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心が洗われる「たった10秒のお祈り」の習慣

フォレスト出版編集部の寺崎です。

みなさん、普段の生活で手を合わせて「祈る」ことってありますか?

家に仏壇や神棚をまつっている方なら、毎日、手を合わせて祈っているかもしれませんが、そうでなければ、あまり祈る機会はないのではないでしょうか。

自分をふりかえってみると・・・
「今度の新刊が売れますように」
・・・くらいでしょうか。担当の新刊が出る時はいつもお祈りします笑

努力は尽くした。あとは「God Knows」だ、と。

強いて挙げれば、私は飛行機の離着陸の瞬間が本気で怖く、いつもその時ばかりは神さまにお祈りします。手に汗握りながら「どうか、私たちをお守りください!」と。

これは「自分たちの命を守る」という、言ってみれば現世利益です。

「(飛行機の離着陸が)うまくいきますように」
「(受験に)合格しますように」
「(いい相手と)巡り合えますように」
「(BTSのチケットが)当たりますように」

願いのレベルはそれぞれですが、現世利益を求めたお祈りである点では共通しています。

ところが、本来のキリスト教的な文脈における「祈り」とは、そういう性質のものではないそうです。

ですが、信仰心のかけらもない私がここで「祈りとは」を語るのは、たいへんおこがましいことですので、佐川奈津子さんの新刊『あなたのなかの神と出会う祈りの習慣』から「#1 たった10秒のお祈り」というくだりをご紹介したいと思います。

たった10秒のお祈り

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心からお祈りされたことはありますか。
お祈りは神社や仏閣や教会でするもの、とっても長いもの、忍耐のいるものと思われている方も多いかもしれません。
 
でも、たった10秒で、どんな場所でも、心の中で瞬時にできる真のお祈りがあります。

苦しかったりつらいことがあったとき、私はいつもお祈りをしてきました。

小さい頃から、私は祖母と一緒にドイツのプロテスタント派の小さな教会に通っていました。

「食べ物や出会いの恵み。それらはすべて、神さまが与えてくれるもの。だから神さまに感謝をしてから受けとるように。祈りは、ただ神へ感謝すること」

そう、祖母から教えられて育ちました。

神は私たちの可能性のすべてを理解してとりはからい、きれいに整え、溢れる恵みをもたらしてくれるのだから、と祖母は言いました。彼女はいつも私の前で神に感謝を祈っていました。祈ってからでないと、ご飯はいただかない人でした。お水を一杯いただく前にも、お祈りをしました。

母や父は家の中で祈ることはありませんでしたが、人格者の祖母の祈りを尊重していました。家族の中でたった一人の敬虔な祖母の姿を見て、私も静かに祈りを始めました。

その姿にすがすがしさを感じて、私も見様見真似で彼女のする通りに祈っていたのです。

ここでひとつ、質問があります。

あなたは「神という存在」を、実際にご覧になったことはありますか?
もし「まだないです」と思われた方に、改めて問います。

「人生の出来事のタイミングが、ぴたりと完璧にはまった瞬間」
=シンクロニシティ

そんなご経験はありますか?
それがあるなら、あなたはすでに神と出逢っています。

この、まさに「神かがった」と呼ばれる「シンクロニシティ」が現れた瞬間が、「神の完全性」が現れている時です。つまり、タイミング——それが、神です(このことは、8章で詳しくお話します)。

このタイミングのとりはからいを「神の采配」といいます。
スピリチュアルの用語でいうと「宇宙の采配」
量子力学的にいったら「肯定的な光の波動や周波数」

すべては自分の意図を超えた、エネルギーのふるまいともいっていいでしょう。

「祈り」とは「願いを叶えるもの」ではなく、「感謝」を神さまに伝えるもの。ちなみに私はキリスト教も神道も信仰していません。そんな人間はどのようにお祈りすればよいのでしょうか?

気持ちがリセットできて、心が変わっていく祈り

祈り続けることで、乱れた気持ちがリセットされていく、祖母がコツコツと毎日していた「祈り」の習慣。
 
「クリスチャンでも神道でもない場合、どんな風に祈ったらいいのですか?」

こう何度もご質問をいただきました。そこで、「祈りとは神への感謝」と教えてくれた祖母の真の教えを守り、最短8秒で終わってしまう(ゆっくり言葉にしても10秒ほど)の、真のお祈りをここでお伝えします。

目の前にいろいろな問題や、自分の気持ちが収まらないような苦しいことが起きたとき、真っすぐな心でこう祈ってみてください。

「神さま、
この問題やつらい経験、苦しい出来事を『今』、
愛と奇跡の経験に戻してくださって、ありがとうございます」


これで大丈夫です。

この瞬間に起きた問題や悲しい出来事は、祈りによって「愛の奇跡体験」へと変換されていくことを『今』、心から感謝をします。

なぜなら、真のスピリチュアリティの時間概念は、生命に対して最も正確で現実的だからです。

考えてみてください。
あなたは実際に過去には二度と戻れませんし、未来にもいけません。
常にあなたは、現実世界で『今』にしかいられない。これは紛れもない事実であり真実です。

ですから、神に真の感謝ができる現実的な時間——神の本当の居場所である『今』というタイミングの中に入って感謝(祈り)をする時に、必ず神の采配、奇跡体験を受けとることになります。

そして、感謝とは、すでに受けとった完了の後に湧き上がる自然な感情です。ですから「まだ目の前の問題や辛い経験が苦しくとも、『今』これらがすべて、愛と奇跡の経験に戻った」と「先に神を信頼し、心からの感謝」を思います。

これが真に、神とダイレクトに出逢う、パワフルな『今』の祈りです。

こんなふうに、正確な『今』の中で祈ることで、すべての出来事が素晴らしいタイミングで、大きな「愛の体験」の道具になってしまいます。

悲しいことが消えてなくなり、悲しみや苦しみの経験が「感動の経験」に変わる変容が訪ずれ、「それを受け入れた証しとして感謝をする」のです。

疑うことになく、ただ神への感謝を、信頼と安心の中で受けとって幸せでいる。それが、祖母が私に見せてくれた祈りの姿でした。

時間のない『今』という瞬間に入り、神の采配への純粋な信頼をもって祈ることが自然な習慣になると、結果、とても速いスピードで現実創造、現実の変容を受けとります。

目の前に起きる辛い出来事、悲しい出来事に対して、あなたが信頼されている神さまのお名前を呼んでお祈りしてみてください。
 
祈ることで与えられた神の創造の結果と、その後に自分の心が美しく変容していく感覚を観察して、神のふるまいの完全性をゆっくりと味わってみてください。

祈りによる奇跡体験とは、目標達成の努力の結果として得られる引き寄せとは、まったく次元が違います。

祈りとは、愛の創造を受け入れる、別次元を開いてゆく扉なのです。

少し難しく感じられたでしょうか。佐川さんは本書まえがきでこのように書かれています。

神が届けるインスピレーションとは、実は文章そのものではない、と私は感じてもいます。
そうではなくて、言葉にはできない、「感じる何か」を、神が私の文章の「動機」に置き換えてくださる——極力リアルに説明をするのなら、そのようなことが起きているのです。

(中略)

読みづらくわからなくなった箇所があったなら、その瞬間に、ぜひ目を閉じ、感じてください。

そこは、言葉ではない余白の方が、あなたを呼んでいる箇所です。

新刊『あなたのなかの神と出会う祈りの習慣』は紙の書籍ではなく、kindle限定の電子書籍です。ぜひ、気軽にダウンロードして、祈りの習慣に触れていただければと思います。


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