面倒くさいなーと思うときは見送ってもいい。岩戸開きのタイミングは必ず来る。

「やらなきゃ」というエネルギーは自分への圧力。

それがある意味いい刺激となって、いつも以上のパワーが出るという人ならいいと思う

けど、その自分の声がうるさいと感じたら、一度やらない選択、見送る選択をしてみたときの自分がどう感じるのかを意識的に監察してみると、あたらな発見もあったりします。

向き合わなきゃいけない気がする。。でも。。面倒くさい。。

それは、向き合わずにまだこの状態でいられる状況なんだよね。ある意味まだ無理できる余裕があるんだよね。

「ここを脱する」より、「ここに留まっているほうがマシ」が大きいということ。

いい悪いじゃなくて、ただ今はそういう状況ということ。

だから無理に向き合わなくてもいいのかもしれません。

ほんとうに、行き詰まって、どうしようもなくて、この状態から早く抜けたい!!!って心の叫びとして思うときは来る。

人って弱いから、そうなって初めて本気で抜け出すことを考えるんだよね。

もう、残された道がなくって切迫詰まってる状態。だから「破壊と再生」はセットなんです❤️

まだまだ面倒くさいと言っていられるうちは、余裕があるので、面倒くさいステージもそれも大事なプロセスのひとつ。

時間をかけてだんだんと、小さかったはずの「この不自由さから抜け出したい」が、「面倒くさい」より大きくなってきて、もうパンパンに張り詰めてくる。

その頃は、あながち頑張れちゃう人は、自分が追い込まれても気合いで頑張ろうとするから余計ボロボロになり注意が必要ですが(^^;

そうならないと気づけないんだよね。

変わろうと思えないんだよね。

その時が来たら向き合わざるを得なくなるので。抜け出すために本気になるからこそ、抜け出せる!!

本気で変わりたいと思えたときがタイミング

変わりたいと心底思うその原動力があって初めて変われる。悲しいけれど、中途半端に向き合っても変われないんだよね。(だから相手を変えることはできない)

圧力が高まって極まって、別のかたちになるのがエネルギーの世界。いつも同じまま留まっていない。流れているもの。だから循環するように、リリースする。あえてその手で握りしめておかないこと。それが自然。

私は恋愛を通して経験することになりました。

彼は私を変えようとはしなかった。でも、私の本質が開けるのを、岩戸開きを、信じてくれていたんだと思う。

彼の存在が自分の課題をあぶり出してくれたから、辛かったけれど向き合うことができたんだなーって。

だってそれがなかったら、私、絶対変われなかった。断言できる。ほんとうに強烈な課題だったから。

もちろん、当時はこんなふうに俯瞰して捉えることはできなくて、必死にもがいて、その方向が合ってるかもわからなくて、何年も同じところをグルグルして、試練の連続だったけれど。

破壊のあとは必ず再生が待っています✨

再生後の自分の明るい未来をお楽しみに~

みなさんのそれぞれの道を応援しています🌈