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多元的であること
この世はとても多元的である。
例えば"成功"。
成功だけをとっても、
十二分の"答え"があるのだ。
お金を多く稼ぐことが成功
望む生活をすることが成功
愛を感じることが成功
"全て"を兼ね備えていると思っていることが成功
など、
一人一人、それぞれの"成功の定義"
そして"観念"がある。
それは人が人である限り、
「私こそが正しい!」
「私は間違っているのかもしれないけど… 」
そんな声が聴こえてくる。
それもそのはずだ。
だってそれは、
「"私は個"だ」と主張している
"個"そのものなのだから。
だがしかし、
真実はどうだろうか?
各々が"真実だ"と主張した時、
正解は1つではなくなる。
そう、この世から
"絶対"が取り除かれていくのだ。
そして人は
各々の人生で"探求"が始まる。
この"多元"こそ
"真実の現れ"なのだ。
もちろん、
"これ"についても反論がある。
だがしかし、これこそ
唯一の"1つ"へ還ることのできる、
最初の"意識"なのかもしれない。
"意識したことを意識している"のだ。
ワンネスへの回帰を、
この疑問を通して投げかけてみよう。