高円寺の怪しげな店で「ロックと反骨」を考えてみた
フォレスト出版編集部の寺崎です。
昨晩、新刊『抗う練習』の著者・印南敦史さんと、この本の構想が生まれた場所である高円寺「バーミィ」で打ち上げをしました。
このお店はいまや伝説的存在である荻窪ロフトの店主(ご夫婦)が開いたエスニック料理屋さんで、音楽好きが集まる店として、知る人ぞ知る店。とにかくレコードの埋蔵量がすごい。かかる音楽で居合わせた客同士に自然と交流が生まれる素敵な空間です。
昨日は「当時のマニアックなグループサウンズのバンドはもっと再評価されるべき。ザ・ダイナマイツとかモップスとか」という話で盛り上がり、レコードはあるのかとなったのですが、「ザ・ダイナマイツはないけど、ギターの山口富士夫が解散後に結成した村八分ならある」ということで、SpotifyでもApple musicでも聴けない村八分の伝説のライブアルバムを堪能した次第でした。
そんなわけで、今日はロックなお話を。
『抗う練習』には「僕が伝えたい『 抗う人』たち」という章があります。今日はそのなかでマキシマム ザ ホルモンのお話をご紹介します。
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ああいうのって全然ロックじゃない
ロック・バンド「マキシマム ザ ホルモン」の「歌と6弦と弟」、すなわち「ヴォーカルとギターを担当している弟」であるマキシマムザ亮君くんと出会ったのは2007年3月のこと。名曲「恋のメガラバ」を含む『ぶっ生き返す』というアルバムのリリース・タイミングにインタビューをしたことがきっかけでした。
ちなみに『ぶっ生き返す』が意味するのは、わかりやすくいえば「極限の憎悪」。
「〝ぶっ殺す〟だけでは気持ちが収まらないから、いっそのこと〝生き返してやれ〟」という屈折した意味が込められているわけです。発想が突き抜けていますが、ホルモンのこうした〝普通じゃない〟コンセプトのすべては、亮君の脳内から生まれたもの。
そういえば2019年には〝マキシマム ザ ホルモン2号店〟として「コロナナモレモモ」というバンドをデビューさせたりもしましたね。2024年2月には〝倒産〟として解散を表明しましたが、そもそもバンドの2号店とか発想がぶっ飛びすぎ。
そんな亮君は当然ながら「ロック」についてもユニークな考え方を持っていて、それがとてつもない説得力を感じさせてもくれたのでした。たとえばすごく印象的だったのは、インタビュー時に聞いたこと。
「ライヴのときにバンドマンがステージでマイクスタンドをぶっ倒したりしたら、スタッフが慌てて出てきて中腰でそれを直したりするじゃないですか。僕、ああいうのって全然ロックじゃない気がするんですよね。むしろ、ライヴが終わったあとにメンバー全員でゴミを分別したりとか、そういうスタンスのほうがよっぽどロックだと思うんです」
亮君はこんなことを話してくれたのです。そして、僕はそこに強く共感したのです。
誤解されがちな「反逆精神」
たしかに、ロックのバックグラウンドにあるのは「反逆精神」です。とはいえ、体制や世間などに背く(=抗う)ことを意味する「反逆」は、なにかとミスリードされがちでもあります。「社会(大人)に刃向かう俺らカッケー!」というように。
しかし、抗いは決して「社会(大人)」に背を向けることではありません。第一、もし刃向かうこと自体が目的になってしまうのだとしたら、それは幼児の「いやいや期」と大差ない。形骸化したパンク・ファッションがちょっとダサく見えるのと同じで、本来あるべき目的がどこかへ行ってしまっているわけです。
そして忘れるべきでないのは、「本来あるべき目的」の内部に「既成概念に囚われないマインド」が含まれているということ。そういう意味で、「ライヴ終了後にメンバー全員でゴミを分別する」という発想のほうがはるかにロックであり、間接的な意味において「抗い」にもなりえると感じるのです。
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抗うロックな精神ってなんだろうと考えると、私は個人的には永久にロックな存在として、「黒の衝撃」で既成概念をぶち壊してきたこの方が思い浮かびます。