「二次的感情」を用いた自然撮影
皆さんこんにちはfotoshinです。
いきなりですが皆さんは自然風景を撮る際に、被写体の現状を観察し、理解した上で撮影していますでしょうか。
例えば目の前に大きい木があって撮影しようとします
大きい!
かっこいい!
生命力ある!
パシャリ!
自分も含め一般的にはそのようなプロセスを踏んで撮影しているかと思います。
どこに問題があるというのか、いやどこにもないです。
しかしそのプロセスの中に
「この木って実際今どんな状況にあるんだろう?」
とわざわざ近寄って、ぐるっと周りを歩いてみたり、じーっと見て観察することはあるでしょうか?
正直、普通に写真を撮るだけならそんな必要はありません。
そんなめんどくさいことしてたらシャッター切れなくなるし、つまらなくなりそう。
ごもっともでございます・・・・
ただ、自然を撮影する際、現状を理解するように努めると被写体への視点、考え方が異なる場合があります。
そのため普段私はできるだけ「知ろう」と心掛け撮影しています。
今回は私がなぜ観察、踏み込んだ現状の理解が大切と感じているなのか1つの木を例にお話ししようと思います。
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