焦がれた葉っぱ

言い聞かせ

私が憧れていた世界は私が憧れていた世界ではなくて、
知りたかったことはきっと誰も知らないことで、

毎日目の前のごはんが食べきれるか不安だけど、
30歳くらいの私みたいな女の子たちがみんな幸せって言ってるからわたしも幸せって言ってみる。(穴が空いていてそれを埋めようとしている時の方が幸せなの、不思議だねえ。)

たまに考えて、とりあえずやれることをやるということを続けること、
答えのない問いに今すぐ沈もうとしなくていいこと、
答えのある問いをひとつずつ知っていけば、知りたかった答えが自然と見つかるとは思えないけど、落ちてきた葉っぱぐらいは拾えるかもしれない。

そこに希望を持てなくてもいいから、
くるくると知っている回路をまわすこと、

結局どの道を選んでもきっと同じくらい苦しくなっていると思うから、だったら良いと思える方を選ぼう、と。
それなら全部やめてなくなってしまえばいいじゃんと思う衝動も、結局自分の力でなくすことはできないから、そういうときはそういう時期もあるよなーと思ってちょっと違うところに出たり、今現在回路をぶん回してる人のことを見て勇気づけられてまた戻って来ればいい。

修復作業が速くなってきた実感がある。

オネガイシマス

親は私のことを友達と言ったけど私にとって親は友達ではなくて親である。
だって私は自分が生まれてくるかどうかの選択をできない、だけど親も親の親から生まれてくるかどうかの選択をできなかった。でも親は私がいて幸せらしい、私は私がいないから幸せかどうかわからない。

だからこのあいだ一緒にご飯を食べた人が悪いことをして捕まってもう刑務所から出られないかもしれないと聞いた時、それは仕方のないことだと思った。ご飯を食べた後みんなで麻雀に行く予定の彼らはちょっと楽しそうだった。
でも私たちは帰った、それで私は6ドルのランチで栄養が取れることに一人で喜んだ、そして隣の女の子が法政って頭いいんだねぇ〜、わたし馬鹿なんだ〜、と前から日本中で無数に繰り返されている会話を爽やかめな男の子にしてくれたことにひどく安心した。男の子は何か言いたげだった。

帰ってから私はとっておいたドーナツの半分が食べられていたことにひどくショックを受けて、ぼさぼさするチョコレートを立て続けに口に入れてギターを弾いて漫画を読んで髪を乾かしながら泣いた。日本に帰ってきてから痩せる一方だったから、久しぶりに甘いものを大量に入れた気持ち悪さに注意を向けることでストレスから逃げていたアメリカのころの感覚を思い出した。だけどここは日本だから途中でやめた。お菓子で自分を保たなくても、泣き続けてもいい居場所がここにはある、だからそんな自分が嫌い。





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