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写真を撮る気になれないのは

こんにちは。写真の先生をしてます大野朋美です。

「さいきん写真を撮る気になれないんだ」なんて、周囲の人から聞いたことはありませんか。ネット上にも「写真がつまらなくなった」という投稿を、ときどき見かけます。「どうすればいいでしょうか」と相談しているケースもあるので、ここで私の回答を話してみたいと思います。要するに、写真がつまらなく思えた時こそが、新たなスタートなのです。

長く続けていれば…

写真に限らず、なにかを長く続けていれば、誰だってそんな時期はあるでしょう。だからそんなに深刻にならなくてもいいんじゃないかな、とも思います。少しのあいだ離れることによって、見えてくることもあるでしょう。

写真から離れてみた結果、やっぱり自分には合わなかったと止めてしまうのも、ひとつの答えです。もっと自分に合うものを見つけるために必要な一歩だったのなら、正解だとも言えるのではないでしょうか。

ただ、「つまらなくなった」理由が「撮りたいものがなくなった」ということなら、止めてしまう前に、お伝えしたいことがあります。

撮りたいものがなくなった。これは、上達したからこその悩みではないでしょうか? おそらくそういった人は、これまでいろいろと撮影について勉強されてきたのだと思います。そして、「こういう被写体はこう撮ればいい」という方法を、既にひと通り知っているのでしょう。

電車や飛行機、花、人物、などなど、大抵のものは撮影テクニックを知っているし、自分でもそこそこ上手いと思える写真が撮れるようになっているのではないでしょうか。もしそうであるなら、そういう人にこそ、この考えを知っておいてほしいのです。

ここからが「わたしの写真」、「わたしの表現」を見つける道のスタートになるのだということを。

新たなスタート地点に立ったと考える

ここからは、写真が、楽しいだけじゃなく、悩んだり、苦しい思いをするものとなるかもしれません。でも、「わたしは世界をどう見ているのか」、「どういったことに興味を持っているのか」、そういった自身の内面に向き合っていくことになるのです。写真を通じてより深く自分を知ることができたり、世界を深く見つめられるようになっていくのです。悩んだとしても、その先に、自分にも知らなかった一面があることを発見したり、喜びを得ることに繋がるのです。

これを読んでいるあなたも、世界中の素晴らしい写真、自分の想像の上をいく表現を、日常的に目にすることができる環境を手にしているでしょう。そういったものに触れると、写真表現は、もはや出尽くしているように思えます。

でも自分の撮りたい写真、表現したい作風を見つけさえすれば、他人の写真と比べて落ち込むことがなくなります。求めるのは「世の中にまだ無い何か」ではなく、「自分が本当に求める何か」なのです。そしてそれは尽きることがない。

わたしの主宰している「みんなの写真塾」には「写真表現コース」というクラスがあります。ここでは、「何を撮るか」ではなく、「どう表現するか」、といったことを学んでいただいてます。たとえば「ドラマチックな写真」にするための表現とか、「ノスタルジックな」、「ファンタジックな」印象を受ける写真にするには、どのように表現したらいいのかを、学んでいただいているのです。「花の撮りかた」とか「電車の撮りかた」といった被写体別のテクニックではなく、表現方法を習得していただいてます。

もし撮りたいものがないと思っていたなら、「何を撮るか」ではなく「どう表現するのか」という方向性で写真に取り組んでみると、また新たな視点が開けてくるのでお勧めです。そして表現方法を学んでいった先に、ご自身のスタイルも見つかっていくでしょう。

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