20年以上本棚に残っている本『バーストデイズ』(ピスケン、河出書房新社)
私の学生時代、自宅の階段にまで本が積み上げられた知の巨人・立花隆の家にあこがれるという身の程知らずぶりで、「オレは家の中を本でいっぱいにするんだ」と粋がっていました。まあ、いろいろ無理ですよね。
引っ越すたびにBOOKOFFに出張買取してもらったり、捨てたりしました。古本屋で買った宮沢りえの『サンタフェ』や、新刊で買った菅野美穂の『NUDITY』、その昔ファンだった小嶺麗奈のグラビアが載っていたもろもろの雑誌も思い切って処分しました。無きゃ無いで、スッキリしますね。
とはいえ、この20年以上もの間、幾度もの引っ越し、つまり大量処分の難を逃れ、今も本棚の中で生き残っている本がかなりあります。もちろん、そのほとんどが青春時代に影響を受けたもの。
そのなかでも、1年に2、3回、折に触れてパラパラとめくってしまうのが、ピスケン『バーストデイズ』(河出書房新社)という短編小説集です。
定価は1300円+税でしたが、amazonでは5500円の値がついていました。文庫化もされなければ電書化もされていないようです。
2000年に刊行された本ですが、そのころの私は「バースト」という不良・タトゥー雑誌を購読していました。
当然、私は不良でもなければタトゥーを入れているわけでもなく、鬱々としながら「終わりなき日常」を生きる、ただのキモいサブカル学生でした。
ではなぜこの雑誌を買っていたかというと、コラムが面白かったからです。プロインタビュアーとして現在も活躍している吉田豪、作家としてその生き様に憧れ直接お会いしたこともある見沢知廉……あとは忘れましたが、サブカル青年の琴線に触れるコラムが豊富でした。
同様に私はエロ本のコラムを読むのが好きだったのですが、やはり買うのは気が引けるもの(買ったけど)。それと比べれば、不良雑誌とはいえ、「バースト」をレジに持っていいくのはかなりハードルは下がります。
で、長くなりましたが、この「バースト」の編集長だったのが、前掲書の著者であるピスケンでした。「こんな雑誌をつくってる人が、いったいどんな小説を書くんだ?」という素直な好奇心と、当時購読していた文芸誌「文藝」の版元である河出書房新社から出ていることにも後押しされて購入したのですが、半自伝的なヒリヒリした小説に痺れたわけです。
もくじ
十二月八日の洋食屋での出来事
ドッグデイズ・イン・ブランケット
あとかたもない春
蛙の王と夜の王 一
蛙の王と夜の王 二
俺が万引きを止めた理由
BURST
あなたがここにいれば。
牛乳屋のおんちゃんの話
帰りそびれた放蕩息子
あの夏の朝、小さな庭で僕らは君を祝福した
ピスケンと呼ばれた作家文田草旗の遺稿
我々は犬の時代に生きている
声のない酒宴
クジラナミへ
二つの心臓の大きな川の縁で
最初の「十二月八日の洋食屋での出来事」では、要領が悪く、頭も弱いために同僚からいじめられている卑屈なコックと、その様子に苛立つ主人公の客が描かれます。
三白眼がフライパンにラードの塊を落として言った。
「しょうがねぇよな、親が悪いんだよな。こいつの弟と比べりゃ、しゃべれるだけまだましだよなあ」
いきなり彼は、三白眼の腹に包丁を突き刺した。
突発的暴力とそのトリガー、救いようのなさ……。鬱屈とした自分の人生に憤り、呪っていた当時の私は、この結末に得も言われぬカタルシスに浸りました。
「ピスケンと呼ばれた作家文田草旗の遺稿」はピスケンが古本屋で手にとった同人誌の中の作家・文田草旗の小説の話。奇しくも、その小説の主人公の名前は「ピスケン」。
どれもこれも、段落が少なく、「 」の話し言葉もない、白地恐怖症みてえな文章ばっかりだ。
だからこそ、文田草旗の文章が目立ったのだ。彼の作品だけが段落も多く「 」の話し言葉もある、一見してゆったりと活字組された文章だったからだ。
けれど流し読みしたその文章の中に、“ピスケン”という活字を見つけ驚いた。読み進めていくうちに、どうやらそれがこの作品の主人公であり、作者の分身であると見当が付けられた。そして次のピスケンのセリフが目に飛び込んだ。
「こんど創る同人誌はよう、活字の発射装置だ。俺の文字一つ一つが、ピストルの弾より早く、女子供の股ぐらの急所を撃ちぬくだろうさ」
はっ! こきやがる。でもその心意気は良し。俺もこれぐらいほざいて雑誌を作らなきゃな。
その古びて薄茶に変色した原稿用紙には、万年筆で書かれた達筆な文字が、瑞々しいといってもいいほどに整然と並んでいる。直しを入れた朱がアクセントになっており、眼に美しささえ感じさせる原稿だ。
著者の編集者としての矜持とか愛が感じられて、「やっぱ、編集者になりてえなあ……」と思ったものです。
他にも、ピスケンが私と同じように上京した田舎者だったことや、当時通っていた早稲田という地名がしきりに出てくること、「クジラナミ」が私の地元新潟の地名というところに縁を感じ、物語に引き込まれました。
当時、ネットで調べて野間文芸新人賞候補になっていたと知って、文壇のことなど何もわかっていなかった私は、こんな雑誌をつくっている人でも内容で評価されるのだと、「文学の懐の深さ」に妙に感心し、「文芸編集者になりてえー」などと思ったものです。
とはいえ、ここまでお読みいただければわかるとおり、文才もなければ素養もなかったので、流れ流れてビジネス書の編集者になってしまったわけですけど。
さて、「バースト」が休刊してから、ピスケンが表舞台から去り、まったく情報を得られない状況が長く続きました。体に悪いことばかりしていそうな人なので、心配したものです。
その後、7年余して当時付き合っていたホラふき編集者の先輩が、「ゴールデン街で見たよ」と言っていたのですが、信用に足るとは思えず……。
で、さっき気になって、調べてみたら、ブログがあり、更新されていました。
『バーストデイズ』は入手困難かもしれません。しかし読めば、2000年前後に青春を過ごした人ならば愛しさと切なさと懐かしさに身悶えできるでしょう。そして、当時の夢や希望も思い出すかもしれません。
ぜひ、探してみてください!
(編集部 いしぐろ)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?