと思うのです。
 そして、できるだけたくさん家族写真を残してほしい。
 日々はスマホでもいいけれど、たまの記念日には、フォトグラファーさんを呼んで、子どもたちだけではなく、ママやパパの表情もわかる、家族のぬくもりを感じられる写真を残してほしい。

 いつかその写真は、お子さまの明日を生きる力になると信じています。
 わたしが、あの時、そう感じたように。


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何度でも見返したくなる写真を、
あなたに、子どもに、家族に。「fotowa


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