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夏至が終わり稲が育って、田圃に映る空も狭く小さくなりました。(17:20) 読後感想。
映画「Perfect Days」はさまざまな切り口を気付かせてくれました。
「高崎卓馬」saied
『初めから向かう方向が決まっていたわけではなくて、雪だるまみたいに。
最初は柳井さんと転がし始めて、そこに役所さんやヴェンダース監督が入ってきて大きくなって、さらに定井さんが加わって、カンヌで評価されて雪だるまが一回り大きくなって。
もう雪がないかなと思っていたらあっちの方にまだ雪があるよという人がいてそちらに転がしていって、今もまだ転がしている最中なんです。
そして押して転がしているのはみんな仲間。
人間はなんのために生まれたのか、みたいな答えの出なさそうなことを、考え続けるきっかけをたくさんくれるものかもしれないし、自分がいる世界以外のことを断片的でも知って、想像力を強くするためのものかもしれないです。
想像力って優しさのはじまりだと思うので、やっぱり映画や小説やそういう創作物にはそういう力があるような気がします。』
この雪だるまの比喩が心に響きました。
たまたま我が家、戦争が始まり外国人と暮らす事になり言語の深さを感じていたところでした。
『ドイツ人のヴェンダース監督は、1970年代にニューヨークで初めて小津監督の作品と出会い衝撃を受け、その後、作品を見るために来日しました。
ヴェンダース監督 saied
「1977年に東京に来て、字幕も英訳もない状態の作品を2日間かけて12作品ほど見ました。
2日目には日本語が話せるような気になっていました。理解しなくてはならないとは、もはや考えませんでした。いずれにせよ、私は理解できていました。
50作ほどの小津映画は、私の記憶の中ではすべてがひとつの大きな映画になっています。
大きな映画のなかに、さまざまなバリエーションがあるという感じです」
この映画(パーフェクトディズ)にはさまざまなジャンルのアーティストが出演していました。最後のキャストのスーパーが流れて気が付いた方もいます。
柴田元幸氏の名前から偶然手にして読んだ "ぼくは翻訳についてこう考えています 柴田元幸の意見100"にやはり小津安二郎の言葉が引用されていました。
「なんでもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う。」
翻訳という作業は、その意味では「芸術のこと」にはほとんど関係ない。まったく関係ないっていうと語弊がありますがほとんどのことは「流行に従う」でいい。
備忘録として書き留めておきたい。私には珠玉の数々。
柴田元幸氏も台詞(セリフ)はない。役所広司が判で押したような日々のルーティンと同じく週に一度のルーティン。
映画に流れていた私が最初に感じた語学(言葉)の壁や一人の人間の持っているキュパスティーなどは関係なく、タクマ氏が雪だるまを転がしながら感じられた"想像力は優しさ" 音楽になりダンスになりその表現方法は限りなく多い作品。
ヘッダーの田圃は家の玄関を数歩出た所です。米作りは20歳から初めて年に一度のチャンスで70歳で50回しか試せない。
柴田元幸氏は翻訳はライブを編集するようなものと表現されています。
村上春樹にして、柴田元幸は「能力が有り余って、溢れてこぼれ落ちている人」と裏表紙に記しています。
東大名誉教授のこぼれた能力の一滴をいただいた気持ちがしました。
この映画は観る者の持つ感性、キャパスティーでいかようにも理解できる。ならば自分育てを…
しばらく経って感じる…のです。
翻訳本の理解も深まる。