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死んでしまったヒーローには誰も勝てない

こんにちは。フォレスト出版の美馬です。

最近、立て続けに昭和平成アニメのリメイク版が放送されていますよね。

「SLAM DUNK」をはじめ、「うる星やつら」「らんま1/2」「るろうに剣心」など、そして2025年春には「ベルサイユのばら」がリメイクされ劇場アニメとして復活するそうです。とても楽しみです。

自分が子どものころに観ていた昭和アニメでなにをリメイクしてほしいかな~と考えたときに、すぐに思い浮かんだのが、

「タッチ」

でした。これ一択です。

当時和也が亡くなったとき、絶句したのを覚えています。「これから南ちゃんと達也はどうなるの? 南ちゃんは和也が好きなんじゃないの……?」なんて、慌てていました。

12月新刊の『なぜあのキャラは死ななければならなかったのか?名作の「死」の描写で辿るマンガ・アニメ史』(浦澄彬・著)でも「タッチ」のその死の描写について触れられています。

その考察がとても興味深いので一部抜粋引用してご紹介します。

(前略)
 双子の弟を喪った主人公・達也が言う名セリフ「きれいな顔してるだろ。ウソみたいだろ。死んでるんだぜ。それで…」は、漫画史に残るセリフである。それまでの青春マンガで、主役級のキャラクターが死ぬ場面はもちろんあったが、どうしてもありきたりの号泣や激しい悲しみの描写が多かった。
 ところが、あだち充の悲劇の表現は、当初は茫然自失という感じで、非現実の感覚がコマを覆っている。双子の弟を亡くした達也も、両親も、そして南も、あまりに突然すぎるその死をなかなか受け入れられない。その後、時間が経って、南は悲しみに襲われ、河原の鉄橋の下で通過する電車の轟音に紛れて激しく泣く。このシーンもリアリティがあって実に見事だった。

 本作は当初、前作の『みゆき』に近いテイストの青春ラブコメと野球マンガをミックスしたような作品だと受け取られていた。だが、主役の1人である和也の突然死を境に、生真面目な青春野球マンガとしての場面も増えていく。けれどラブコメ調の描き方は終始保たれており、もう1人の主役である達也がとぼけたコミカルさを持つため、随所に笑いが醸し出される。ことあるごとにギャグが盛り込まれ、物語の深刻さがカバーされているのだ。
 けれど主役の1人が死んだという事実は、水面下にある深刻なテーマを常に意識させてしまう。三角関係だった双子男子と幼馴染の女子という物語は、突然死んでしまった1人の存在をなかったことには決してできない。三角関係の一角が死んで残された2人が葛藤の末、恋を成就する(あるいは悲劇に終わる)物語は、これは全く偶然ながら、同時期に刊行され大ベストセラーとなった村上春樹の小説『ノルウェイの森』にも共通する。つまりこれは、死んでしまったヒーローには誰も勝てない、という古典以来の伝統的モチーフである。
『タッチ』でも『ノルウェイの森』でも、死んだ1人が残された2人の心情を宿命的に縛っていく。『タッチ』の長い物語は後半にいくにしたがって、達也と南の周辺にライバル的な存在が増えていくのだが、それでもこの幼馴染には物語の最初から確固たる結びつきがあり、その意味では不安なく見守っていける。
(中略)
『タッチ』の中でキャラクターの死の重みを実感させた名場面がもう1つある。南の父親である俊夫が達也に、娘と結婚する気があるのかどうかを尋ねるシーンだ。
 そこで達也は、「和也に恨まれる役は(他の)その男にまかせるよ」などと言って、その場をごまかそうとする。俊夫は「そんな根性なしに南はやらん」と、わざと怒ってみせるが、達也はとても悲しい表情で「かんべんしてよ…」と言ってその場を去る。
 俊夫も達也が死んだ弟、和也を思う気持ちは十分わかっている。それでもあえてこれからを生きる2人の幸せを願って、わざとそのような言い方をしてみせた。しかし達也の気持ちはまだ、亡き弟が好きだった南と自分が結ばれていいのかどうかという、罪の意識にさいなまれていたのだ。
 もちろん最後はハッピーエンドになるのだが、『タッチ』という作品は三角関係のうちの1人が死んでしまった重みを、最終巻のギリギリまで読者に印象付けた。キャラクターの死の重みというものを、これほど印象深く味わわせてくれた作品はそれまでに例がなかったと言えよう。

浦澄彬『なぜあのキャラは死ななければならなかったのか?
名作の「死」の描写で辿るマンガ・アニメ史』より

もしも「タッチ」がリメイクされて、子どもの頃のようにまたテレビの前で観られる日がきたときには、和也の死にあらためて向き合いたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

▼本書のまえがきはこちらで読めます▼


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