言葉に救われて生きている僕 ~2~
皆様、お疲れ様でございます。
前回、小学生の頃までに起きた出来事を簡潔にまとめました。
小学生の頃までは特に言葉について執着していなかったため、薄味でしたがこれからどんどんと言葉に助けられることが増えていきます。できれば最後までお付き合いしていただければ嬉しく思いますので、何卒よろしくお願いいたします。
前回のnoteについてはこちらをご覧ください!
それでは、今回もよろしくお願いいたします。
中学時代 前半
僕が行っていた中学校は田舎とはいえ、複数の小学校から地域別に寄せ集められて生徒が揃えられていました。その為、同じ小学校から来た子もいればそうじゃない子も多くおり知らないこの方が当たり前に多くいました。
僕は全然一人でもある程度は気にならないのですが、思春期であり、多少なりとも人の目を気にしながら生活をしていました。テストの順位を競って見たり、より知識を多く持っているか知恵比べしてみたり…そんな学校生活でした。
そんな毎日でも僕にとって心が落ち着く居場所はやはり学校の外にありました。当時、僕はモンスターハンターにハマってました(笑)
モンスターハンターはほとんど説明が要らないくらい有名なゲームですので、簡単にだけ説明いたしますとモンスターを1~4人で協力して倒し、どんどんと強い装備を作ったりコレクションをしたりするゲームです。今ではスマホでもできるみたいですね。新作の情報だけは今でも見ちゃいます。
学校が終わり、家に帰れば友達と一緒にしたり、オンラインで知らない人とプレイしたり。MH4、MH4Gがリリースされた頃なのでプレイ人口も多く毎日が刺激的な毎日でした。休みの日は寝ることも忘れてずっと遊んでいました。
ゲームとはいえ、人同士なので相性が合う人とは何度も一緒に遊んだり、時間を合わせてまで楽しみにしていました。その中で、僕にとって忘れられないくらい仲良くなった人がいました。もちろん、覚えている人たちはたくさんいますが、特にこの人には関係が途切れた今でも多少なりとも恩を感じています。
その人のことはAさんと呼びましょうか。
Aさんは確か僕よりも年上で当時は高校生の方だったと記憶しております。なので夜も一緒に遊んでくださることも多くて一緒にモンスターを倒しに行ったり、チャットで時間も忘れてお話を続けることも多くありました。
そんな中でいつからか、お互いに好きな曲を教えあうようになりました。ボーカロイドだったり、東方と呼ばれる二次創作が盛んな作品の楽曲だったり…。ジャンルに縛りは無く、各々見つけられた好きな曲を共有しあう関係でした。
そうして僕は青天の霹靂、強烈な出会いをしました。それがバンドの
「BUMP OF CHICKEN」です。それまで特に歌詞にも音楽性にも拘りは無く、聞いていて楽しい物ばかり聞いていました。ですが、BUMPの曲を聞いてからは世界が本当に変わったと思います。
その時に教えてもらった曲は「ラフメイカー」でした。今聞いても飽きない本当に名曲だと思います。歌詞が衝撃的でした。ぜひ一度聞いてみてください。物語仕立ての曲で、最初のサビと最後のサビで同じセリフが使われていますがまるで意味が違います。そして最後のワンフレーズ、あれだけでタイトルも伏線のように回収し胸の内に青空が広がるような爽快感が生まれました。
それからはバンドというものにどんどんとのめりこんでいきました。
BUMPの楽曲やMVをいつでも見続け、それ以外にもたくさんバンドを探しました。amazarashi、SUPER BEAVER、ONE OK ROCK。それ以外にもたくさん聞きました。
学校で知っている人の中ではRADWIMPSやback numberが流行っていました。あとはEXILEグループであったり、たくさんのアイドルの曲でした。
どんどんと音楽に、人の想いを伝える歌詞に僕はどんどんと惹きつけられていきました。
同時に、僕は新しい趣味で手品を始めました。親戚の兄がしていたのを目の前で見て持ち前の好奇心と、やればなんでも出来ると思い込む現実に胡坐をかく不遜さでやり始めました。
中学時代 後半
音楽を聴きながら、手品の練習をする毎日がスタートしました。
ちょうど同じような時期に家庭内にも問題が発生していました。母親は小学生のころから精神的に安定せずギャンブルに依存気味でしたが、それにどんどんと拍車がかかっていきました。父の財布から金を抜いたり、兄の家庭教師代にも手を付けたりしていました。
僕が中学1年生、兄が中学3年生でした。兄は高校受験に向けて追い上げていた時期だったので、父と相談しました。母と離婚してもらうように僕はお願いしました。それからの日々はほぼ毎晩、両親の喧嘩する声を子守唄に眠りについていました。
僕はイヤホンを耳から離さないことが増えました。音楽だけが家に僕の居場所を作ってくれました。耳にはイヤホン、片手にはトランプ。それが僕にとって精神安定剤でした。
母とは同年の秋から会っていません。連絡も取っていないので現在でもどこでどうしているのか分かりません。ただ、母は家族以外からも借金をしていたようで、父はしんどそうにしていたことだけは覚えています。
その我慢の生活も中学2年制の秋頃に限界が来ました。
寝る前には涙が大量に出ました。
温かいご飯を食べるだけでも泣きそうになりました。
どうやって生きていけば良いのか全く分からなくなりました。
ですが死ぬだけの度胸も無く、他人に相談するだけの勇気もありませんでした。
毎日学校に行く前にはBUMPやamazarashiの曲を聞き、心を空っぽにして外に出ました。学校で上手く笑えていた気もしません。友達はどんどん減っていた気もします。ごくわずか、悪態をついても大丈夫な気の置けない友人たちと過ごし、家に帰れば耐えきれず眠るような毎日でした。
歌詞が好きな曲ばかり聞いていました。生きる理由を説いてくれる曲ばかり聞いていました。
「RAY」「ファイター」「HAPPY」
BUMPはいつも優しい言葉であきらめなくていいと言ってくれました。
「あんたへ」「穴を掘っている」「ジュブナイル」
amazarashiは暗い世界に期待せずに自分の足元にある決意の光の探し方を力強く教えてくれました。
解決は突然でした。学校終わり、父から急に電話がかかってきました。
父なりにも何か感じるところがあったのかもしれません。心配してくれていたのか、学校生活のこと、家にいること等話しました。僕は努めていつも通り、何もなく元気であると答えていました。そんな時、不意に父は言いました。
「学校に行かないと、俺も周りから色々言われるからさ」
それ以外の言葉は特に覚えていませんでした。ただ、電話を切った後僕はもう吹っ切れていました。
父のしんどさや苦労、知識を思えばこそどれだけ殴られようと暴言を吐かれようと、それは僕に与えた愛の鞭であると思うようにしていました。生まれて間もない自分の考えよりも、倍以上生きている父の方が正しいのだと思うようにしていました。
ですが、当の父親は僕を見るのではなく世間体を見ていました。神格化していた父の偶像が破壊された瞬間がこの時でした。
僕が自分で真剣に考え、調べ、自分の足で自分の人生を歩み始めたのはここからだと思います。しかし、実際には金を稼ぐこともできず、生活をさせてもらっている身分ですので調子には乗らずに生活しました。
ですが、父も一人の他人として認識できるようになり精神的に随分と楽になりました。僕は家族から学ぶべき温かい言葉を他人から学び、他人から学ぶべき冷たい言葉を家族から学びました。
果たしてこれで良かったのか定かではありませんが、少なくとも死なずに済んでいるのは確かです。冷たく、一線を引いた言葉だからこそ僕は明確に僕の居場所を知ることができたのかもしれません。
終わりに
いつも通り、長くなってしまいました。
中学時代はかなり音楽に助けられました。
今でも彼らは僕にとってヒーローで、尊敬する大人たちです。
それまでCDなんて買ったことなかったのに、初めて買いました。学生時代にはお金を出せなかった分、今は有料ファンクラブにも属しライブにも行きます。
これ以降にもいくつかありますが、僕の中で一番大きな言葉による力を実感した出来事は中学時代でした。多感な時期だからこそ、感じることができた景色が沢山あるんだと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
どうかご健康にはお気を付けてお過ごしください。
有難うございました。
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