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【序文全文公開】ユダヤ 賢者の知恵

フォレスト出版編集部の寺崎です。

いきなりですが、クイズです。

【Q】
以下、6人の人物の共通点を挙げよ。

ビル・ゲイツ
スティーブ・ジョブズ
アンディ・グローブ
ラリー・ペイジ
マーク・ザッカーバーグ
マーク・ランドルフ


【A】
答えは「全員が巨大IT企業の創業者」

ビル・ゲイツ Microsoft創業者
スティーブ・ジョブズ Apple創業者
アンディ・グローブ Intel創業者
ラリー・ペイジ Google創業者
マーク・ザッカーバーグ Facebook創業者
マーク・ランドルフ Netflix創業者

ところで、彼らにはもうひとつ、ある共通点があります。
それは、なにか?

答えは――
全員ユダヤ人であること。

現代の巨大企業群GAFA(Google・Amazon・Facebook・Apple)のなかでは唯一Amazonのジェフ・ベゾスだけが非ユダヤ人です。一方、ユダヤ人はウォールストリートを頂点とする国際金融の世界をも牛耳っていることで知られています。

その他、歴史に名を遺したユダヤ人の名前を挙げるとキリがありません。

アインシュタイン、マルクス、ミルトン・フリードマン、ジョン・フォン・ノイマン、フロイト、アドラー、スピノザ、ウィトゲンシュタイン、リカード、ピーター・ドラッカー、ポール・クルーグマン、ジョセフ・E・スティグリッツ、クロード・レヴィ=ストロース、リチャード・P・ファインマン 、ロバート・オッペンハイマー、スティーヴン・スピルバーグ、スタンリー・キューブリック、オリバー・ストーン、クエンティン・タランティーノ、 ハンナ・アーレント、アルビン・トフラー、フランツ・カフカ 、ボブ・ディラン……

とても挙げきれないので、ここまでとします。

事実、過去のノーベル賞受賞者のうち、ユダヤ人が占める割合は22%だそうです。さぞや、人口の多い民族なんだろうと思いきや、ユダヤ人は世界の人口のたった0.2%!

「なぜ、ユダヤ人は優秀なのか?」
「なぜ、金融を支配しているのか?」
「なぜ、イノベーティブなのか?」

この「なぜ?」の答えは、Googleで検索しても手に入れることはできません。なぜならば、その答えは「ユダヤ民族4000年の歴史」の中にあるからです。

4000年を生き抜いてきた民族には、4000年ものあいだ磨き込まれ、先祖から代々言い伝えられてきた「知恵」「黄金律」があります。

この4000年衰えることのない「知恵」「黄金律」は、我々日本人にとっても、先行きの見えないコロナ時代を生き抜くためには、知っておいて損はないインフォメーションではないでしょうか。

そこでユダヤ4000年の歴史から48の至言を厳選チョイスして「ユダヤの秘密」に迫る書を、このたび緊急出版する運びとなりました。

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石角完爾・著『ユダヤ 賢者の知恵』

著者の石角完爾先生とは何者か?

石角先生は、京都大学を当時歴代最高得点で主席で卒業後、通商産業省(現・経済産業省)を経て弁護士となります。

田中角栄の推薦でハーバード大学へ入学のすえ、1978年にハーバード大学法学校博士課程に合格。ウォールストリートの名門法律事務所で国際弁護士として活躍。日本ではマイケル・ジャクソンの顧問弁護士を務めた人物として知られます。

2007年、5年にわたる厳格な修行のもと、難関の試験さらには厳格な割礼手術を経てユダヤ教に改宗しユダヤ人となります。

日本人男性のユダヤへの改宗は50年に一人と言われるそうです。世界のユダヤ社会の中で最も知られる現存の日系ユダヤ人です。

本書『ユダヤ 賢者の知恵』では、石角先生がユダヤに改宗した秘密についても明かしています。

先行きのまったく読めないコロナ時代の羅針盤となる1冊。

今日は発売を記念して序文を全文公開いたします。コロナの時代における緊急提言といえる内容です。

それでは、どうぞ。

序文 コロナ時代に我々はいかに生きるべきか

 その時代その時代の日本を覆っている、誰もその存在すら疑わない当然の前提が抜き去ってしまわれた。否定し取り払われた。
 それがコロナ禍だ。

「株を守りてウサギを待つ」(韓非子「五蠹篇」より)

 古い習慣を守り、それに囚われて進歩のないこと。
 宋人に田を耕す者あり、田中に株あり兎走りて株に触れ、頸木(くびき)を折りて死す。よりてその鍬くわを捨てて株を守り、また兎を得んと恋焦がう。

「昔、宋の国に田んぼを耕していた男がいた。田んぼの中に切り株があり、兎が走ってきて株にぶつかり首を折って死んだ。そこでその男は鍬を捨てて株を見守り、また兎を得ようとずっとずっと待ち望んだ」

 韓非子五蠹篇の文章から転じて、古い習慣を守り、それに囚われて進歩のないことをいうたとえだ。
 コロナ禍の下、誰が切り株に食らいついていたのかがわかった。
 つまり、全体を覆っている当然の前提、たとえば霧がかかって一寸先も見えないという全体を覆っている事象、誰もが疑いもしなかった当然の前提、それに立脚してすべての判断が行われていたことを一度取り払ってみる。
 そうすると、切り株に食らいついて切り株を頑なに見守っている、という日本の守旧の姿が浮かび上がってくる。傍から見ると、それで兎が取れるわけはないということが霧が晴れてみるとわかってくる。
 同じように、皆がプールに入って泳いでいる時に一度プールの水を抜いてみる。すると、誰が水泳パンツを履いていないかがすぐにわかる。
 つまり当然の前提としてある水を一度取り払ってみると、誰がパンツなしの者であったかということが一目瞭然になる。
 コロナになって誰がパンツを履かずに泳いでいたかがわかった。
 コロナ後であろうがなかろうが、やれることをやっていなかっただけの裸のスイマーは誰か?
 世界的に有名な「ミスター・ビーン」というイギリスのTVコメディがあるが、ミスター・ビーンの代表作の一つにこんなストーリーがある。

 ミスター・ビーンが飛び込み台の高いところからこわごわプールに飛び込む。すると、入水角度が間違ったのか、履いていた水泳パンツが脱げてしまった。そして、その水泳パンツを間違ってプールで泳いでいた子どもが持っていってしまった。
 あわてたミスター・ビーン。そのままプールに入って泳いでいる限りは大丈夫だろうと、しばらく水につかっていたが、指導員がピッと笛を吹いて、休憩の時間だからみんな上がれと指示をしたところから、ミスター・ビーンがプールの中であわて出した。

 こんな喜劇だ。
 私、石角完爾はこのプールの中でパンツが脱げたミスター・ビーンこそコロナ禍の日本ではないかという気がする。
 世界最大の投資家ウォーレン・バフェットが言っているが、本当の危機が訪れたときに、誰が裸で泳いでいたかがわかる。

「Only when the tide goes out do you discover who has been swimming naked」

 つまり、水量が豊富にある時には、誰もがみんな護送船団よろしく泳いでいられるが、水位が急に減った時に、泳力のあるものだけが生き残り、パンツを履かずに見かけだけで泳いでいたものは脱落していくということだ。
 私は日本がそうではないかと考える。
 コロナ禍に限らず、今まで次々と襲ってきた危機に際し、幸いにも水位がまた上がってきて、経済の流れが日本の努力と関係なくよくなったので、本当の実力をつけることなく泳いでこれたというのが日本だと思う。
 他の泳者が筋肉隆々で完全な競泳選手であるのに対して、世界経済全体の流れがよかったために、流れに竿をさし、自分の実力で追いついていると勘違いしていたのが今までの日本ではないか。

コロナ禍が日本に教えてくれること

 考えなければいけないのは、なぜ日本が潮流に竿をさしていただけなのかという根本的な体質の問題だ。それをコロナ禍を契機として考えなければならない。
 たとえば、テレワークとオンラインの導入。
 コロナがあったからテレワークとオンライン導入が促進されたというのでは遅いのだ。コロナの前からテレワークとオンライン導入は必要であったし、世界的潮流であった。単に日本がその潮流に竿をさしていただけ。潮流を起こしていた者は別にいた。
 テレワークとオンライン導入といえば、当然5G通信とZoomなどオンライン・ツールの導入が前提だ。ところが、いつまでも切り株(通勤型勤務方式と外国人訪日客)を守っていたため、コロナの霧が晴れたら、他の人間はとっくに兎を捕りつくしていたことがわかった。それが日本だ。
 5Gの基本特許はサムスン(韓国)、ファーウェイ(中国)、クアルコム(米国)、エリクソン(スウェーデン)の4社で世界全体の特許シェアの95%を占めている。
 残念ながら日本勢(NTT DoCoMo)はたった5%だ。
 Zoom は日本製ではない。日本は霧の中にいて、自力で泳いでいると思っていたが、5GもZoom もよそ者が奪ってしまっていた。潮流はよそ者が起こしていた。
 ことほどさように、日本は流れに竿をさすだけで、実は何枚ものパンツを履かずに単に流されていただけであったことが露わになった。

コロナ禍が露わにした1枚目の日本のパンツ

 1枚目のパンツ。それは時代にそぐわない学校制度だ。
 4月入学か9月入学かという議論が日本で沸き上がったという裸のパンツの日本という問題が浮き上がってきた。
 日本では集団登下校のように、誰もが一斉に同じ時期に同じことをする行動が随所にみられる。
 たとえば新卒一斉採用である。大学を卒業して4月に企業が新卒を一斉に採用する。何年度採用組ということだ。そして企業は一斉に新入社員教育をする。そして小学校、中学、高校は大学に至るまで一斉4月入学、一斉3月卒業を十年一日のごとく守り通してやってきている。
 しかし、日本以外では4月入学も9月入学もない国は多い。Rolling admission、Rolling graduation といって、学校にはいつでも、どの時期でも、何月何日でも入学できる。そして時期に関係なく、必要教科を理解したと認められれば卒業できる。
 そもそも学業の優れた子は小学校も3年で卒業、中学校は1年で卒業、高校も1年で卒業、大学は3年で卒業するという飛び級を繰り返すことも認められている。また、ホームスクールといって学校に行かないで両親が先生代わりになることも認められているから、いつ授業を両親が家庭で始めても構わない。ホームスクールはすべてRolling admission、Rolling graduation である。
 特に最近ではオンライン大学、オンライン高校、オンライン授業ということになっているので、そもそも教室がない。教師や先生の授業はオンラインで録画されているので、いつ入学してもコースの最初から授業が受けられるというわけだ。そして各人の進行速度に合わせて卒業もバラバラになる。オンラインで卒業しても卒業証書はもらえる。

 これが世界の教育の実態なのに、日本ではコロナをきっかけとして4月入学か9月入学かという不毛の論争が始まった。
 おまけに、コロナで3ヶ月遅れた、どう取り戻すかと大騒ぎしている。
 私、石角完爾は弁護士歴50年近くになった今、大学紛争で24ヶ月まったく法学部の授業がなかったことの遅れで何かその後の人生で苦労したと感じたことも聞かれたこともない。標準より3ヶ月遅れることに大騒ぎする異常な横並び意識こそ、パンツを履かずに泳いでいると言わなくてはならない。

横並びの公共教育を受けずとも世界記録を出せる

 世界に目を向けると飛び切り上等の水泳パンツ(学校に行かずに自習する)を履いて世界記録を出している泳者がいっぱいいる。
 いくつかその例を示そう。
 一つはユダヤ教の宗教学校である。
 ユダヤ教徒は日本のような公教育をまったく受けない人達の集団がおり、それはイスラエルの人口の10%にもなる。
 彼らは基本的にイスラエルの公立学校には進学しない。家庭教育もしくは礼拝所シナゴーグで主催されるヘブライ聖書の勉強だけを行うのである。
 その勉強のスタイルも独特で、そこには先生はいない。
 教科書はヘブライ聖書とその注釈書といわれるタルムード。それを1日1項目、1日8時間、生徒同士が1対1で向きあって議論するという教育をしている。
 なのに多くのコンピュータ・サイエンティストを輩出している。
 
 二番目はアメリカなどのホームスクールである。アメリカの公立高校に行くことを拒否する両親は多数おり、自宅で両親が教えることで高校卒業資格がもらえるし、大学入学もできる。
 このホームスクールで育って著名人になった有名な例が私が知っているだけでも二人いる。
 一人はアメリカ人の女性だが、イギリスのケンブリッジ大学で博士号を取った歴史学者タラ・ウェストオーバー(Tara Westover)。彼女はアイダホの山奥で生まれ育ち、父親が一切の公教育を否定し、一切の州連邦の医療保険に入ることも拒否していたので、すべて自習でアメリカのブリガムヤング大学まで進んだのである。ブリガムヤング大学に入学するまではまったく学校に通ったことはない。
 自習でブリガムヤング大学に入学後、めきめきと頭角を現し、イギリスのケンブリッジ大学に進学して修士をとり、その後ハーバード大学のフェローとなり、その後またケンブリッジ大学の博士課程に進学して博士号を取得している。専攻は歴史学である。
 もう一人はイスラエルのテクニオン工科大学コンピュータ学部の学生でライオール・ニューマン(Lior Neumann)という若きコンピュータ数学者である。彼は世界で初めてBluetooth のプロトコルの脆弱性を見つけ、それまでハッキングが不可能といわれていたBluetooth 通信を2回に1回ハッキングすることに成功し、世界の通信業界を震撼させた男である。
 彼もまったく公教育を受けていない。すべて自習でイスラエル工科大学の博士課程まで進学している。

2枚目のパンツは「ならえ右」の一斉主義

 日本の2番目のパンツは〝ならえ右〞の一斉主義だ。
 日本企業はほとんどが3月決算、6月株主総会と一斉に決算し、一斉に株主総会をやる。これではたとえば新型コロナのようなことが起こると、その時期によっては日本企業は一斉に決算が遅れる。つまり日本企業が上場している東京証券取引所の株価の変動が一斉に影響を受けるということになりかねない。
 日本の国の会計年度も一斉に4月から新会計年度が始まる。しかし国の事業などになると、特に災害復旧や新型コロナ対策のようなことになると、災害やコロナウイルスは国の会計年度に合わせて来てくれることはないので、期末近くにコロナが来ると、臨時予算を組み直す、大型の予備費で対応するなどということになりかねない。
 そうすると、あわてて組む予算になり、単年度内使用となると非常に杜撰な予算計上と執行になり、業者丸投げになってしまう。
 何事につけて、一斉に物事を始め、一斉に物事を終える。それに少しでも遅れるなという日本の十年一日のごとくやってきている一斉主義こそが問題だということが、コロナ禍になってわかった。
 一斉主義とはガダルカナル島の戦闘やミッドウェー海戦のように、何かあったら全員が共倒れになってしまうということだ。
 一斉に物事をやるということは、共倒れになることで自分の責任が問われないというメリットがあるのかもしれない。しかし一斉に物事を始めない他の国にしてやられるということになるだけだ。

3枚目のパンツは「日本の垂直差別主義」

 コロナであぶり出されてきたことに垂直差別問題がある。
 アメリカではちょうどコロナ禍の時期に、白人が黒人を差別するという水平差別問題(社会の水平的構成員たる白人が別の水平的構成員たる黒人を差別する水平差別)が表面化し、国際的な社会問題となる広がりを見せた。
 私、石角完爾が見るところ、日本にもこの差別問題が存在する。
 それは人種や肌の色で差別する水平差別ではなく、会社が社員、下請け、出入り業者、非正規、派遣を差別するという垂直差別である(垂直差別とは社会の垂直関係にある関係者間での差別のこと)。
 日本では古くからお稲荷さん、弁天さん、お釈迦さんと神仏に親しみを込めて「さん」付けをして呼ぶ神仏擬人化現象が見られる。ところが、昭和の高度成長期以降、企業組織体に「さん」を付けて呼ぶようになった。この場合親しみを込めて言う「お稲荷さん」とは違う。尊敬を示す「さん」付けである。
 会社への「さん」付けはさらに会社を神社の本殿と同様に神聖なる場所という意識を日本の企業社員文化に植え付けた。会社に「さん」を付けて呼ぶこと、会社を擬人化することが日本企業の意思決定のスピードを遅くすることにもつながっていることに気づかなくてはならない。

4枚目のパンツは「ハンコ習慣」


 習慣には良い習慣と悪い習慣がある。マスク習慣は日本の良い習慣だ。
 コロナの前であろうがなかろうが、やれることをやっていなかったということが白日の下にさらけ出されたのが、日本の旧弊であるハンコ主義だ。
 ハンコ主義こそ「株を守りて兎を待つ」の最たる例だ。
 ハンコを押させるためだけにコロナ感染リスクを冒してまで、満員電車で出社させる会社人格化社会は、白人が黒人を差別する社会と同じで、会社様が社員を差別する社会だということになる。
 社員や取引先、下請け、出入りの業者はどこにいても成果だけを相手に提供すればいいのであり、関係は対等だということにならないといけない。
 コロナでそのことに気づく時が来たのではないか。
 何と多くの会社でリモートワークをする社員がハンコを押すためだけに出社せざるをえなかったという。しかも新浪剛史氏が率いるあのサントリーがこれをきっかけにハンコを廃止すると報道されていたが、それによってサントリー全体で6万時間の節約になると計算しているらしい。
 しかしハーバード・ビジネススクールを出た新浪氏がトップをしている組織が、コロナの時に至るまでハンコ主義を廃止していなかったとは驚きだ。

5枚目のパンツは「ダダ洩れの情報管理」

 5番目のパンツとして、個人情報、個人情報と言いながら実はダダ洩れの個人情報管理、コロナ前からパンツを履いていないと言われているお粗末なリスク管理を指摘したい。
 日本の多くの会社で採用していることだが、個人情報や機密文書と思われるものをパスワードロックのEメール添付で送る時に、いちいち2本目のE ネールでパスワードを続けて送信するというナンセンスな慣行はこの際コロナ後廃止した方がいい。
 最近のニュースで、ある日本政府の機関が機密文書をこのやり方で送る時に、送信先を職員が手入力しタイプミスをしてしまったために、まったく違う第三者に機密文書が送られた。当然のこととして、その機密文書の添付書類を開くパスワードも立て続けにその間違った先に送られたのである。
 何のためにパスワードで保護しているのかと言いたくなる。パスワードを立て続けに同じEメールアカウントから同じIPアドレスを使って同じWi-Fi、同じパソコンやスマートフォンを使って立て続けに送信すれば、そもそもパスワードの意味がなくなるわけだ。
 ハッカーが常にそのようなE メールを狙っていると仮定せよ。立て続けに送られるEメールにパスワードが書かれていることはすぐにわかってしまうから、いとも簡単にハッカーが機密文書を開くことができてしまう。
 さらに言わせてもらえば、「本件文書はパスワードを使って開いていただく必要があります」ということをE メールにわざわざ注記し、立て続けにパスワードを送るというのは愚かとしか言いようがない。
 なぜなら、間違った先に送ってしまったE メールには一目瞭然で機密文書が含まれているということがわかるから、悪意のある者なら喜んで立て続けに送られてくるパスワードを使って添付文書の機密文書を開いてしまう。つまり1本目のE メール本文にわざわざ「パスワードでロックされています。パスワードは次のE メールで送ります」と書くということは、逆に悪意で狙っているハッカーの注意を引くというものだ。
 安全を期すならば、そういう表現を書かないで、まずは機密文書をパスワードでロックした状態で送る。そしてパスワードはファックスで相手方に送信することだ。
 あるいは少なくとも、立て続けのE メールではなく、グーグルのGmail などにある時間指定の機能を使って、少なくとも24時間後にパスワードを知らせるEメールを送信するという時間差送信が必要であろう。
 立て続けのE メールでパスワードを送るというのは、たとえば言えばライオンに狙われている鹿が草むらに身を隠しているのに、わざわざ草むらの上に目立つように「鹿がここにいます」という看板を付けるようなものである。
 パスワードは立て続けに送るな。少なくとも24時間の時間差をおいて送れ。一番安全なのはパスワードはファックスで送ることだ。
 こういう基本的なところが日本企業の脇の甘さを示していると言わざるをえない。おそらく会社で決めたことだから、十年一日のごとく誰も何の疑いも持たずにこのやり方を踏襲している。
 そうしたものはコロナの前後を問わず、すべて改めた方がいい。

6枚目のパンツは「民度の低い政治家」

 第6のパンツは何か。指導的立場の人間の無能力や政治家本人の民度の低さ、つまりパンツを履いてないことが白日のもとにさらけ出されたということだ。
 安倍晋三のお粗末さはここでは繰り返さない。
 おまけは副総理たる麻生太郎のお粗末さが出てしまったことだ。
 麻生太郎は日本人のコロナ死亡者数が少ないことをめぐって、以下の発言をした。

  「『お前らだけ薬持っているのか』とよく電話かかってきたもんですけども、『おたくとは、うちの国とは国民の民度のレベルが違うんだ』っていつも言って、言ってやるとみんな絶句して黙るんですけど、そうすると後の質問が来なくなるんで、それが一番簡単な答えだと思って、クオリティが違うという話をよくしていました」
 
 そもそも民度とは何を言っているのか。
 民度発言の主の口から聞きたいところだ。
 第一に「人口当たりの死亡者が多いのは民度が低いからだ」とは、外交上きわめて愚かな発言だ。そもそも世界中の多くの亡くなった方、その家族、看取ることすらできなかった家族や友人に対する配慮の欠如は著しい。ざっくばらんに言えば「レベルが低いから死んでいるんだ」ということになる。
 特に麻生太郎の民度発言で問題なのは、「感染が多いのは民度が低いからだ」という、コロナ禍後にアメリカで起こった黒人の人種差別を助長するような発言をしたことである。
 コロナウイルスの死亡者数、患者数は黒人が白人に比べて多い。それは事実として報道されている。麻生発言は「黒人は民度が低いから感染するんだ」と言ったことになる。
 きわめて人種差別的な問題発言と言わざるをえない。
 民度発言の主に聞きたい。民度と死亡はいったいどういう関係があるのか? 日本でも多くの人が亡くなっている。そういう人達は民度が低いというのか。民度発言の主に聞きたい。
 そもそも民度とは何を言うのか。その定義は何だ。
 国民の識字率をいうのか、国民の義務教育率をいうのか、それとも国民の大学進学率をいうのか。それともその国の国民が取得している特許の件数をいうのか。その国の国民の大学教授などが発表している論文数をいうのか。
 それともその国の政権が発するメッセージに従う国民の多さをいうのか。それとも政府の発する自粛要請という罰則と強制力を伴わない要請に対して従う国民の多さをいうのか。それとも今回のように罰則付きの法律でしか外出の自粛要請に従わない国民の少ないことが民度が高いというのか。
 2020年6月時点、人口あたりの感染率で最も高い値を示しているのはベルギー、次にイギリス、イタリア、フランス、スペインと続くが、これらの国の民度が低い点はいったい何なのか答えてもらいたい。
 仮にイギリスが日本のような低い感染率を達成したなら、イギリス王室はチャールズ皇太子に麻生のような民度の低いしゃべり方はさせまい。
 英語で「民度が高い」というのは「Sophisticated」とか「Educated」「Developed」とか「Civilized」または「Rich」ということになると思われるが、そのSophisticatedされたイギリス王室ならチャールズ皇太子にこういう風に語らせるだろう。

「今回わが国の感染死亡者数が非常に少なかったことに関しては、まずもって神に感謝していると言いたい」
「そして何よりも多くの国の感染死亡者の方々にご冥福をお祈りすると同時に、感染死亡者の方々のご家族、ご友人、そして現在も入院しておられる方のご家族、ご友人の方に深い同情とこの困難な状況に耐えておられることに改めて敬意を表したい」
「なお、ご指摘のわが国の感染死亡者数が非常に低かった点については今後、医者、科学者、文化人類学者などが科学的な分析を進め、その結果、世界の他の国々に役立つことがあると思われる場合には迷うことなく公表していきたい」

 これこそが民度の高い一国を代表する者の発言というものだ。
 石角完爾は麻生太郎のような民度の低い発言をする人が一国の副総理であることを多いに恥じ入り、麻生発言により傷ついた人々に謝罪したい気持ちである。
 新型コロナ肺炎患者の死亡者が少ないのは民度が高いからだということを言う政治家がいる国の民度をもって恥じ入っていることを改めて表明したい。

7枚目のパンツは「物事の大前提を疑えない国民性」

 第7番目のパンツ。これが一番大切なパンツだが、それは「誰も何も疑わずに国全体を覆っていた当然の大前提」を疑うことができる人間を教育できなかったという点である。
 戦後の日本の経済成長を支えた「オフィス出勤型・時間拘束・残業強要型勤務形態」を誰も疑わず、どんどんと都心にオフィスビルを建設、どんどんとそれを中心に鉄道網、公共交通機関網も発展し、どんどんと郊外、郊外へと通勤時間が延びる出勤システムを前提に日本経済が構築されてきた。
 マイホーム、マンションブーム、高度な地下鉄網、鉄道網の建設、大量輸送網の構築。それをいったん取り払って、そういうものがない前提の社会ではどうなのかということを考えてみる必要があったのだ。
 東日本大震災の時には「想定外のことを想定する必要があった」ということがさんざん言われたが、コロナ禍の時には「当然の前提として誰も疑わないで目の前に存在していることすらなくなるかもしれないということを考えることが必要だ」ということがわかった。
 それがコロナ禍の教訓だ。
 つまり、東日本大震災は「想定外のことを想定できる人間を生むような教育」をする必要があるということが分かった。
 そして今度のコロナ禍は「まったく当たり前のこととして存在しているその存在すら気づかない事象をいったん取り払って、それすらなくなった社会はどうあるべきかということを考えられる人間を教育して育てる」ということがコロナ禍の教訓だ。
 つまり絶対に起こらないことが起こるということを考えることができる人間を教育する必要がある(東日本大震災・福島の教訓)と同時に、絶対なくならないで当然のこととして存在しているものすらなくなることがあるということを思いつき、それがなくなった時に社会がどうあるべきかということを考えつき、設計していくことができる人間を教育して育てる必要がある(コロナ禍の教訓)ということだ。
 それはどういう教育か?
 少なくとも今の日本の教育ではそういう人間は生まれない。せいぜい想定外のことが想定できるように、できるだけ想像をたくましくするような人間が今の日本の教育でも頑張れば生まれてくるかもしれない。
 しかし、当然のこととして存在している誰もが疑わないでその恩恵に預かっている事象をいったん取り払って、それがなくなった時のことを考えることができる人間、なくなった時にどうあるべきかということを設計できる人間、そういう人間を生む教育はどのような教育であるべきかということを考えていかなければいけない。

「バベルの塔」と「ノアの箱舟」の物語が教える本当の意味

 私はユダヤ教徒だが、ユダヤ教のヘブライ聖書ではまさに当然のこととして存在して誰もが疑わないで恩恵に預かっている事象を、完全に神が人間の足元から奪い去り、人間の教育を根本からやり直した話が何度となく登場している。
 
 たとえばバベルの塔の物語だ。
 みなさんもよく知っているバベルの塔は、神が人間の傲慢を怒られて人間が建てた高層ビルであるバベルの塔を破壊されたという単純な物語ではない。
 じつはバベルの塔を建てるための前提となっていた人間の統一言語、つまり人々が同じ言葉を話すために人々は思い上がってバベルの塔のようなものを作ってしまった。
その統一言語を神がいったん否定され、それまでしゃべっていた人々の言葉が急に通じなくなってしまったとヘブライ聖書には書かれている。
 つまり日本人にたとえて言うならば、急に夫婦間の日本語すらまったく通じなくなってしまったわけである。テレビもラジオも新聞も、何をしゃべっているのか、何が書かれているのかまったくわからなくなってしまった。その時に人々はどのように意思を疎通したのか。言語の教育はどうしたのか。

 もう一つはノアの方舟の物語である。
 これも人間の誰しもが想像できないような大洪水を神が起こされ、地球上のすべてが大洪水の水に沈み、残ったのはノアの方舟に残っていたノアの家族と、一つがいの動物の種族だけという世界がいきなり到来したのである。
 この時に人間はどのようにして生き延びてきたのか?
 それはノアの方舟を作ったノアの家族だけが生き延びることができたということである。
 コロナ禍にあって我々はノアの方舟を作ることができるのか。
 ノアの方舟を作る人間を生む教育とはどのような教育なのか。

 ノアは方舟を作るのに非常な長期間を要した。世間の人々はノアを気ちがい呼ばわりし、誰もノアと付き合おうとはしなかった。今で言えば、SNSで激しい誹謗中傷に遭ったような状態にノアが陥ったのである。
 誰ともノアは口をきいてもらうこともない。誰もノアに食料を売ろうともしない。完全に吊るし上げをくらった状態で何十年もかかってノアの方舟を設計し作り上げた。
 ノアのような人間を育てていく教育はどうあるべきか。
 コロナ時代の教育論として考えていかなくてはならない。

これからの日本には「超はみ出し人間」を育てる教育が求められる

 なぜ、日本は5G技術を押さえることができなかったのか、なぜZoomは日本製でないのかという根源的な問題を考えることが必要だ。
 そのような根源的な問題を考えることができる人間を教育できなかった日本の教育の根源的な問題。いったいそれは何なのかということを考える人間を教育する教育が必要ということだ。
 前述した歴史家タラ・ウェストオーバーのように、まったく学校へ行かずに偉大な学問的業績を達成した人物がいる。そういう人間でないと、5G技術やZoomのようなものを日本から生み出すのは難しいだろう。
 一言でいえば「超はみ出し人間」を創る教育だ。

 そんな教育の源はギリシャのサモス島にある。
 ピタゴラスが打ち立てたサモス島のピタゴラス研究所は、当時のギリシャ世界のスーパー天才だけを集めた。そのサモス島から次から次へと後世1000年にわたって偉大な学者が生まれている。
 サモス島で鍛えられた、世界的に偉大な哲学者、数学者、物理学者、倫理学者たちは以下の通りだ。

◎ピタゴラス(Pythagoras) BC6世紀。サモス島出身。数学者。
◎エピクロス(Epicurus) サモス島出身の倫理学者、物理学者。BC4世紀。トマス・ジェファーソン、カール・マルクスに大きな影響を与える。社会経済学の先人。
◎アリスタルコス(Aristarchus) BC4世紀。サモス島出身。宇宙物理学者。世界最初の地動説を唱える。

「超はみ出し人間」教育塾といえるピタゴラス研究所のようなものが日本にはない。ただし世界にはある。ここが問題なのだ。
 ギリシャのサモス島のピタゴラス研究所のような研究所が21世紀の世界にいくつか存在する。

◎コールドスプリング・ハーバー研究所(アメリカ)
◎ワイツマン科学研究所(イスラエル)
◎プリンストン高等研究所(アメリカ)
◎オーストリア科学研究所(オーストリア)
◎ジャワハルラール・ネルー先端科学技術研究センター(インド)

 その他、世界の公共政策に関する研究所の世界トップ5にも日本はない。これも問題だ。

◎ブルッキングス研究所(アメリカ)
◎王立国際問題研究所(イギリス)
◎カーネギー研究所(アメリカ)
◎ストックホルム国際平和研究所(スウェーデン)
◎戦略国際問題研究所(アメリカ)
◎RAND研究所(アメリカ)

コロナ禍が問いかける根源的かつ哲学的問題とは?

 このような研究所またはシンクタンクがコロナ時代に研究すべきことは以下のようになる。

 人間が地球に誕生して約6500万年の間にたゆむことなく継続して行なってきたのは、神が人間よりも前にこの地球上に誕生させていた人間以外の植物を含めた生態系および自然環境を破壊するという行為である。
 その破壊速度は神が生態系および自然環境を守るために地球に深く埋められて利用できないようにしておられた石炭と石油、天然ガスを神の意志に反して掘り出し、利用し、燃焼させることにより、加速度的に生物生態系および自然環境の破壊を起こしてきている。
 このことを前提として考えると、新型コロナウイルスよりももっと病原性の高い、かつ感染力の高いウイルスが人類に次々と襲ってくることは容易に想像される。
 石角完爾はこれを「感染症の連続大爆発」と呼ぶが、感染症の連続大爆発で人間に求められているものは、そもそも神が創られた宇宙において、人間という存在がいったい何であるのかという、きわめて根源的な答えを探し求めることができる人間を一人でも二人でも集めて、その深い思慮と先見性を提言させ、一般の人々がそれを謙虚に受け止め、噛み砕き、実行することが求められていると言わざるをえない。
 そのような思索と考察、提言ができる人間は、現在の日本国があまねく実施している、小学校から大学までの「6・3・3・4制」という通常の教育システムからは生まれるべくもない。また過去において生まれてきたこともないのであるから、公教育たる6・3・3・4制とはまったく違った教育の道を模索する必要がある。
 そのような道からはじめて、宇宙における人間とは何であり、どうあるべきであり、どうなるかという根源的な問題について解答を提供することができる人間が生まれてくる可能性がある。
 いかなる科学技術の進歩があろうとも、現在の人間が数千年前の人間と比べて根本的に違うということはない。
 したがって、我々は数千年の歴史を振り返り、上記のような根源的かつ根本的な問題につき、どのような歴史上の人物が答えを出そうとしていたかを知ることにより、過去の人物がどのような教育と学習により思索と考察を深めることができたのかを振り返ってみなくてはならない。
 そうする時、1000年、2000年にわたってその輝きを失うことのない偉大な考察を行なった人間は誰であるかを探してみると、どうしても我々は偉大なギリシャ哲学者にたどり着くことになる。
 その筆頭位に上げられるのが、ピタゴラス、ソクラテス、プラトン、アリストテレス、エピクロスという古代ギリシャの偉大な哲学者たちである。
 宇宙の中における人間とは何か、そして宇宙の中において人間は何のために存在し、どうなろうとしているのか、どうあるべきかというきわめて根源的な問題に解答を出す思索と思考と考察は、現代の学問上の分類をそれに当てはめるならば、哲学、宗教学、神学などと言われるものに帰属する。しかし、そもそもがあまりにも根源的な問題であるがゆえにそういった学問分類が当てはまるものでもない。
 それがゆえに現在の日本の6・3・3・4制という教育制度のもとでは、とうていこのような根源的な問題に思考を深め考察する人間が生まれてくるはずもないのである。

「教育の縮小再生産」を止めるべし

「教育の縮小再生産」と私は呼んでいるが、同じ教育システムを受けた先生から教育される子は、先生と同じような大人になっていくのであるから、特に日本のように同調圧力の強い国、出る杭は打たれる国にあってはなおのこと、公教育は縮小再生産を行なう金太郎飴自動製造機である。
 根源的な問題に思考を深め、考察する人間が生まれてくるためには、まったく違った教育システムが存在する必要がある。
 たとえば一切の公教育を拒否したタラ・ウェストオーバーはモンタナの山の中に住み、出生証明書もなく、アメリカの法制度上では人間として認められてすらいない法的境遇下にあった。
 隣の家まで1時間も2時間も歩かなければどこにも行き着かないという山の中に住んでいて、教育といえばモルモン教徒としてのモルモン教の聖書と、自習用の図書を独学で勉強することだけであり、それも母親か父親から教えてもらうという教育だけ。
 つまりアメリカの州政府や連邦政府が用意する公教育とはまったく別の家庭における宗教教育と自習の中で育ったのである。したがって、普通のアメリカ人とはまったく違う思考方式、思考パターン、考え方、着眼点を有することとなるのは必然である。
 日本では公教育制度が整っており、義務教育としてすべての子どもは日本の公立学校や政府が認める私立学校に入学させなければならないから、日本の公教育は日本人全員に課され、その結果としてその公教育を受けた先生が教える子ども達はほぼほぼ同一の思考パターンと同一の能力を(多少の優劣の差はあるにしても)有することになる。
 平たくいえば金太郎飴が再生産されるということである。

人類とウイルスの関係の変容が求められる「感染症の連続大爆発」の時代

 石角完爾が言う「感染症の連続大爆発」とは、ここ何十年石角完爾が見るところ、未知のウイルスが人間界をたびたび襲ってくる頻度が加速度的に頻繁になってきていることだ。
 エボラ熱、デング熱、新型鳥インフルエンザ、豚インフルエンザ、ERS、SARS、そして今回の新型コロナウイルスである。
 その間隔が徐々に短くなっていていることは否めない。となると人間はワクチンの開発を次から次へと強いられることになり、ついにはワクチンを開発したと思ったとたんに別の超新型コロナウイルスの波が襲ってくるということになるであろうと思われる。
 そしてついにはワクチンの開発が間に合わない頻度で新型ウイルスが次々に襲ってくる。
 これが石角完爾が言う感染の連続大爆発である。
 したがって、世界はここで人類とウイルスの問題について根源的・根本的に考え、研究し、新しい哲学つまりウイルスの下でも人間はどうあるべきかの価値体系を打ち立てる必要がある。
 つまり、いずれも神の創られた「ウイルス」なる半生物と万物の霊長たる「人間」との関係を根本的な角度から研究すること。イーロン・マスクのいう人類の火星移住で救われる人類の数は非常に限られていることを鑑みると、やはり神が人間に与えた地球という天体における人類と人類以外の生物体系、植物体系、環境及びウイルスの関係について根本的かつ根源的な理論を打ち立てる必要がある。
 そしてそのような研究を行う人間は日本の公教育の中から生まれるものではなく、やはり数千年の試練を耐え抜いて現在でもその輝きを失っていないギリシャ哲学の巨星達の現代版を生み出す必要がある。
 石角完爾がここに必要だと主張している研究所あるいはシンクタンクは、ワクチンや治療薬を開発する先端科学研究機関のことではない。

「これまでとはまったく別の角度から人類とウイルスの関係について深い哲学的な考察を行い、その考察に基づき世界の人類に向かって、今後の地球という惑星における人類と自然環境、植物層、動物層そしてウイルスとの関係から、地球における新参者である人類が取るべき行動科学的研究はどうあるべきか」

 このことについて、1000年、2000年の歴史に耐える提言を行うことができる哲学者集団のシンクタンクを地球的規模、すなわち各国の支援と拠出のもとに創出することが必要だ。

コロナ禍が求める日本の教育改革とは?

 そのような人物を生むため、日本の行うべき教育改革は、次の2点である。

①無料のオンライン自習教育を早急に充実させる
 私が思うに、かかる哲学的人材の育成輩出のためには6・3・3・4制とはまったく別の「オンライン自習教育」が必要であり、それ以外の方法では、教室の同級生から邪魔されず、深い哲学的思索をめぐらすことのできる人材の育成輩出は難しいと考えるからである。
 なぜならばすでに述べている通り、教育は縮小再生産の宿命を負っており、6・3・3・4制の教育を受けた先生が教える子どもたちは、先生と同じ金太郎飴を再生産するだけだからである。
 ギリシャの偉大な哲学者のような人材を生み出すためには、教室の同級生からいじめられず、邪魔されない自習しかない。
 もとより紀元前のギリシャ、特にサモス島において多くの偉大な哲学者が生まれたのはなぜかということを研究する必要はあるが、21世紀の現代日本においては、日本を代表する知性を具現する最高クラスの大学教授をもってしても、そのような哲学的思索をめぐらすことのできる人材を生み出すのは難しい。
 なぜならば、それらの大学教授といえども6・3・3・4制の申し子であるから、教室のある教育では不可能であるといわざるをえない。
 自習に基づく天才の発芽を待つ以外にはない。逆に言えばいかに他の生徒からいじめられず、邪魔されない自習の機会を充実させるかということである。
 その模範解答は、すでに欧米に存在するMOOC(Massive Open Online Courses=大規模公開オンライン講座)、ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学が共同で立ち上げた無料のオンライン教育サービスedXである。

②世界最高クラスの図書館の整備
 自習を補完することができるのは、世界最高クラスの図書館の整備である。図書館こそ理想の自習室であるからだ。
 ウイルスと人類および動植物生態系という三つの登場人物を考えた場合、生き方を変えることができるのは人類だけだ。
 動植物生態系およびウイルスにその生き方を変えるよう求めることは不可能であるから、我々人類がウイルスを封じ込めるためには、動植物生態系とどのような関係を構築する必要があるのかを哲学的に考察する以外にない。
 
 ここにおいて「ウイルスを封じ込める」という表現は言葉の綾であり、逆にいえば、人類がいかに病原性ウイルスから逃避することができるかということを深く考察する哲学者が、今後の数千年の人類の在り方につき、提言をすることに期待する必要がある。
 
 本書『ユダヤ 賢者の知恵』がその一助となり、ユダヤ4000年の歴史からいくばくかの哲学的ヒントを得ていただければ望外の喜びである。

                           石角完爾


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