死と並行世界移動:Memento Mori
お風呂に入りながら、こう考えた。
MEMENTO MORIというのはラテン語で「死を想え」と訳されることが多いので、MORIというのは死?と短絡的に思ってしまいがちだが、そうではない。MORIというのは英語で言うところのmortal、つまり死すべき運命、死を免れない、という意味である。つまりMORIは死ではなくむしろ生、限りある命、死という宿命を背負った生を表した言葉である。最近MORIについて最近考えている、というのは親しい友達が突然、本当に嘘でしょ?という速さで亡くなってしまったからだ。彼女と話したいことが募り、徒然なるままに、さみしい気持ちを紛らわすために思考する。思考は時空間を超えて自由だから、肉体的な制約を受けないと私は信じる。
さて、死というものには数種類あると思い至った。少なくとも3〜4種。
1)並行世界移動としての死
2)同一世界線内での生まれ変わりとしての死
3)霧散分散して源に還る死
4)未知
私が今一番考えているのが1)の死だ。ここでの死というものは、元いた並行世界のみで起きている事象であり、移動後の世界では連続的に生が続いている。Kちゃんの場合であれば、移動後の世界での事象「病」は一つのエピソードとして、「死にかけたけれど/あるいは夢を見たけれど」生き続けている、という世界線である。そこでは今の私ではない私がいて(マコちゃんではなくモコちゃんかもしれない)キコちゃんではなくミコちゃんがいるかもしれないが、ほぼ構成はこの世界線と同じである(と思う、仮定)。Kちゃんはここからあそこへ軽くスライドジャンプをして、問題を全て瞬時に根こそぎ解決した、という仮説。
ほとんどの死が並行世界ジャンプ「ではない」という証拠はない。
2)と3)については、今は特に興味がないから思考しないけれど、少なくとも生まれ変わり、同じ世界線に再度現れるというのは相当に負荷が掛かるのだろうと思う。何故なら生まれ変わった当事者というのは珍しいからだ。じゃあ前世は?となるとまた別の説を展開したいので、ここでは省きますが、私は生まれ変わりと前世の記憶というものは厳密にいうと異なると思う。
とにかく、私の思考は1)にある。今回、この世界線で亡くなったとされる友は並行世界へ移動した、と仮定して、彼女の人生の物語は未だ続いているという考察をする。それでもこの世界線での「死」の後に、彼女の想いや存在を感じられる瞬間があるのは何故か。もうすでに並行世界へ移動しているのにそれは矛盾していないか?と考えて思いついたのが、時間は伸び縮みして線というよりは点であるという説についてだ。我々は線的な時間を一方向にのみ移動しているのではなく、瞬間ごとにジャンプしているという説。
例えば、人の今際の際にはDMTと呼ばれる脳内物質が分泌されるという。ギャスパー・ノエという監督が作った「Enter The Void」という映画があり、それは簡単にいえば俗人のための、堕落した信仰なき現代人のためのチベット死者の書、バルド・ソドルである。その映画では、ヤクの売人の男性がDMTを接種した後殺されて、彼の意識は死の旅路を彷徨いはじめる。バルド・ソドルでは「死」というものを、繰り返しの恐怖と光を通じて魂が源へと還るまでの準備の旅、として解説されているのだが、要は人は死ぬ間際にDMTによるサイケデリック体験を行う(という仮説がある)。そして死が最高にサイケデリックであるその際たる理由は、時空間が線linearではなく点dotとして存在していることに気づき、過去と未来を行き来「できる」ようになるからだ。いわゆる走馬灯というのは、その一部分であるのだろうし、臨死体験で経験できるのは(おそらく)そこまで。しかしこの世界線に戻らない場合、その数分から数秒の間には、現在の世界線における未来も体験するのだと思う。つまり観察者からすればその体験者の時間軸としては肉体が停止し脳が停止するまでの時間(数分の場合もあれば数秒の場合もあるだろう)だが、その死に至る人の意識は、残された私たちの、その人の死から49日間後までの間を漂っている。今、私たちが感じる彼女の意識体というのは死の間際の、この世界線最後の彼女なのである。とすれば、どうだ。すでにKちゃん自体は別の世界線へ移動したというのと矛盾しないでしょ。
そういえば。
並行世界に無数に存在するその人からエネルギーを引っ張ってきて、この世界線にいるその人に付与するという治療?エネルギー技法がある。実際にそれを行なった(とされる)人の話も聞いたし、できると言ってる人の話も聞いたけれど、私はその方法に対しては懐疑的だ。例えばそれが有効であると仮定しても、バックラッシュ、反動や揺り戻しは?と反射的に疑問が浮かぶ。借りたものは返さなければいけないのでは?
そもそも私は均衡をハックする魔術師的なやり方は好きじゃない、トリックスターとは相性が悪い。金融詐欺の一種で、金銭取引のシステム上に表示されない(だが存在はしている)端数を盗むような詐欺のことをサラミ法というが、そんな感じで、バレないように少しずつ、サラミのスライスを一枚づつ盗むような方法。このサラミ法を実行する詐欺師は罪の意識が薄い、というのも、「誰も困らない everyone is fucked except me!」という優越感が生まれるからだと思う。でも銀行取引の端数とエネルギーは違う。わからない、私はこの宇宙はビットコインのブロックチェーンのように全てが記録されていると思っている。例えば、「わたし」が無数に存在する「自分」のパラレル存在からエネルギーを引っ張ってくると意図するとか、それを例えば無数の自分が順番に行なっていくとか、そんなイメージなら、いつかは均衡や平均値が取られていくような気がする(要するにフェアってことだ)から、それは自分の意思でやればいいとは思う。けれど、他人が介入して、本人が一体その行為にどんな意味があるのかを認識してもいないのに行う、というのはどうなんだって話だ。だから私はヒーラーとかって立場の人は、ある程度までいったら自立を促すような人じゃないと決して信用できない、と思っている。
というところまでで集中力切れ。また続きを書くかもしれないし、忘れるかもしれないけど、私は一体何の目的があってこんな思考を続けているのかだけははっきりしている。Kちゃんとこういう話をしたいのです、強烈に。いま、本当に。