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建前でなく本音で向き合いたい

“大人が〇〇させる”ということに私が過敏になり過ぎているかも?!と思った出来事・・・。

このことを取り上げること自体、素敵な一日の、重箱の隅をつつくようなことではありますが、敢えてピックアップしてみます。

竹ばしごを作りたい!という声があがり、
数週間ごしの実践の日でした。
言い出しっぺの子が、近所の方にどうやって作ったらいいかを聴いてきてくれたそうで、ロープなど必要そうな物も持参して来てくれました。
彼のプレゼンがとってもナイスでした。
手短に図解で示した後、自分の思い描いたものを誇示するわけでもなく、みんなの意見を柔軟に取り入れていました。


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ざっくりとした工程をここで共有できたように思います。

高い木の上にロープを渡すために、どうしたらいいか・・・。
ロープのはしに、石ころをつけて投げて渡します。
何度か失敗したのちに何とか渡すことができ、そのロープで、先発隊が登るために足をかける輪を組もうとしている時。

一人の子がしきりに、
「脚立借りてこようよー!」と私に訴えます。

私としては、この試行錯誤こそ面白いと思っているので、脚立であっさりにしてしまうのは、あまりにもったいない!みたいに思ったわけです。

その子に、
「脚立借りるにも、大家さんが代掻き中で、話しにいけないから難しいかなぁ・・・」とほとんどごまかすような感じで応えてしまいました。
彼も表向き納得してくれましたが、大家さんの事情をよく知る彼にとっては、“勝手に借りたって問題はないはず”と思ったかもしれません。

なんで、こんなまどろっこしい言い方しちゃったかな?!と自分でも思います。
思っている通り、
「この試行錯誤が面白いから、もうちょっと見ておきたい」って言えばよかったな、と思うのです。

その言葉がその場ですんなり出てこなかったのは、
私が、「“大人が〇〇させる”を極力しないようにしよう」って思い過ぎているからかもしれないな、と感じました。
確かに、それ程、大人が強いることに気を配ってもちょうどよいくらいだと思うのですが、そのしばりにがんじがらめになって建前で発言するのも違うな、と。

気づいたからよし!にするとして、
次からは、建前でなく本音がすっと出るようにしたいな、と思います。

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