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同じものを見ていても、見え方は人それぞれ

同じものを見ていても、同じ景色が見えているとは限らない。

そのことを自分ごととして実感する出来事がありました。

職場での出来事です。

S氏が長期休暇に入った先週から、私のストレス度は日々上がるばかりでした。

これまでも胃の痛みや眠れないなど様々な症状が現れていましたが、緊張からか首、背中、腰、そして足までの全身の痛みで動くのもやっとという状態になってしまいました。

そして憂鬱な月曜日。

前の晩、湿布を貼って寝ましたが、起きると首から背中にかけてカチカチになって痛くて向きを変えることもできない。

目の奥もじんじんと痛み、頭痛もします。

起き上がってなんとか着替えたものの、しばし悩み休むことにしました。

接骨院に行きましたが、これまでのように劇的な変化はなく、何もしないよりはいいのかな、という程度の改善しか感じられませんでした。

行きたくない気持ちを抑え、翌日の火曜日はいつも通り出勤しました。

朝、係長から声をかけられたときに思い切って相談したいことがあると伝えました。

あやつのことをひとりで抱えるのはもう限界だと、体が言っていると感じたからでした。

係長の前の予定が長引いて、15時からの予定が30分遅れたため、この日の面談は正味20分位でした。

入職時からの出来事を話し、1ヶ月半あやつと二人でやっていく自信がないこと、様々な医療機関で不調について調べてもらった結果、心療内科の受診を勧められていることも告げました。

話を聞いた係長は、まず入職直後に怒鳴りつけるような出来事があったことをはじめ、私に対する数々の理不尽な要求には全く気づいていなかったことを謝ってくれました。

そのうえで彼のそうした態度は、私に対してだけではないとも言われました。

彼の評判がよくないことも知っていたようですが、誰かが何か言ったところで変わらないと思っているとも。

(これについてはちょっともやもやしましたが)

そして驚くことに、あやつは私に対しては優しいとまで思っていたというのです!

びっくりしました。

彼がたびたび私の席に来て何か話しているのを見ては、親切に教えているのだと勘違いしていたようでした。

そして、休み明けの火曜の朝、私とすれ違う彼が「具合はどう?」と聞いていたのを目撃して

「他の人にはそんなこと絶対言わないから、マネキネコさんに対しては優しいんだなと思った」というのです。

一方このとき私は、朝っぱらからすれ違いざまに話しかけられたことにびくびくしていました。笑

これ以外の時も、気配を感じると「またなにか文句を言われるのか?」と身構えてしまうのが常です。

私の目に映るあやつはモンスターであり、クレーマーであり、できるだけ関わり合いになりたくない人であり、その姿を見るだけで緊張で体が強張るくらいの存在ですが

周りからは私に対してはわりと親切だと見えていたようなのです。

係長が彼に私の仕事ぶりを尋ねたときは

「よくやってくれている」と言っていたそうで

そんなことが起こっているとは全く気付かなかったとのことでした。

会話の内容もわからないし、私の席の横に張り付いてなにか長々と話している姿は、指導熱心な人に見えていたのでしょうか。

この日はこれまでのことを少し話して時間が来てしまいましたが、翌日また時間をとってくれました。

係長も4月に異動して来たばかりで、現場のことでわからないことをあやつに教わることも多く、強いことは言えないのだろうと思いました。

私も問い合わせの電話などでわからないことがあったときは、S氏がいない今、彼に聞くしかないのですが

担当外のことは「僕の担当じゃないから、自分で考えて」と言われて困ることもしばしば。

これまでの職場なら、周囲の人と資料を読み解いたり、知識のある人に聞いて結論を導き出すのが常でしたが、それが通用しません。

係長が一緒に考えるように努力すると言ってくれましたが、あやつをすっとばして知識量で劣る係長に相談するのもおかしな話です。

結局具体的な解決策はでませんでしたが、「体が一番大切だから」と言ってもらえたことで、これ以上我慢の限界を超えたら辞めようという覚悟もできました。

そしてこの週、業務で関係が深い部署の方から「大丈夫?」と声をかけられました。

彼女もこれまで何度もあやつの被害にあったうちの一人でした。

S氏の復帰が予定より遅れることを知り、心配して話しかけてくださることが増えました。

同じ痛みを知っている人と話せるようになったことは、怪我の功名といいましょうか。

S氏が入院して10日。

もしかしたら、彼自身も不安を感じていたのかもしれません。

でも、だからといって人につらく当たっていいということにはなりませんけれど。


金曜日のお昼前のことでした。

私の背後に来たあやつに全く気付かず仕事に集中していました。

しばらくして視線を変えた時にあやつに気づくと「全然気づかれなくて悲しかった」と言われました。

なんなんでしょう?

それまではこちらの都合などお構いなしに声をかけていたのに。

話の内容はS氏不在の間に、仕事のやり方を変えたいということでした。

S氏と仲がよさそうに見えたけれど、S氏の仕事のやり方にも不満があったようで、長々と持論と不満を聞かされました。

S氏が2週間で戻る予定だった時に頼まれていたことがあり、その最終チェックはあやつに頼んでいいかと尋ねると

「S氏は死んだわけじゃないんだから、必要ならきちんと指示すればいい」

「そもそも自宅療養なんだから、メールくらいできるでしょ」

「僕は頼まれていないからやらない」と。



言い方だよ! 言い方!

「死んだわけじゃない」なんていう必要ないから!

自宅療養に専念させてあげて!

自分が逆の立場にならない保証なんてないんだから、困ったときはお互いさまじゃぁないですか。

そして電話を取らない別の職員に腹が立つから、私に電話をとるなと。

その分自分の仕事に集中してほしい。

手伝ってほしいこともあるから、電話を取らなくていいから自分の仕事を終わらせてと言われました。

こういうやりとりも、私にはストレスです。

誰かの批判を聞かされたり、S氏不在の間にS氏から指示されている仕事のやり方変えるとか、そういうのに巻き込まないでほしいのです。

それにしても、こんなにいつも誰かや何かに怒りを感じていて疲れないのかな?と思いました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

当事者と他者からの見え方は全然別のものなんだと感じた出来事でした。

私は気持ちを言語化することが苦手です。

係長にうまく伝えられたという思いはなく、後から「あれもいえばよかった」「これもいえばよかった」「ああいえばよかった」「こういえばよかった」と後悔ばかりでした。

それでも、話したことで私が悩んでいることを誰も気づいていなかったことがわかったこと。

むしろ私に対しては好意的だとさえ見えていたことなど

当事者である私とは真逆の印象を持たれていたことがわかっただけでも、話した意味はあったのだと思いました。

あやつはよく「空気を読め」と言いますが

それは本当に相手の望んでいることであるとは限りません。

むしろ自分の思い込みであることの方が大きいのではないでしょうか。

いくつになっても新しい発見というものはあるものですね。

自分とは見え方の違う世界に気づくためにも、これからは心の中にため込みすぎず言葉にできるよう努力してみよう思いました。

そして人ともっと話してみることが必要かもしれないと感じた出来事でした。

あっという間に10月も終わりですね。

みなさまにとって、10月最後の週末が良い日でありますように。

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