「離婚後の共同親権とは何か」読書会#3 レジュメ
【前回】
<参考文献>
斉藤秀樹「「離婚後共同親権」を導入する立法事実はあるか」梶村太市・長谷川京子・吉田容子編「離婚後の共同親権とは何か」(日本評論社、2019年)42頁以下
立法事実とは
「法律を制定する場合の基礎を形成し、かつその合理性を支える一般的事実、すなわち社会的、経済的、政治的もしくは科学的事実」をいう(芦部信喜「憲法訴訟と立法事実」判例時報932号12頁)
「簡単にいえば、どうしてその法律が必要であるのかということを支えている事実」であり、「どんな法律にもそれを支える立法事実が必要」。
今日において、単独監護・単独親権を積極的に擁護する理由は乏しい。
(大村敦志「民法読解 親族編」(有斐閣)98頁)
子の奪い合い紛争の緩和などを理由に、「日本弁護士連合会をはじめとする実務界および学界の大勢が離婚後の共同親権導入を支持」している。(「民法Ⅳ親族・相続(LEAGAL QUEST)」(有斐閣)108頁〔本山敦〕)
⇒本当に離婚後共同親権に"立法事実"は存在するのか?
1、単独親権制度は紛争を激化させるか
(推進派の主張)
離婚後父か母かいずれか一方を親権者とし、他方は一切の親権を行使できないといういわゆるオールオア・ナッシングの結論になる。
(検討)
①前提としているのは、離婚後共同親権制のうち、単独親権制への選択の余地のない共同親権の場合が前提⇒選択制ならば、共同親権か単独親権かをめぐって激しい紛争が生じることは必至であり、形を変えているだけである。
②かえって紛争が悪化する可能性もある。離婚紛争の当事者は、共同生活に耐えきれず別離を決意したのだから、離婚後共同親権は、最悪の事態として避けたいというインセンティブが働く。
③そもそも、すべてを共同親権とすること自体が現実的ではない。
2、単独親権であると連れ去りが増えるのか
(推進派の主張)
単独親権であるがゆえに子の連れ去りが横行し社会問題となっている。
(検討)
①存在するのは、子を連れ去れたとする当事者、DVをねつ造されたと主張する当事者とその声を無批判に報じる一部メディアだけ。
②「ある日突然妻子がいなくなった」という謎の主張。「ほぼすべてのケースに当てはまる主訴というのが筆者の実感である。」⇒別離を決意した当事者からみると、長年の懸案の最終局面にすぎない。
③そもそも子を連れ去っても有利にはならない。
※母親が主たる監護者ではないのに、子連れ別居を強行した場合
子の引渡請求事件で請求が認容される。(年間1200件のうち14%程度)
3、単独親権制度で虚偽DVが横行するのか
(推進派の主張)
親権者とならんがために、ありもしないDVを主張する。
(検討)
①ありもしないことを主張すること自体は簡単であるが、立証できないことを主張しても、裁判所が採用する余地がない。
②実務上、一方当事者がDV被害者を主張し、他方がそれを否認し、争い、裁判所が証拠に基づいて判断した結果、DVが認められないということは少なくない。
でっち上げDV、ねつ造DV、虚偽DVという主張の背景には、非身体的DVを軽視する風潮が潜んでいることに注意すべきである。そして非身体的DVこそ近時、子の利益に鑑みるなら細心の注意をもって見極める必要があるのであり、身体的DVがないなら子の利益も損なわれないと思考停止することは怠慢の誹りを免れないというべきである。
上記<参考文献>P.52
4、単独親権制では面会交流が促進されないのか
(推進派の主張)
単独親権だと、非親権者と子との交流が促進できないので、共同親権制に改め、面会交流を促進すべき。
(検討)
①実際には、離婚したとはいえ一定の信頼関係がある両親であれば、そもそも取り決めの有無にかかわらず面会交流が実施できている。面会交流が実施できるかどうかは、離婚した元夫婦の葛藤の程度と、別居親の面会意思の有無に大きくかかわっている。
②面会交流について原則実施論を採用している。
5、単独親権制だと養育費の支払いは低調か
(推進派の主張)
共同親権になれば、別居親のモチベーションが上がり、養育費の支払いが促される。
(検討)
①関わり合いになりたくないから養育費の支払いについて取り決めをしない当事者にとって、共同親権制にして、関わりをさらに高めることを望まないことは明らか。
②離婚する当事者の関係性が対等ではない。
③共同親権制のもと、実際に別居親の監護時間が増えると、それぞれが養育費を負担することから相手方への養育費の支払いは大きく減額又はゼロになる可能性もある。
共同親権となり離婚したパートナーとの関わりが強くなり、同居中の葛藤が再燃しかねない上に、さらに養育費の額が減額されることも生じかねず、監護親にとってはまさに踏んだり蹴ったりの状態になることも予想される。そしてこの状態は結局のところ、子の福祉、子の最善の利益に資するものとは言い難いことは明らかである。
同P.56
6、単独親権であると子の喪失感が大きいのか
(推進派の主張)
単独親権となってしまうことで、親子関係の喪失感が増す。
現に今日では、様々な分野の研究により片親疎外(PA)の存在は明らかとなっており、否定することはできない事実となっている。
山口亮子「日米親権法の比較研究 (関西学院大学研究叢書)」(日本加除出版、2020年)72-73頁
(検討)
①マイナス面だけを取り上げて、共同親権ならそのマイナス面を緩和できると主張することは、プラス面を無視した主張である。
※法制審議会家族法制部会第3回会議議事録(2021/5/25)
原田直子委員:しばはしさんにお伺いしたいのですけれども、お配りいただいたパンフレットの中に、共同養育をした場合のメリット、しなかった場合のデメリットという記載があるのですけれども、逆に、通常これはした場合のメリット・デメリット、しなかった場合のメリット・デメリットと書かれる場合が多いと思うのですけれども、その辺りについてのお考えを一つ伺いたい。
しばはし参考人:御質問ありがとうございます。恐らく、この緑のリーフレットのところに書いてある、共同養育のメリット、共同養育しないデメリットということの記載のことでいらっしゃるかと思うのですけれども。
要するに、共同養育はメリットしかないということを伝えたいというところになっていきます。もちろん子どもに対して身体的なDVでしたり、そういったことを行っているような方は例外にはなりますが、そうではない場合、たとえお父さんやお母さんが怖いという思いをしていたとしても、どこか愛されたい、愛されていることを確かめに行きたいというような思いを秘めている子どもたちもよく話を聞く機会もあります。ですので、まず、共同養育の定義だと思うのですよね。皆さん、もしかしたら、すごく協力し合って、育児分担も毎週交代、共同監護みたいなことが前提であると難しい家庭があるというのも分かるのですけれども、共同養育イコール頻度といった定義付けよりは、私としては、親同士が争わずに、子どもが自由に行き来できるような環境を整えることこそ共同養育に大事なポイントだと考えていますので、そういった定義付けの上での共同養育という意味では、メリットしかないと考えております。
(上記議事録P.19)
②むしろ、脳科学の知見が示すとおり、同居中や離婚紛争中に経験した子への不適切な養育(マルトリートメント)に対しては、認知行動療法等適切な専門的治療を早期から継続する必要がある。
7、単独親権制では子の虐待を防止できないのか
(推進派の主張)
実父との面会や共同親権であれば防ぐことができたのではないか。
(検討)
①仮に、同居親が再婚し、さらに養子縁組までしてしまったら、離婚後共同親権であっても意味をなさない。
②実父に実子の監護に関心が薄いケースでは実効性がない。
③共同親権者が再婚し、新しい子が再婚夫婦に誕生するケースでは、その家庭内に扶養義務を負う子とそうでない子が混在することになり、複雑な家庭構成が子の利益にかえって反する結果となる。また、同居親の再婚は、子にとって過酷な環境であり、さらに別居親が子の監護に関与するようになると、大人3人が複雑に緊張、干渉しあうといった葛藤に巻き込まれることになる。
④そもそも虐待防止は行政法の運用上の問題である。
8、諸外国の導入例は立法事実となるか
(推進派の主張)
諸外国のほとんどが離婚後共同親権制を導入している。
(検討)
①共同親権という言葉を使っていても内容が大きく異なる。
②取引法は、グローバルな取引が展開されるため、法の統一の必要性が生じるか、文化・宗教・慣習の異なる身分法にはその必要性がない。
③ハーグ条約締結に際し、単独親権制を変更する必要がないという見解が、ハーグ国際私法会議常設事務局次長から見解が示されている。
④諸外国も近時、共同親権制の見直しを始めている。
まとめ
以上、検討した通り、共同親権制についてこれを現行制度を変更してまで導入しなければならないという社会的事実はなく、立法を正当化する根拠はない。
筆者は、どういう事情か、圧倒的に監護親側の代理人になることが多いが、非監護親の代理人になることもある。非監護親である依頼者にいつも言っていることがある。それは、親子の交流は一生継続するものであることである。子どもが小さいときは無邪気でかわいい。会いたいというのは当然だし、自然の情であろう。しかし、この時期に会えないからと言って、親子関係が一生損なわれたりするものではない。むしろ、子どもが成長し、成人になってから、それ以降の方が、時間的にも親子の関わりは長いし、重要なのではないか。自分の思春期(小学校高学年から中学にかけて)を良く思い出してほしい。そんなに親と一緒に定期的にお出かけなんかしたであろうか。
思うように面会できないとしても、別居している子どもが経済的に困らないように今以上に精力的に働いて養育費を送金してあげるような「かっこいいお父さん」であれば、成人してからでも、必ず頼られる存在となるはず。そんな一生ものの親子関係を目指そう。
残念ながら、すんなり受け入れられる非監護親はそういないけれど、いずれ分かってくれると信じている。
(斉藤秀樹「原則実施論の問題点」梶村太市・長谷川京子編「子供中心の面会交流ーこころの発達臨床・裁判実務・法学研究・面会支援の領域から考える」(日本加除出版、2015年)165-166頁)
【補足】裁判所はどのように考えているのか?
<東京地方裁判所判決令和3年2月17日>
しかし、これらの人格的な利益と親権との関係についてみると、これらの人格的な利益は、離婚に伴う親権者の指定によって親権を失い、子の監護及び教育をする権利等を失うことにより、当該人格的な利益が一定の範囲で制約され得ることになり、その範囲で親権の帰属及びその行使と関連するものの、親である父と母が離婚をし、その一方が親権者とされた場合であっても、他方の親(非親権者)と子の間も親子であることに変わりがなく、当該人格的な利益は他方の親(非親権者)にとっても、子にとっても当然に失われるものではなく、また、失われるべきものでもない。慮るに、当該人格的な利益が損なわれる事態が生じるのは、離婚に伴って父又は母の一方が親権者に指定されることによるのではなく、むしろ、父と母、又は父若しく母と子の間に共に養育をする、又は養育を受けるだけの良好な人間関係が維持されなくなることにより生じるものではないかと考えられる。
離婚した父母が通常別居することとなり、また、父母の人間関係も必ずしも良好なものではない状況となるであろうという実際を前提とし、父母が離婚をして別居した場合であっても、子の監護及び教育に関わる事項について親権者が適時に適切な判断をすることを可能とすること、すなわち、子の利益のために実効的な親権を行使することができるように、その一方のみを親権者として指定することを定めるとともに、裁判所が後見的な立場から親権者として相対的な適格性を判断することを定める点にあると解される。
このような本件規定の趣旨に照らせば、本件規定の立法目的は、適格性を有する親権者が、実効的に親権を行使することにより、一般的な観点からする子の利益の最大化を図る点にあるということができるから、本件規定の立法目的には合理性が認められるというべきである。
子の父母が離婚するに至った場合には、通常、父母が別居し、また、当該父母の人間関係も必ずしも良好なものではない状況となることが想定され、別居後の父母が共同で親権を行使し、子の監護及び教育に関する事項を決するとしたときは、父母の間で適時に意思の疎通、的確な検討を踏まえた適切な合意の形成がされず、子の監護及び教育に関する事項についての適切な決定ができない結果、子の利益を損なうという事態が生じるという実際論は、離婚をするに至る夫婦の一般的な状況として、今日に至るもこれを是認することができる。このような事態を回避するため、父母のうち相対的に適格性がある者を司法機関である裁判所において子の利益の観点から判断し、親権者に指定するという本件規定の内容は、実効的な親権の行使による子の利益の確保という立法目的との関係で合理的な関連性を有すと認められる。
原告は、本件規定が、親権の獲得を有利にするために子の連れ去り助長したり、親権者の指定をめぐる争いにより離婚裁判の長期化を招いたり、非親権者となった父母の一方から親権者となった他方親等の虐待から子を保護する権利を奪ったりといった不合理な事態を生じさせていると主張する。
しかし、単独親権制度を採用する現行法の下でも、父又は母であることに変わりがない以上、親権者の変更の申立て等が可能であるから、親権者となった他方親等の虐待から子を保護する権利が奪われるわけではなく、その制度に十全な実効性がないことは、その制度自体の問題であると考えられ、親権者となったからといって、実効性が担保された制度が整備されない限り、その実態が直ちに異なるものになるとは解されない。また、原告が主張するその余の不合理な事態についても、仮に共同親権制度を採用したとしても、離婚後の親権者たる父と親権者たる母とが子の養育について協力関係を構築し、その養育について適時、適切な合意をしない限り、どちらの親権者たる親と同居するかなどをめぐり、親権者同士の間で争いが生じ得るものと考えられ、要するに、父と母との間に争いがある限り、所を変えて紛争が継続するだけではないかと考えられる。そうると、前記イ(イ)で説示したとおり、本件規定によって原告が主張するような不合理な事態が生じているというこは、国会において、親権制度の在り方を検討するに際し、検討されるべき事情の一つとなるべきものであるが、本件規定の内容が立法目的との間で合理的な関連性を有すということを直ちに揺るがすものではない。
<東京高等裁判所判決令和3年10月28日>
控訴人は、父母の婚姻中、親権の行使について両者の任意の協力が望めない場合は、民法818条3項ただし書により単独での親権行使が可能であるから、離婚後に父母の任意の協力が望めない場合も同様の運用が可能であり、離婚後共同親権制度を採用したうえで、父母間の意見が一致しない場合の手続を法律で規定すればよく、そのような立法の不備を根拠として本件規定の合理性は肯定されないなどと主張する。しかし、単に婚姻中の父母間で任意の協力が見込めず、親権を共同行使できないにすぎない場合には、民法818条3項ただし書の適用はないと解されているうえ、同居協力義務を負う婚姻中の場合と、婚姻関係が破綻するなどして離婚した場合を同列に論じることはできず、離婚後共同親権制度の導入によって様々な課題が生じると考えられ、同制度の是非は、正に立法裁量の属する事項であって、本件規定が憲法13条に違反することが明白であるとはいえない。
控訴人は、本件規定が採用する離婚後単独親権制度が、子と別居親との面会交流を否定したり著しく制限したりしており、健全な子の成長や福祉を害するという不合理な事態を生じさせている旨主張する。しかし、父母が離婚する場合は、父母が別居し、控訴人は父母の一方と同居することとなるのが通常であるから、子と同居しない側の親は、離婚前に比べてこと接触する機会が減少することは避けられず、このことは、離婚後に父母の一方が親権者として定められる場合も父母の双方が定められる場合も変わりはないのであって、親権の帰属と面会交流の制限とは無関係であるから、控訴人の上記主張は失当である。
...控訴人の上記各主張が前提を欠くものである。この点をおくとしても、上記①及び③の主張についてみると、離婚後の父母に任意の協力関係が望めない場合が例外的であるとはいい難く、むしろ、父母が離婚した場合には、通常、父母が別居し、両名の人間関係が必ずしも良好なものではない状況となることが想定されるのであって、本件規定は、そのような場合であっても、子の監護及び教育に関する事項について親権者が適時に適切な判断をすることを可能とし、もって子の利益を確保しようとするものであるから、不合理なものであるとはいえないし、また、上記②の主張についてみれば、離婚後に非親権者である親が子に対して扶養義務を負うのは、直系血族はたがいに扶養する義務があるとされていること(民法877条1項)によるのであって、本件規定によって上記の扶養義務が課されるわけではない。
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