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【展覧会レポート】「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」 ~トーハク建築を見る美術展~

展覧会名:生まれておいで 生きておいで
アーティスト名:内藤 礼(1961年生まれ)
会場:東京国立博物館、銀座メゾンエルメス フォーラム
会期:2024年6月25日~9月23日(東博)、9月7日~2025年1月13日(エルメス)

 拙老は現代アート鑑賞歴にやや長い空白がある。そのため、内藤礼の1991年の佐賀町エキジビットスペースなど初期から見ているわけではない。内藤礼をはっきり意識しはじめたのは、2013年の豊田市美術館の「反重力展」。広い展示室に見えるか見えないかの細い糸が垂れ下がっている。わずかな物質だからこそ展示室全体を意識させる、そんな展覧会だった。その後、個展としては、2022年にアーツ千代田3331の《地上にひとつの場所を》とタカ・イシイギャラリーの展示を見ている。常設の豊島美術館は未見という鑑賞歴だ。

 今回の内藤礼は建築を見る展覧会でもある。特に東京国立博物館本館特別5室では普段見られないトーハクの素顔の内装が見ることができる。鎧戸は開かれ、床のカーペットは剥がされ、周囲の仮設壁はない。内藤のわずかな物質作品が、まるでわき役を演じ、東博の内装という主役を引き立てているかのようだ。豊島美術館でも、内藤作品を見ることと西沢立衛建築を見ることは同じことだ。
 
1937年竣工の東博本館の帝冠様式は同時代に竣工した京都市美術館(1933竣工)や藝大陳列館(1929竣工)と似て魅力的だと改めて思った。

 内藤の作品は静謐な宗教的ともいえる瞑想的な作風だ。そこでハタと思ったのは、日本の神社・寺院や西洋のキリスト教会である。そこには神仏を感じさせる鏡やイコンや聖像が安置してあるが、あくまでもそれは神や仏の実体ではなく、それを通して人が神仏を感じる施設だ。宗教建築の内部空間に包まれて神や仏の偉大さを感じる空間なのだ。内藤作品の鑑賞はそうした体験と似ている。
 蛇足ながら感想をもうひとつ付け加える。内藤の感性は、ほぼ同世代の髙柳恵里(1962年生まれ)や豊嶋康子(1967年生まれ)と共通するものも感じる。おそらく、彼女らの人格形成期での現代美術体験に「もの派」や「アルテ・ポーヴェラ」などのミニマリズムがあっただろうことは想像に難くない。もちろん、内藤の宗教性・瞑想性とは正反対に、髙柳と豊嶋はユーモアというスパイス付きの日常性という大きな違いは承知の上で彼女らに通底する感性を感じるのだ。

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