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京都は夜の11時

いままで数えきれないくらい来ている街は、住んだ街以外はここくらいかもしれない。

古着とか青文字系じゃなかった私は高校生になってお買い物に来る街は京都だった。駅ビルや新京極。親と来たときは京都伊勢丹や藤井大丸。地元にはない、雑誌に載っている素敵なお店やお洋服。背の高い街並み。小学生のころから母とぽつりぽつり寺社や植物園にも観光に来た。

隣県出身のわたしは、大学受験ももちろん京都も受験して、滑り止めの一つは京都の大学にした。赤本を読みながら市バスに乗ってドキドキしたのを覚えてる。

第一志望の大学に受かり神戸に住んでからも、西院に住む友達に会いに阪急を乗り継いで、今はないOPAに行ったり嵐山に出かけたり。でもいちばんは友達のマンションでお喋りしたり家飲みしたり。初めて木屋町や先斗町に行ったときは、とても大人になった気がした。京都でのお買い物が大好きだったから、神戸よりも大阪よりも京都で買ったものがいちばんしっくり来ていた気がしていた。

鈴虫寺、下鴨神社、往復葉書でしか予約の取れない苔寺、社会人で東京暮らしになっても、主に実家に帰ると母と一日観光に来るのが定番だった。

でも、実は一人でただ彷徨ったことがない。友達の家以外で泊まったことも、気持ちの赴くままに好奇心に魅かれるままに、静かに巡ったことがない。何度目かわからないくらい海外も国内も一人旅をしてきたのに、『やっぱり私京都好き』って何度も言葉にしているのに。


きっかけは突然で単純で、久しぶりの長期休暇をただ実家で長く過ごし過ぎたから。日帰りできるけれど、敢えて泊まるのもいいのでは。好きなだけわたしの好きなところだけを巡り、静かに自分の時間を過ごしたい。それが久しぶりの京都だったら素敵じゃないか。思い立って直ぐに、いつか覗いてみたいとブックマークしていたアートホテルを予約した。

竹林、静かな苔生す寺社、赤の漆塗りでいただく精進料理、蝋梅が盛りの日本庭園、手のひらに乗る花の絵の桐箱。いま大好きな人の思い出の場所では、ここにこないと聞けない話を聞いた。

大好きなもの、見たいもの、手を伸ばせばそこにある。そういう場面で、わたしはたまに拗らせて素直になれないことがある。もう止めよう。そう思った。だって、扉を開けたら、手を伸ばしたらそこにあるのに、どうして逃す必要があるのだろう。


思い切って、いきなりだけどごめんねってこちらに住む友達に連絡をした。突然すぎるかな、仕事始めで疲れてないかなって普段なら止めてしまうけれど、断られたらそれでいい。ただ、どうしてるかなって思った気持ちに素直で居たい。marieのプランもあるだろうからノープレッシャーでいて欲しいけど、ご飯食べようかっていう返事に嬉しくなる。

先ず自分では見つけられないお店で軽く食事をした。この子とは受験も確か一緒に来たし、田舎には無いお洒落さを求めて一時間かけて河原町にも来た。一昨年まで東京にいた彼女と、京都は空が広くていいねって言ったあと、あのころは京都はビルが高いねって言ってたのにねって笑った。

胸がいっぱいになる一日だったけれど、本当の京都の楽しさを知らなかったとは全くおもわない。いつも、其々の場面で好きだった街だった。私が変わると同時に、向く興味が、この街との関わり方が、見える景色が変わっただけ。


工芸店に駆け込んで、友達と食事して、ひとり祇園四条まで歩いて鴨川を眺めてもまだ21時前だった。夜の早い京都でゆっくり過ごすつもりで宿泊先も目的の一つにしようと選んだホテルは予想以上で、ラウンジで本を読んだり今年について手帳に色々書き記したり。ルームウェアもとても素敵で、シャワーを浴びるのが今から楽しみ。

京都は夜の11時。静かな街が、ひとり静かな時間が、いまの私の求めていたものみたい。東京の日常に、戦場みたいに取り組む仕事に戻る前の充電の時間。

明日は何をしようかな。
今年はどこに行こう。
きっとまた、私は京都に呼ばれるように来る気がする。たとえ好きなものが変わっても。




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