お家の方へのフィードバック
新しいメンバーが参加してくれました。
かのこという場を、レギュラーメンバーとも、スタッフ間でも再確認ができるし、新しい刺激となり、とても良い感じです。
参加したメンバーの様子を可能な限り、お家の方へお伝えするようにしています。
私にとってはその時間が楽しみの一つでもあります。
その子をトータルで見つめようと試みながら、
その子から浮かび上がるものを味わおうとする時間だからです。
メンバー同士が言葉少ないながらも、思いやりを寄せ合った瞬間とかを思い出すと、一人でにまにましちゃう感じです。
そして思い出せる限り、
その子の言った言葉をそのまま表現するようにしています。
スタッフ自身があまり納得のいかなかった対応になることもありますが、
そんな時は、こんな風に考えている、こんな風にしていきたいと思っている、という未来志向での表現にします。
初参加の子のお母さんから、「かなりポジティブに受け入れて下さり」というような返信がありました。
意図的にポジティブにしようとしているわけではない、というと嘘になりますが、
こどものことをネガティブに捉える必要ってその子をよくよく観ていればあまり出てこないことなのでは?と。
これは、母としてという意味ではないです。
親は子を想い案ずればこそ、心配からネガティブに捉えることもあるものだと思うので、それはそれとして・・・。
子とかかわる親以外の人として、という意味です。
そんなことを考えていたら、
例えば、教員の間でも、子に対してネガティブに表現したくなった場合、
むしろ、それは大人の側に、ケアされた方がいい何かがある、と捉えたらいいのにな!そんな文化になるといいのにな!って思ってしまいました。
ソーシャルワーカー時代に培った知恵からくるような気もしています。
クライアントに対して、共感できないうちは、
私の耳の傾け方が足りていない、
共感できないうちは、
支援は何も成立しない、
というものです。
問題児って思っているうちは、
何も教えることもできなければ、
サポートも始まってないばかりか、
大人自身にサポートが必要なのではないかな、って。