この世界がどのように始まったのか?という思考自体の是非と私の考え
中学時代、私の父が私にこう話をしてくれたことがある。
「そもそもこの世界って、どのように始まったんだろうね?」
私は、父の疑問に、このように答えた記憶がある。
「未来の人間が、こっちにきて作ったんじゃない?ビッグバンとか。」
「いや、それって未来の人はどこから誕生したの?答えになってないよね。」
「……」
私は、この時に父の反論に対して答えることができなかった。
しかし、どこかモヤモヤとしたものを感じていた。
今なら、私が父に伝えたかったことを言語化できる。
記事に使った画像が、非常に私の思想を分かりやすく伝えることができると感じたので採用した。
円の円周部分、もしくは∞には、『どこから始まったのか』という概念がない。絵においても、始まりと終わりを定義できない絵が存在する。
丸い地球も、北極点や南極点、赤道といった目印はあっても始まりと終わりという考えがない。それは球体だから当たり前といえる。地面や海がずっと繋がっていて、そこには始まりという概念も終わりという概念もない訳だ。
だから私は、今現在このように考えている。
【この世界すらも、実は過去と、現在と、未来がどこかの場所で繋がっていて円のような形になっているのでは?だから、『世界が誕生をしたもの』と人間が勝手に決めつけること自体が間違っているのではないか?】
【始まりが終わりに繋がり、終わりはどこかで始まりに繋がっている。『世界は、ずっとそこにある』、というただそれだけのものでしかないのではないか?】
世の中の全ては、需要があるから供給が生まれる。そして供給が断たれたら、新しく需要が生まれたりもする。
もしかしたら、今の世界が完全に終わりを迎えた時に、世界はビッグバンに戻っていくのかもしれない。そうでなくても、僅かでも未来と現在と過去を繋ぐ技術が誕生したのなら、世界は誕生をしたもの、という概念そのものが将来的になくなるのではないか。
『世界は最初から、今まで、未来まで、ずっと一つのものとして存在しているのである。実はそこには誕生という概念も、終わりという概念もない』
私の世界の成り立ちに対する考え方は、このようなものである。
あくまで、これは個人的な思想にすぎない。
しかし、この私の仮説を証明することができたのならば、ある程度世界の疑問に納得がいく。
昔に明らかなオーパーツがあった理由も、生死の間際に人がよく見るという花畑も、輪廻転生の概念が、どうして生まれたのかも分かる。幽霊の存在も、幽霊が誕生をした、という思想もできる。終わりは、始まりに繋がるものでしかないからだ。
だから、この世界すらも、観測できないだけで、ずっと転生のようなものを繰り返しているのかも、と私は感じているのだ。
あくまで個人的な思想だが、世の中全てが繋がっている、と最近思えたので思想を述べた。
私のこの思想は、学問を学んでいても変わらない気がしているのである。
ここまで読んで下さりありがとうございました。
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