【離婚後共同親権】面会交流原則的実施論はなぜ間違っているのか(1)「監護親や子の安全を害するゴリ押しはなぜ始まったのか」(2021.6.6補足)
1、「原則実施」ではなく「原理主義」
離婚をめぐる様々な争いの中で、最も熾烈な争いの1つが、別居親の子への面会交流の要求です。
この点に関し、現在問題になっているのが、家庭裁判所の面会交流に関する調停・審判・間接強制の運用の判断基準として、離婚後も親子の交流を図ることが子の利益にかなうから、子どもの連れ去り、児童虐待、DVによる影響などがない限り、原則的に面会交流を認めるという立場、いわゆる面会交流原則的実施論です。
しかし、一見もっともらしい基準の実態は、以下の大貫憲介弁護士(東京第二弁護士会)のツイートでご紹介しましょう。
「面会交流原理主義」「面会原理主義」と揶揄する大貫先生のツイートは、ときにユーモアがあふれていますが、実際には、面会交流をゴリ押しする運用の結果、こんな悲劇が起きています。
いったい、こんなファナティックな面会交流実務の運用は、どうして起きているのでしょうか。
次に挙げる論文をご紹介いたします。
〔参考論文〕渡辺義弘「面会交流原則的実施方針に対する疑問 ―心理学的知見の教条化を排した実務運用はどうあるべきか―」青森法政論叢第15号P.34~
https://www.saibanhou.com/ao15_03.pdf
渡辺義弘・・・弁護士(青森県弁護士会)
2、同床異夢
渡辺弁護士の上記論文によれば、面会交流原則的実施論の端緒は、1980年代にさかのぼるようです。
主に、次の①~③の流れが合体した背景があるようです。
①離婚後の共同親権・共同監護の法制を検討する研究の高まり
1980年代、先進各国で離婚後の共同養育、共同親権の制度ができたことに連れ、その研究が実務的になり、「親権・監護権獲得紛争を解決する鍵として注目するようになった。裁判所内部では、とりわけ心理学の専門性を自負する家裁調査官の世界に影響が強く、立法論としての限界を、面会交流の強化として取り組もうとする志向が支配的となった。」
②非監護親の団体による家裁での実務運用批判と立法改革運動
2000年ごろから、「共同親権運動ネットワーク」「親子の面会交流
を実現する全国ネットワーク」などの圧力団体が誕生し、「共同監護」制度への移行を求める活動を展開した。「その中には、個別事件と裁判官、家裁調査官の氏名とを例示し、体質の改善を求める意見書を最高裁の責任者あてに提出する活動などもあった」。2011年ごろからは、親子断絶防止法の制定を求める運動も展開され、国会内でも「親子断絶防止議員連盟」が設立された。
③監護親の団体指導者の考え
「「しんぐるまざあす・ふおーらむ」など監護親側の運動の指導者の考え方としては、家裁の養育費算定表の改革・養育費の支払確保制度を切実とし、面会交流はDV事案などを除き子どもの成長と安定に良い効果をもたらすという視点の方が強いようである。」
(P.36~37)
しかし、この3者のもともとの意図は、次のように、それぞれ異なるものだったはずです。
①の人々・・・円滑な離婚紛争の解決。先進理論に基づく子の福祉の実現
②の人々・・・単独親権制度の改革、離婚後共同親権の実現
③の人々・・・養育費の不払い解決など、ひとり親の経済的安定と子の養育環境の安定化
奇妙な同床異夢だったところに、2011年、弱体化した民主党政権の下で民法の一部改正が実現します。
【2021.6.6補足】
上記のような私の評価に対し、信頼できる関係者から一部事実誤認がある旨のご指摘をいただきました。
それによると、民法766条の改正に際しては、次のような経過をたどったとのご教示をいただきました。
1. 1996(平成8)年2月26日法制審答申で、民法766条改正が提起される
2. 同答申に夫婦別姓があったことから、法案上程されず塩漬け
3. 2006(平成18)年日弁連第5回家庭裁判所シンポジウムのフロアパネリストだった監護親・別居親の3人が関わり、法制化できないか検討を開始
4. 2008(平成20)年2月、3人が主体となって「面接交渉連絡協議会」が結成。院内集会が始まる。このときに後の親子ネット代表も院内集会に参加する
5. 同年4月、別居親当事者が集まって親子ネット結成。別居親が有力支援者の国会議員の援助も受け、別居親団体で院内集会を始める。
6. 別居親団体の院内集会開始は2007(平成21)年1月から、6月に第5回を開催したところで当事者団体の一本化要請があり、面接交渉連絡協議会との院内集会交互開催で同年7月より実施。なので同月親子ネットの院内集会は「第11回(第6回)」となった。
7. 2011(平成23)年5月27日、民法766条の改正案が成立。
この経過を踏まえ、
「この民法766条改正については様々な議論がありましたが、結果として平成8年法制審答申から何一つ文言の加筆修正されないまま、法律改正されました。
それだけ法制審答申は尊重されるべきことだと理解しています。」
とのコメントを頂戴しました。
ご教示いただきましてありがとうございます。
私は、①~③の流れが合体して民法766条が改正されたかのような記述をしている箇所は誤りといえますが、検討の経過を残すため、このままにしておきます。
※参考 民法766条1項
父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者、父又は母と子との面会及びその他の交流、子の監護に要する費用の分担その他の子の監護について必要な事項は、その協議で定める。この場合においては、子の利益を最も優先して考慮しなければならない。
そして、家裁実務担当者が、この条文を借口して、「子の利益」を独善的に代弁するようになっていったー。のが面会交流原則的実施論の登場の背景といえるでしょう。
3、建前だけは立派だけれども。。。
上記渡辺弁護士の論文によれば、面会交流原則的実施論の骨格をなすのは、細矢郁、進藤千絵両判事、野田裕子、宮崎裕子両家裁調査官により発表された「審理の在り方」である、と紹介し、次のようにまとめられています。
※正式には、細矢郁=進藤千絵=野田裕子=宮崎裕子「面会交流が争点となる調停事件の実情及び審理の在り方」家裁月報64巻7号1頁
<理念>
これによると、「我が国及び海外の心理学の諸研究からは、一方の親との離別が子にとって最も否定的な感情体験の一つであり、非監護親との交流を継続することは子が精神的な健康を保ち、心理的・社会的な適応を改善するために重要であるとの基本的認識が認められるなど、子の福祉の観点から面会交流を有益なものととらえる意識が社会の中の定着しつつある」
<方針>
【基本方針】
面会交流を禁止・制限する特段の事情なき限り面会交流を実施する。
【特段の事情の判断方針】
特段の事情(禁止・制限事由)は、監護親が主張することの多い次の①から⑤の類型毎に以下の方針に基づき判断する。
① 非監護親による子の連れ去りのおそれ
② 非監護親による子の虐待のおそれ等
③ 非監護親の監護親に対する暴力等
④ 子の拒絶
⑤ 監護親又は非監護親の再婚等
<運用>
上記の方針に基づき、調停委員会による当事者や子への働き掛け、家裁調査官による調査、試行的面会交流、夫婦関係調整事件から別件としての独立の判断、調停条項への面会交流の頻度・態様・強制の緩急の判断、審判手続への移行の判断などを行う。
(P.37~38)
こうしてみると、一見、監護親の配慮にも十分配慮した、バランスの取れた基準のようにみえます。
しかし、実際には1、で述べたように、裁判官、調査官たちによる教条的、もっといえば、ファナティックともいうような「原則面会交流絶対正義」のような運用がまかりとおっています。
4、「心理学の諸研究」は本当に正しかったのか
上記論文の中で、渡辺弁護士は、面会交流原則的実施論を下支えする「心理学の諸研究」に次々と疑問を指摘しています。
①野口康彦、櫻井しのぶ「親の離婚を経験した子どもの精神発達に関する質的研究―親密性への怖れを中心に―」三重看護雑誌11号9 頁~17頁
親の離婚が、特に青年期成人期の発達段階に焦点をあてたとき、子どもの精神発達にどのような影響を及ぼすかという点の研究ですが、「全体で7 頁の
この研究文献に、面会交流の有無と、子どもの「親密性の怖れ」との、因果関係についての記述は皆無である。」
② 青木聡「面会交流の有無と自己肯定感/親和不全の関連について」大正大学カウンセリング研究紀要34号5 頁~17頁
2010年7 月に、授業時間を使って国立大学、私立大学の学生計510人(有効回答)から質問紙調査を行ったもの。
親が離婚した家族のうち、面会交流を行っている子どもの方が良い影響が与えられている旨の大量調査です。
しかし、渡辺弁護士は次のように指摘します。
「常識的に考えても、面会交流が実施されている場合は、両親が多かれ少なかれ子どものために良いと考えて実施されているのである(間接強制により強制実施される場合は例外中の例外、大量観察においては希有)。その結果、それが子どもの心理に良い結果を与えたからといって、驚くにはあたら
ない。」
「家裁に登場するケース(面会交流原則的実施論の判断基準の対象)は、葛藤の程度に強弱はあるもの、法的紛争性の高いケースである。この研究の大量観察において、子どもの自己肯定感や親和不全に良好な状態が存在するのは、面会交流のあるグループである。しかし、逆は必ずしも真ならずといえる。家裁に登場して面会交流を争う葛藤グループ(当然、高葛藤グループも含まれる)に面会交流を実施させることが、子どもの自己肯定感を高め、親和不全を低くすることは、何ら実証されていない。」
③ウォラースタインらの研究について
渡辺弁護士は、ウォラースタインらの研究を引用する方針発表者を、皮肉を交えて次のように批判しています。
「ウォラースタインらの25年目の追跡調査研究の発表(2000年)は、まさに東京家裁の方針発表者が面会交流の効果として考えている内容とは逆であった。そこで、同方針発表者は、ウォラースタインらの研究は「比較対
象の統制群がない」「母集団に偏りがある」「臨床的な描写にすぎず客観性がない」などとの批判が存在することを述べる。それは、あたかも家裁調査官の世界が、それまでウォラースタインらを讃美していた過去を弁解しているとも解される。」
「ウォラースタインらは、「私の研究では、裁判所の命令のもと、厳密なスケジュールに従って親を訪ねていた子供たちは、大人になってから一人残ら
ず、親のことを嫌っていた。」等の厳しい現実を明らかにした。ウォラースタインらは、その採用した研究手法を次のように述べる。「大規模な研究の多くは」「お膳立てされた電話インタビユーや、表面的な情報を引き出すアンケートなどに頼っている。信頼関係のもと、何時間もかけて直接話し合うことによってのみ、自然な会話のなかから予想外の話題が生まれ、統計値の向こうにある生の体験に踏み込めるのだ」と。この研究を、「臨床的な描写にすぎない」「客観性がない」などと評価することは、その研究手法の長所
を、あたかも短所のごとく描き出しているにすぎない。」
もし、子の引用部分の渡辺弁護士の指摘通りならば、方針発表者は、上記のウォラースタインのコメントを読んでいるはずで、きわめて詐欺的で知的誠実さに欠ける引用をしていたことになります。
④アメイトらの研究について
「東京家裁の方針発表者が引用するアメイトとキースの「親の離婚と子どもの幸せーメタ分析」(1991年)は、わが国での紹介文献を読む限り、なぜ、東京家裁の把握理念の根拠になるか不明である。アメイトとキースは、既に発表されている92の研究を結びつけるメタ(高次)分析の手法により、全部で1万3000人以上の子どもを、学業成績、品行、心理的適応、社会的適応、母子関係、父子関係、その他の8 つのカテゴリー別に、離婚に
よるひとり親家族にある半分の群と、離婚経験のない家族にある残り半分の群とを比較した。その結果、前者の子どもは、後者の子どもより「幸せの得点が低かった」という結論を統計的に明らかにしたにすぎない。仮に得
点の比較に差があったとしても、それが面会交流いかんに原因があるなどという根拠は、この研究のどこにあるのか疑問である。」
⑤その他の研究
「親同士の紛争の激しい高葛藤事案は子どもの適応に逆効果(悪い効果)となり、紛争性の低いものはより良いその適応が生ずるという当たり前の常識論を示したにすぎない。」
【結論】
そして、渡辺弁護士は、「東京家裁が適用しようとする心理学的知見は科学
的根拠に乏しい。葛藤の低い事案につき常識で分かる効果を裏付ける文献を、あたかも知見の「教典」であるかのように引用し単純な「心理学的教条」を想定し、理念としたにすぎない。まさに、この理念における教条主義
が、同家裁の面会交流原則的実施の方針における例外の苛酷な絞り込みに連動している。」と批判しています。
5、まるで「止められない公共事業」
こうした渡辺弁護士のような批判は、決して少数ではありません。
面会交流原則的実施論が始まってから3~4年を経過してから、弁護士、裁判官、家庭裁判所調査官といった裁判所関係者だけではなく、臨床心理士や医師といった立場からも次々と批判の声が上がりました。
にもかっかわらず、2020に見直しを打ち出す論文が発表されるようになるまで、大きな変更はなく継続され、冒頭に取り上げた殺人事件や父親の性的虐待の遠因になっているのです。
それはまるで、諫早湾干拓や八ッ場ダムなど、一度手を付けたら止まらない公共事業のような愚かさを彷彿とさせます。
次回は、その裁判所関係者や臨床心理士、医師などの意見を集めた書籍をご紹介します。
【次回】
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